第6話 人間の限界

 本部から派遣された東は、一緒にトレーニングを行ってからもうすぐ半年が経つ。ネオテック日本支部のメンバーとして漸く馴染んできたようだ。この日も低酸素トレーニングを終えた東が秘書の附田に「社長がお呼びだ」と呼ばれたので直ちにツナギに着替えて社長室へ赴いた。

 

 地下一階まで上がって長い廊下を歩いた先に社長室が見えてきた。附田がドアをノックして開けて東に入るように促す。


 「失礼します」と言って中に入ると、目の前にはガラス製のローテーブルを囲むように革製のソファがあり、その向こう側に本棚をバックにした社長用の机と椅子とその隣に観葉植物が置いてあった。


 質素なインテリアで全ての置物が高級なものばかりで全体的に格式が高いように感じられ、これらのインテリアが社長室らしい重厚な雰囲気を醸し出している。


「倉本社長、お待たせして申し訳ありません」机に向かって何か作業している倉本司くらもとつかさの姿を確認するとすぐにお辞儀をした。


「いや、良いんだ。少し話がしたくてね。どうぞ座ってくれ」と立ち上がって背広を直し、東の手前にあるソファを指し示す。


「失礼します」と言って向かい側のソファに倉本が座った後に東も恐る恐る座った。失礼に見受けられないように姿勢を正した状態で浅く腰掛ける。


「あの、話と言うのは?」


「君が導入してほしいと提案してくれたあの訓練カリキュラムを採り入れてみてから二ヶ月が経ってその後どういった変化を遂げたのか気になってね」

 

 二ヶ月ほど前、東が本部で実践しているという低酸素トレーニングを含めた新カリキュラムを導入してみてはどうかと提案してみたところ、内容が過酷なために倉本や他の研究員も首を傾げて難色を示す。それでも東はこのトレーニングの重要性を訴え、三ヶ月間試しにやってみるという方向で採用された。


「はい。この期間、新しい訓練メニューでトレーニングを行ってみたところ、身体能力が大幅にアップし、心肺機能及び肺活量や筋力の向上が認められます。詳細なデータにつきましては今研究員たちがデータを集計しておりますので、それでご確認いただければよろしいかと」


「なるほど。ちなみに陽助の方は?」


「彼は私と違って最初の数日間は呼吸するだけで精一杯でしたが、段々身体が慣れていくにつれて普段通りの動きを徐々に取り戻すまで呼吸機能が強化されていきました。時々『きつい』や『しんどい』といった弱音を漏らすこともありますが、めげずにちゃんとついてきてますよ。心なしか楽しんでいるようにも見えますね」


「それを聞いてホッとしたよ。新メニューの内容が過酷でそれ故に身体への負荷が大きいため、それに耐えかねて壊れるのではないかと心配だったんだ」


「本部ではこれの半分以下酸素量かつ更に負荷をかけてトレーニングに臨んでおります。ご覧の通りいたって正常に成長しております。ここ二ヶ月で陽助の身体はだいぶ慣れてきましたが、更に酸素濃度を薄めて訓練を継続すれば確実に身体能力が飛躍的に向上するでしょう」


「今よりもっと負荷をかけたほうが良いと言いたいのか」


「はい。極限の状況に置かれた時のみ、人は成長します。特に私や陽助のような特殊な人間はそうなるようにこうして毎日トレーニングに励んでおりますので」


「どんなに極限な状況でも、それに耐えられる心が無ければ死んだも同然だ」と倉本が不意に立ち上がり、東に背を向けて話す。


「要するに、強い肉体だけでなく強靭な精神力も求められるということですか?」


「そうだ。心が無ければそれはただのロボットだ。陽助はロボットではない。自分で考え、行動し、人間らしく振る舞うことで自分を見つめなおし、長所を伸ばして欠点を次に活かして更なる高みへと成長できる」


「私は逆だと考えます。人間のような高い知能を有する生物というのは何でも試したくなる性質です。間違ったやり方を間違いと認めず、強大な力を見境なく振りかざして、周りの人間に危害を加えてしまう可能性が高い。そうなる前に我々の管理の下で徹底的に管理し、強化させることこそが本当の成長と言えるのではないでしょうか」と持論を述べた。


「つまり、成長過程において『心』は排すべき邪魔な要素だというのか」


「ええ、欲に溺れるのが人間ですから。知能と欲はコインのような表と裏のようなものです。決して切り離すことは出来ません。だからこそ、心なんていうものは不要だと考えます」


