第42話 お尋ね者①

 翌朝。悪い夢から醒めたような何とも言えない複雑な表情をしていた。やっぱり気持ちの整理がつかず、何度寝返りを打っても眠れなかった。


 昨日起きた出来事の中でとりわけ強烈だったのが、母親だと思っていた人が実は里親だったことだ。あの人との間に血縁関係が無かったことも合点がいった。その挙句、そんな出来の悪い子に育ってしまった僕に見切りをつけ、豹変して殺そうとしてきた。

 

 思い返すうちに里親の姿が脳裏に浮かんでくる。両目が血走って物凄い剣幕で詰め寄り、挙句ナイフを持って襲い掛かって来るその姿はまさしく獣のようだった。今まで生きてきた中で最も恐ろしい瞬間の一つだ。夢とさえ思いたくなる。

 

 『私の人生を返しなさいよ!』


 里親が吐き捨てたあの言葉とその時の形相が未だに脳裏に焼き付いていて脳を揺さぶる。ハマっている曲をリピート再生するようにいつまでもこだまする。あれは本当に里親の本音から出た言葉なのかどうか。


 確かにあの人の望む人間になるように僕は今まで血の滲むような努力をしてきたつもりだった。だから、傘やスプレー缶でどんなに強く打たれたり、いくら叱咤されたり、行動を制限されて自由が全くない生活だったとしても我慢出来た。


 だけど、自分の原因不明の症状に悩まされるようになってからは勉強に追いつけなくなっていった。それでもなんとかしがみつこうと藻掻いたが、現状を変えられないことに苛立ちを覚え、それに追い打ちをかけるように症状も酷くなっていく。


 結局何を目指しているのかをも見失ってしまい、それと同時に学習意欲も低下していき、あの人が理想とする自分にはなれないと諦めてしまった。


 でも僕は、俗に言うモンスターペアレントと呼ばれるあの里親のことを心の底から恨んではいない。あの人もあの人で若い頃は周りの人達からかなりの期待を寄せられてそれに応えようと頑張ったが、予期せぬ大病に冒されて夢を追えなくなってしまい、絶望に陥った。


 何より辛かったのが、夢を諦めざるを得なくなったことで折角寄せられた周りの期待を裏切ることになってしまったことだと思う。奇しくも自分と似たような境遇だ。


 人は誰しも褒められるのは嬉しい。褒められて嫌がる人は滅多にいない。しかし、そういう経験をしてこなかった里親もある意味被害者であるとも言える。


 だからこそ、代わりに夢を実現してくれると信じて養子になった僕に色々世話をして全てを注いできた。たとえ養子であっても、自分を我が子のように今まで心血注いで育ててくれたことに感謝しているつもりだ。

 


 ドアをノックする音で我に返る。


「おはよう、昨晩はぐっすり眠れたかい?」東がノックして部屋に入ってきてそう訊ねる東に対し、洸太はそっぽを向いたままだった。


「朝食持ってきたぞ」そう言って東がプラスチックのトレーを持ってベッドの横にあるテーブルに置く。


 トレーにはいくつもの白い皿が載っていて、それぞれに雑穀米入りご飯、納豆、卵、味噌汁、ブロッコリーと海藻類のサラダ、数種類のフルーツと豆乳をミックスしたスムージーと無糖ヨーグルト。栄養バランスを考えた理想的かつ健康的なメニューだった。


 そして昂った神経を落ち着かせるため、ご丁寧にホットミルクまで淹れてある。洸太は目の前に置かれた朝食を虚ろな目でただじっと見つめているだけで、手に取ろうとしない。


「どうした。早く食べろ、冷めるぞ」


「食欲が、湧かない」


「いや食べなきゃ駄目だ。食欲は本能的に備わった三大欲求の一つだ。生きている以上、これらの欲求を捨てることは出来ない。その上、お前は能力に目覚めた適合者だ。そんなお前が死ぬことになったら我々にとっても大きな損失を被る。


だから否が応でもお前を生かさないといけないんだ。念のため言っておくがお前には選択権が無いことを忘れるなよ」


 と自分の右手首を指差しながら言い、洸太はリストバンドを装着されていたのを思い出す。命令に従わなかったら罰としてリストバンドが作動して全身が痙攣するほどの電流を送って戒めるんだった。洸太は目の前に置かれたトレーを眺めているだけで微動だにせず、黙って聞いていた。


「また後で様子を見に来るから、それまでに完食しろ。米一粒も残すなよ。それと、お前専用の部屋を確保出来たんだ。後で俺が案内する」と言って病室を後にする。


 洸太の心の中で欲と理性が激しく衝突した。このまま食べずにプライドを保って謎の組織に反発するか、欲求に従って生き延びるか。結局空腹に耐えきれず、欲に負けて箸を手に取ってご飯を渋々口に運んで咀嚼する。


 時間をかけて完食し、終わったタイミングで東がドアを開けて迎えに来てくれた。言った通り残さず食べたことを確認すると、「行くぞ」と言って支度するように促した。

 

 洸太はベッドから降りてテーブルの上にある黒い衣服に手を伸ばす。手に取って広げてみると、それは東が着用している黒色のツナギの服と同じだった。レーシングスーツのようなデザインで、ゆったりとしている一般的なものと違ってこっちはスリムに作られている。


 きっとそういう仕様だろうとあまり深く考えずに着てみることにした。洸太はそれに着替えると東に渋々付いて行き、病室を後にして東に導かれた。すれ違う職員の方々と挨拶を交わしながら歩いていく。

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