第66話 初めての勇気②

 海に向かって不安定な体勢で投擲されたタンカーは埠頭から出来るだけ離れた海にそのまま落下した。そしてタンカーが縦に着水した後、あろうことか洸太達のいる埠頭と反対側の海に倒れてしまい、その瞬間まるで隕石が海に落ちて来たかのように轟音を立てながら途轍もない量の水飛沫を上げた。

 

 勢いよく跳ね上がった海水が波止場の上に軽々とのしかかり、津波のように押し寄せてくる。早急にこの場から離れないといけなかったが、あまりの疲労によって両腕の感覚が無くなっており、指一本すら動かせない状態だった。

 

 小学校の頃に川に落ちて溺れかけた時のトラウマが蘇る。またあの時と同じ苦しみを味わうのではないかと覚悟して目を瞑ったその時、先ほどまで疲労で蹲っていた男が洸太の前に突然駆けつけて杖を横に大きく振り、乗り上げてきた海水を薙ぎ払って打ち消す。洸太が懸命にタンカーを念力で持ち堪えている間に休養して体力が回復したようでまさに間一髪の状況だった。

 

 望まぬ形でタンカーを海に戻すことになってしまった。洸太が行った行動は「戻す」というよりは「落とす」という表現の方が正確だった。かなり豪快なやり方ではあったが、あのような危機一髪の状況から抜け出すにはそれが最善の方法だと即断した。あまりの恥ずかしさと不甲斐なさに俯いてしまう。

 

 何も考えず、ただカッコつけてタンカーの落下を止めようとした自分の無謀さと愚かさに穴があったら入りたいとさえ思う。


 言わばそれは、自分に出来ると思い込んで勢いと気合いだけで乗り切ろうとした結果、少しの手応えも感じることなく何とも言えない散々な結果で終わってしまうといった、勇気と無謀をはき違えた典型的な失敗を洸太はやってしまったというものだった。そんな自分が情けなくて合わせる顔がない。

 

 闘いの終焉を表すように雨と風が時とともに弱まっていき、雲間から陽の光が差し込む。海も静けさを取り戻していくのを眺めた後、男が振り返って伸びている洸太へ振り向く。洸太は男の忠告を撥ねつけて自力でタンカーが落ちていくのを防ごうと奮発した。その結果がこれだった。


 男はきっとそのことで激昂してくるに違いないと覚悟して目を瞑る。するとあろうことか優しく目を細めて手を差し伸べる。その表情には怒りの感情は無く、喜びと賞賛に満ちていた。


「一緒に来るんだ」そう言ってきた男に対し、洸太はただ不思議そうに男を見上げていた。


 てっきり冷たい視線を向けられて怒られると思っていた洸太は安堵こそしたものの、良かれと思って取った行動が火に油を注ぐ形となった。それについて一切何も指摘してこないのは何とも複雑な気分だった。

 

 何となくではあるが、この男の手を掴んだら立つのを助けてくれるだけでなく、この男しか知らない場所へ連れて行かれそうな気がする。そうじゃないのだとしたら、「一緒に来るんだ」などと言ってこない。それはきっと、自分の力に可能性を見出してくれて、その鍛練を監督してくれることを意味しているだろうと洸太は受け取った。

 

 だが果たして、素性が一切分からない正体不明の男について行って良いのだろうか。それでも自分が変われるチャンスがあるのならば、この男に懸けてみる価値があるのかもしれない。

 

 そう思ってやっと動けるようになった右手を恐る恐る差し出そうとした時、静けさを打ち破るかのように黒いSUVが何台もやって来て路肩に停車する。すると男は、曇った表情を浮かべてこの場から離れなければと判断し、瞬く間に空へ飛んで去っていってしまった。その時の不服そうな顔を洸太は見逃さなかった。

 

 もう少し早く決断していれば何かが変わっていたかもしれない。自分の覚悟と勇気が足りていなかったことにムッとしたと同時に、やっぱり付いて行かなくて良かったという安心感が心の中でぐちゃぐちゃに入り混じる。


 車から大勢の職員たちが下りてきて慌ただしく包囲網を張り、洸太や倉庫の中で横たわっている東と陽助を担架に乗せて運んでいった。

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