第21話 所詮僕は母親の操り人形

 結局誰が拾ったのか見当がつかないまま机に向かって勉強するも、この後母親の説教が待っているのを考えるととても気が気でならない。そして時計の針が七時を回り、そろそろ行かなければと徐に立ち上がって心臓が握り潰されるような思いでダイニングに行くと、母親は自分の分のシチューだけを作ってそれを洸太のいる目の前で食べ始めた。


 それが今回学校から帰って来るのが遅かったことへの罰だった。キッチンにあるお菓子を食べたいとお願いしても「あれは私のものだから自分で買って食べて」と却下される。「お金は無い」と委縮して物乞いの子どものように恐る恐る頼むと、「じゃあ我慢しなさいよ、我儘言うなぁ!」と大声で喝破される。

 

 空腹を凌ぐには帰宅が遅くなった理由を説明して納得してもらうしかないが、今日は先生との三者面談があったから遅くなったなどと弁明出来る訳が無い。その上、雅人とこっそり会っているのではないかと指摘されるに違いない。

 

 縮こまっている洸太を見て痺れを切らした母親は嘘吐き呼ばわりして「何で守れないの」や「私のルールに従って」「あんたの所為でスケジュールが大きくズレるから私を困らせないで」といった暴言を放つ。それらの罵詈雑言を浴びせられた洸太は自分の中で何かが弾けて、


「……困ってるのはこっちの方だよ。毎日帰った時にスマホを預けないといけないなんて……悪趣味にも程があると思うけど」とあろうことか母親への本音を思いがけず呟いてしまった。

 

 その言葉を聞いた瞬間、母親が味噌汁を作るために沸騰させておいたお湯を鍋ごと勢いよく投擲する。あわや火傷を負ってしまうところで洸太の防衛本能が“力”を呼び起こし、瞬間的に発動して投げられたお湯と鍋が洸太の目の前の床に落ちるように軌道をずらした。無意識に行ったことだったので、飛んで来た鍋とお湯が自分に掛からなかったことに戸惑いつつホッとする。

 

 それでも母親の怒りはその程度では収まらず、洸太の左頬を叩いた。ビンタされた洸太は痛そうな表情を浮かべ、左手で赤くなった頬を覆うように手を当てる。


「こっちに来なさい」と洸太の蟀谷を引っ張ってキッチンテーブルの椅子に強引に座らせるやいなや、


「私を誰だと思ってるの」


「血のにじむような努力をして育ててやったのは誰」


「私を侮辱したことを謝って」


「罰として今月のお小遣いは参考書を買うために使うから。返事は?」と有無を言わさぬように問い詰められ、反抗したことを直ちに謝罪してなんとか母親の怒りを鎮めた。


「そういえば、模擬試験の結果は届いた? 今日届く筈だけど」


「いや、届いてないよ」今自分は吐いて良い嘘を吐いている。嘘も方便だ、と自分に言い聞かせて正当化させる。相変わらず母親の勘が鋭いことに恐れを成して咄嗟に嘘を吐いた。


 そう聞いてくるということは、母親は模擬試験の結果が本当はもう届いていることを知らないということを意味している。それと同時に、くしゃくしゃに丸めたそれを拾った犯人は城崎であることが分かった。


「そう。この間城崎さんから教えてもらった参考書がさっき届いたから後で私も勉強に付き合ってあげる」と言って食べ終えた食器をシンクに持って行って洗い始める。

「何で」と聞くと、


「このままだと受験には間に合わない。何としてでも聖央大に受かるように私が決めたスケジュール通りに動いてもらうから。失望させないでよね」と釘を刺されてしまった。溜めていた貯金を城崎に奪われてしまった挙句、今月分のお小遣いも貰えないなんてまさに泣き面に蜂だなとどうしようもないぐらいもどかしい気分に駆られた。

 

 それからは本当に母親が付きっきりで勉強に付き合った。参考書に沿って順に問題を解いていき、正解したら褒められず、間違った回答をしてしまったら強烈なビンタが飛んできて怒鳴り散らされる。そんな地獄のような時間は深夜まで続いた。

 

「この世には二種類の人間がいる」という有名な言葉がある。その言葉に則って敢えて定義づけるとしたら、一つは毒親に育てられた子供はそのまま親の暴力的な性格を引き継いだまま育つ人と、もう一つは人に対して恐怖を抱いて内向的に育つ人の二種類だ。当然ながら自分は後者に該当する。


 思い返せば、これまでの行動は全てお母さんによって強制的にやらされてきたので、「やる気」が芽生えず、自分の殻に閉じこもりがちな側面を持つようになった。

 

 物心ついた時から僕はお母さんの都合のいい操り人形として生かされてきた。勉強や習い事も自分のやりやすいように決めてもらえず、僕の意思は一切無視されて

「勉強しなさい」「練習しなさい」と命令され続けてきた。


 着替え、顔洗い、歯磨き、お風呂、掃除といった身の回りのことも私がやった方が早いからとお母さんが全てやって、一回も自分でやった経験が無い。そうして褒められることも、成功体験も、自立的な行動を取ることも全くと言っていいほど無かった。

 

 親がまともならばもっと幸福な人生を送れたのかな、とつくづく思うことがある。もしそうなら自分の人生は百八十度違っていたのかもしれない。少なくとも自分は、自主的に考えて努力したり行動したりする経験が無かったため、自分の意志で物事を決めようという意欲も湧かず、アイデンティティも形成されずに育ってきた。


 それ故に自分の好みは何なのか、将来何をやりたいのか、自分の考える幸福の人生の形は何なのかも分からないし、そう望むという気すらも無い。

 

 では、母親が呪文のように言い続けている聖央大学に進学して立派な研究者になりたいかと言われればそういうわけでもない。


 一つだけ言えるのは、お母さんに支配された生活から抜け出せない限り、幸福の人生の実現は夢のまた夢ということだけだ。


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