第12話 名もなき救世主

 これまでは一週間に一回の間隔で頭痛に襲われていたが、あの夜以降数日に一回と間隔が短くなったのと、緊張やストレスを感じていない場合でも起こるようになった。

 

 頭痛とは、片頭痛といった身近なものからくも膜下出血や脳腫瘍といった手術を必要とするものまで、頭部に感じる様々なタイプの痛みを含んだ幅広い症状概念である。洸太は今自分が悩まされている頭痛がどれに当てはまるのか調べてみた。


 定期的に発生することから脳腫瘍と疑ったが、それらしきものは検査で確認できなかったためその線は除外した。となると、緊張型頭痛に該当する可能性が高いのではないかと見た。

 

 緊張型頭痛とは別名一次性頭痛と呼ばれており、精神的なストレスや長時間のデスクワークなど同じ姿勢を続けたことで血行が悪くなり、首や頭の筋肉が緊張することで起こる最も多く見られるタイプの頭痛である。

 

 洸太の場合はその症状が特殊で、頭痛に襲われる度に他人の陰口や悪口を言っている様子や、怒りに震える者や悲しみに暮れる者、喜びを分かち合う者、拍手喝采に満ち溢れる空間、家族団欒の幸せなひとときといった色んな情景や様子が脳内にランダムに浮かび上がってくる。


 瞬間的に表れてはパッと消え、また次のシーンが映し出される。情景と情景には関係性は全くない。この状況に至る経緯の背景を読み取ることも難しい。それはまるで、膨大な量の静止画を超高速で切り替わるスライドショーを見ているかのようだった。

 

 ある日の夜。ベッドで横になって眠ろうとした時、例の如く頭痛に再び襲われた。それと同時に、ある情景が浮かび上がってきた。暗い闇の中に、幼い男の子と愛息を抱える母親。暗闇で見えにくいが、二人とも何かに怯えているようだった。すると今度は別のシーンが映る。


 男が手にライターを持っており、もう何かを諦めているような決意めいた表情をしている。次のシーンで辺りが炎に包まれていく様子が浮かび上がった。これまでの不規則で、乱雑に脳内に投影される情景とは異なる関係性を持ったシーンであった。この近くで、誰かが危機的状況に陥っているのかもしれない。

 

 だが、自分が行ったところで何が出来るのか……きっと誰かが助けてくれる。そんな楽観的な考えが浮かんだが、無慈悲な毒親による非情な暴力に遭っているのだとしたら、誰にも悟られること無く命を落とすことになるかもしれない。


 胸騒ぎがした。看過するわけにはいかない。洸太は居てもたっても居られず、その情景に繋がると思われる場所へ早速直行した。

 

 このようにシーンとシーンが連なっていくのは初めてかもしれない。これまで見えてきたのは有象無象な情景ばかりで、シャットアウトするように目を瞑っても途切れることは無かった。鬱陶しさに加え、それをどうにも出来ないもどかしさに苦悶していた。


 その中に今回のような誰かに助けを求める「想い」が映像として自分の脳内に入ってきて、それを知らない内に取るに足らないものとして見逃していたとしたら……自分にも責任があるのではないかと感じるようになった。

 

 進むにつれ前方の住宅街から一筋の黒煙が上がっている。洸太は自分の目を疑った。その一軒家は炎に包まれ、凄まじい勢いで燃えていた。何度も爆発音が響き渡り、真っ赤な炎が立ち込めて火の粉が激しく舞い散る。


 これだけ遠く離れていても火傷してしまうのではないかと思う程の凄い熱気だった。真夜中にも関わらず、近隣住民が騒ぎを聞きつけて続々と集まっている。どうやら消防車と救急車はまだ到着していないようだった。


「ああなんてこった」


「あの父親のことだ。いよいよ気が触れて火をつけたに違いない」


「気の毒な家族ね」

 

 どうやら欠陥家族だったらしい。住民同士の会話で想像できた。もしそうだとしたら本当に不憫だと思う。だがどんな事情があれ、家族を自分の都合に巻き込むのはいかがなものか。

 

 全身黒服の男が子供の母親と思われる女性を引きずり出して助けた途端、もう一度燃え盛る家の中に走って入って行った。洸太も彼に続いて助けに行こうと走って近くまで寄ったが、激しく燃え上がる炎に今更恐怖心を抱いて身体が硬直してしまった。


「おい、危ないぞ! 死にたいのか!」

 

 住民の一人が洸太にそう叫んだ。常識的に考えてこの炎の中に突っ込むのは危険すぎる。本能的な恐怖のお蔭で無謀な行動を起こさずに済んだが、心の中で葛藤が生まれた。


 折角二人の「想い」がここまで自分を導いてくれたのに、あと一歩と言うところで踏み出せないなんて。それに比べたら捨て身の覚悟で助けに行ったあの黒服の男は真のヒーローと言える。

 

 炎の中から人影が現れ、やがて輪郭がはっきりしてきた。黒服の男が小学生くらいの男の子を抱きかかえていた。辛うじて生きている。倒れている母親同様、煙を吸い過ぎて意識を失っているだけだった。


 男が着ているパーカーは炎で更に黒く焼け焦げてしまっていた。男が母親の隣に男の子を置くと、何かを感じ取って洸太の方を見て立ち上がって両者とも目が合った。


≪日向……?≫

 

 何故幼馴染の名前が出たのか自分でも分からなかった。けど何となくこの男と雅人の気配が一致した気がした。数秒間見つめ合った後、黒服の男がゆっくり踵を返してその場を後にする。

 

 この家に住むのは三人家族。だが、男に救助されたのは母親とその子供だけ。父親はまだあの炎の中にいる。「待って!」と男に向かって叫んだが止まる様子も無く歩き続けた。洸太は急いで彼の後を追ったが既に彼の姿は何処にも無かった。彼は、この事件を起こした父親を見殺しにしたのだ。


 程なくして、けたたましくサイレンを鳴らした救急車と消防車と警察車両が到着して鎮火と事態収拾にあたり、母親と子供はすぐさま救急車に乗せされて病院へ運ばれた。火は隣の棟に燃え移ることなく数時間で完全に消し止められた。

 

 洸太はそのまま消え入るように帰ってまた寝床に就いたが、不思議と眠気は感じなかった。轟々と燃え上がる家屋の前で、ただ茫然と静観している自分を客観的に捉えた情景が何度もフラッシュバックし、「あと少しの勇気があれば」という心残りに苛まれる。


 その夜は結局一睡も出来ず、何回も寝返りを打っている間に夜明けを迎えてしまった。それだけ昨夜の出来事が心に響くものがあったという証拠だった。これも近頃感じる身体的な異常なのかと思う。

 

 体は嘘を付かないとどこかで耳にしたことがあったが、本当にその通りだろう。

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