第76話 ネオエンパシー①

「なーんだ、ネオエンパシーのことか」と理由が分かって拍子抜けした様子で陽助が言った。


「ネオエンパシー?」


「そう。これまで何度も経験したように、聞こえてくる叫び声や悲鳴から情景を思い浮かべて位置と距離が分かる現象のことを我々はそう呼んでいるんだ。で、お前はそれが怖くて飛んで来るボールをただ徒に避けてたってことか?」


「うん……どうコントロールすればいいか分からなくて。聞き耳を立てようが立てまいが、不定期に声が無数に押し寄せてくるし。その度に苦しくなってどうしようもないくらい辛いんだ。幸いエキストリミスを飲むようになったから多少は楽になるかもしれないけど」とこれまで抱えていた窮愁を吐露する。


「方法ならあるぞ。普段から健康的な生活を送ればいいのさ」と東が得意気に言うと、洸太は「えっ」と言いたげな表情を浮かべる。


「エキストリミスを飲むだけでは足りない。適度な運動と良質な睡眠そして栄養バランスのとれたヘルシーな食事を摂ってストレスなく過ごすこと。これを習慣にしていけば頭痛がしなくなるよ」


「たったそれだけで改善できるものだったんだ……」


「その反応から察するに、今までずっと不規則な食生活を送っていたってことか?」と東が訊くと、洸太はコクリと頷いた。


「じゃあそれが原因だ。極端にアンバランスな食生活は屈強で逞しい肉体はおろか、頭痛のように様々な身体の不調を来す可能性が高くなるからな。幸いここでは健康的な食生活を送れるし、身体を鍛えるためのトレーニング器具は一通り揃っているから不健康になることはまずない」


「なるほど。頭痛の原因と対策は分かったけど、そもそも人々のそういう声が聞こえることと頭痛の関係って何なの?」


「悲鳴や叫び声が聞こえて頭痛を引き起こすのは、条件反射が深く関係しているんだ」


「条件反射?」


「ああ。自分の過去の経験から身体が勝手に反応してしまう事をそう呼んでいる。例えば、テレビで人が足の小指を角にぶつけたのを見て痛みを感じるような錯覚を覚える。


これは、実際に自分が小指をぶつけたわけでもないのに痛みを疑似体験するかのような感覚になるのは、過去に同じ経験してきたからだ。梅干しを見ただけで唾液が出るのも条件反射の一例で、この場合、梅干しを食べたことのない人は、『酸っぱい』という経験をしていないから、いくら梅干しを見ても唾液は出ない。

 

で、そうなる思考のメカニズムについては、先ず自分がその痛みの経験者であり、他人が痛がっているのを見て自分が経験した痛みを想起してその部位を庇うように脳内で再現してしまい、痛くもないのに痛いと錯覚する。そして痛みを再現することで、その記憶を再度脳に埋め込んで恐怖心を抱き、今後の注意として危険を回避しているというわけだ」


「つまり、他人が痛がっているところを自分が見た瞬間、自衛本能が働いて恐怖心を脳内で再現したり、思い出したり、想像したりして脳を錯覚させ、痛みを感じる事とその痛みを自分に置き換えて反復学習しているってことだね」


「そういうことだ。だから女性が男性の急所で痛がるところを見ても同情しないし、男性も女性の陣痛の痛みを実感できないのもそういう経験が無いからだ。また、想像力豊かな人は、他の人が血を流しているのを見て痛みを感じてしまう。この場合、経験から学んだ条件反射と、血は赤色を注意もしくは危険と感じる本能も相まってそういう感覚を覚える。


そして俺たちのようなヌミノーゼ遺伝子を組み込まれた人間は、条件反射が一般人より遥かに鋭くなっているため痛みを疑似体験しやすくなり、起きている光景が断片的な映像として脳に伝わってくるんだ」


「それがネオエンパシー。じゃあ僕が悲鳴や叫び声を聞いて激しい頭痛に襲われるのは、条件反射が働いてそういう声を発した人間たちの痛みを、自分の身体に置き換えて再現してるということか。となると、そういった声を聞かなくていいようにすれば頭痛に襲われずに済むんだね?」と洸太が確認を取るように訊ねる。


「残念ながら、危険だと感じるような音や声を完全に遮断する方法は今のところ分かっていない」と期待を裏切るようにゆっくり首を左右に振りながら否定する。それを受けて洸太は「えっ」言わんばかりの驚いた表情をする。

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