第19話 城崎真、来訪

 帰宅すると、玄関には母親のものではないヒールと、青色の運動靴が置いてあったので、誰かが来客しているのだなと察した。ドアを開けてリビングに入ると、アンティークのソファにて、城崎真の母親でPTA会長の城崎真奈美と母親が帰って来た洸太に気付いて振り向く。


 高級そうな楕円形のガラスのテーブルの上には、茶菓子と紅茶用のティーポットが置かれていて、優雅なティータイムを邪魔してしまったようで気まずかった。


「ただいま」と申し訳なさを込めて小さな声で言う。


「お帰りなさい。俊君が君の部屋で待っているわよ。随分待っていたのよ。謝りなさい」と母親がニコニコしながら言った。瞬間的にびくっとなり「分かった」と言って自分の部屋へ行こうとした瞬間、洸太に駆け寄って来たかと思うと、右手の掌を出して頂戴という仕草をして、「スマホ」と心無い口調で言った。その瞬間洸太は渋々スマホをポケットから取り出して母親の掌の上にそっと置く。


「後でね」と母親が虚ろな表情で言う。


「はい……」

 

 洸太のスマートフォンを預かった母親は、振り返ってリビングに戻って城崎の母親と談笑を再開する。母親が口にした「後でね」という一言に全てのメッセージが凝縮されていると悟って、時間が永遠に止まってくれればいいのにと思う。

 

 洸太は母親たちに「こんにちは」と挨拶してリビングを通ろうとした時、城崎の母親が機嫌よく挨拶をしてきた。このタイミングで母親がキッチンにて紅茶を淹れなおす。


「あら、洸太君こんにちは。君のことはいつも真から聞いているわ。体調はどう?」


「あ、はい……なんとか」と、まさかこの場で自分の学校での様子について聞かれるとは思いもよらず、途端に背筋が凍る。きっと城崎がそう仕向けたに違いないと踏んだ。学校の授業ではしっかりやっているということが嘘だとバレたら、また怒号が飛んでぶたれるに違いない。母親が聞き逃してくれていることを心の中で強く願う。


「そう、良かったわね。もう受験生なんだから気を付けないとね。それから、真とも仲良くやっているようで母親としてとっても嬉しいわ」


「あ、はい……」そう言われて洸太はとても複雑な気持ちになった。別に自分から進んで仲良くしているつもりはない。ただ城崎の機嫌次第で自分の立場が危ぶまれるから嫌々忖度しているだけだった。


「ほら。今部屋にいるから早く行ってあげなさい」と新しい紅茶を持って戻って来た母親が言うと、洸太は軽く会釈をしてリビングを通り越して奥にある自分の部屋のドアを開けて入った。部屋に入った途端、普段から使っている椅子に深く腰掛けている城崎の姿があって、優雅に足を組んで勉強机に置いてあった本を読んでいた。


「おう、遅かったね。待っていたよ」さぞ自分の部屋であるかのような口調で言ってきた。


「そこ、僕の椅子なんだけど」


「ああ、ごめんごめん」と、徐に立ち上がって床にあぐらをかいて座りなおす。飄々としたその態度が見苦しく思えた。


「ごめん! あの時はつい嘘をついてしまって」と、わざとらしく手を合わせて謝ってきた。その形式的で嘘っぽいその謝り方に、さすがに堪忍袋の緒が切れそうだったのを必死に堪える。城崎にとっては遊び半分のつもりでも、洸太にとっては想像以上に深刻な問題で、無性に彼を殴り飛ばしたい衝動に駆られた。


「まあまあ大目に見てくれよ。俺だってお前のバイトの件、母親に話してないんだからさ。お互いウィンウィンの関係だろ?」そう言ってきた城崎に対してまだ弱みを握られている立場にあると再認識し、爆発しそうな怒りを何とか堪えた。


「お前の母親と色々話したよ。世話の焼けるどうしようもない息子なんだって?」そんな城崎に目もくれず、椅子に座ってあからさまに黙々と勉強を始める洸太だった。城崎は気にせず話を続ける。


「でもいいよな、お前のお母さん。何から何まで世話してくれるんだもん。それってお前のことを我が子のように思ってくれてるってことだろ? 俺のお母さんはさ、仕事はもとよりPTA会長としてボランティアも精力的にこなして、近所の住民たちとのコミュニケーションも欠かさない、まさに誰から見ても完璧な人に思われてる。


でも家に帰ると四六時中SNSで自分の評価を気にするSNS中毒者なんだ。自分の好感度を上げる為ならば八方美人を振る舞う。だからお母さんの視界には俺は見えているようで見えてないんだよ。まるで透明人間さ。俺というフィルターを通して世界を見てるって感じ。何かをお願いしても『うん』と言って容認してくれるし。


どうすればお母さんの気を引けるのかとあれこれ実行しても、そもそも息子の俺に興味なんて無いから何をしても気にかけないし怒ることもない。放任にも程があるっつうの」


 最後の方は自分の母親への愚痴に変わった。城崎の独り言を耳にした洸太が書く手を止める。こっちの事情など何も知らないのに、そんなこと言われる筋合いは無いと思いながら勉強を再開した。城崎は更に続ける。


「確かに高い治療費を出してまで俺の病気を治して貰った。そのお蔭で今の俺がいる。その件に関しては心から感謝しているつもりだ。本当だよ。だからお母さんには頭が上がらない。


だけど、ここまで見向きもされないんじゃさすがに愛想尽くよね。もういっそのこと死んでしまった方が良いんじゃないかなって思った。そうすれば嫌でもお母さんは俺の事を振り向いてもらえるだろ。


でもね、やっぱり死ぬのは怖いかな。死んだらそこで人生終わりだし。だから俺という存在を証明するにはやっぱり自分の存在感を際立たせるしかない。折角与えられた第二の人生だ。自分の人生の主人公は他の誰でもない、自分だけだからな!」と勝ち誇ったように論じ上げると、洸太は動作を止めて煩わしそうに顔を向けた。

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