「先程君は本当の成長と言ったが、人間、特に超能力を体得した君のような特異な人間の成長にも終着点があることを知っているか?」


「どういうことですか?」


「こういう話がある。人間の脳は、全体の機能のうちたったの十パーセントしか使われていないと考えられていた。他の九割の未使用の領域はサイレントエリアと呼ばれており、常にリミッターがかかっている状態になっている。


生命の危機に瀕した場合のみリミッターが解除され、全身の筋肉が活性化してその場限りの並外れた力を発揮して絶体絶命の危機を乗り越える。


『火事場の馬鹿力』がその最たる例だ。だが実際には、ある特定の領域だけフルに活用されているわけではなく、その時のシチュエーションによって機能ごとに適宜使われる領域を変え、脳を全体的に活用されているということが判明しこの定説は覆されてしまった。果たして本当にそうだろうか?」


「人間の脳には使われていない領域は無く、フルで機能しているということですか?」と東が確認のために訊いて倉本は小さく頷く。


「そうですね。人体の臓器の中で最も難解な臓器ですから。人間の中の小宇宙とも呼ばれているぐらいですし。現在の科学と医療技術で全てを明らかにするには無理があるため、あえて有耶無耶にしてしまう方が得策だと結論付けたのだと推測します」倉本の説明への自分の見解を示した。


「だから人間はいつまで経っても進化しないわけだ」


「過剰な進化を恐れているのではないでしょうか。それは最早暴走であり、破滅を招くだけです。何事にも臆さず挑戦しようというチャレンジ精神は一見立派に見えますが、リスクマネジメントが欠如しているならそれは単なる無謀です」


「それをさせないためにも、心を鍛えることが必要不可欠ではないのか?」


「それは……」その瞬間、東は自分の発言に矛盾が生じていることに気付き、言葉に詰まって何も言い返せなくなった。


「心を捨てるということは、いわばブレーキが壊れた暴走機関車と同じだ。ブレーキが無いからどこまでも走り続け、故障したことにすら気付かない。そして最後は町に突っ込んで派手な結末を迎えてしまう。


そういう人間にリスクマネジメントだとか無謀だとか言うまともな思考が出来るとは思えないがな」東を論破したことを良いことに倉本がここぞとばかりに畳み掛ける。東はただ黙って俯いて言われた言葉を自分の中で反芻している。


「語るに落ちたな。どうだ、鼻っ柱へし折られた気分は」と優越感に満ちた清々しい笑顔で尋ねた。


「いやあ、参りましたね。まさか自分の考えが間違っていたなんて思ってもみませんでした」


「そうだろうな。とはいったものの、私も人のこと言えないな。私は今、神への挑戦と言っても過言ではない程の壮大なプロジェクトをやり遂げようとしているのだから。無謀と揶揄されてもおかしくない」


「良い結果が伴えば、の話です。終わり良ければすべてよし、と言う言葉もあるくらいですから」


「……ああ、そうだな。ならば、君も納得できる結果を示してあげよう。そのためにも、今後の訓練の厳しさのレベルを上げていかないとな」


「是非前向きに検討していただければと思います」


「君とこういう会話が出来て良かったよ。こうやって熱く語り合うのもなかなか楽しいものだな。ハハハハハハ」と東の為に親切に部屋のドアを開けてあげた。


「こちらこそ、倉本社長と貴重な会話が出来て光栄です。感謝します」と感謝の意を表明してお辞儀をする。


「今後も陽助をみっちり指導し、立派な兵士になれるように鍛えてくれ」


「はい、心得ております。では失礼致します」と言って社長室を後にした。自分の部屋に向かう途中でポケットに入れてあった黒くて艶のある小粒の石を取り出し、倉本との問答を振り返る。

 

 自分でも言葉に詰まって反論出来なくなったのは驚きだった。さっきは見事に鼻っ柱を折られたが、自分の理論が間違っているなんて思っていない。心が無くても人間は成長出来る。無心になればどんな逆境や困難でも乗り越えられる。何なら過去のトラウマだって克服出来る。


 心があるからいつまで経ってもそれに怯えて囚われて、結局何も出来ずにウジウジするだけで終わってしまうのだ。もし身体能力の限界に到達したのなら、道具に頼ればいい。


 この与えられたシャードという鉱石を使って限界を超えることで成長するのだ。この身を以てそれが可能だということを証明してみせる。必ずな。


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