第3話 東漣

 とある地下の訓練施設にて、東漣あずまれん倉本陽助くらもとようすけは訓練メニューの一つである低酸素トレーニング――酸素濃度の調整が可能な特殊な部屋の中で通常酸素量の三分の一まで減らし、標高六千メートルの低酸素環境を想定した状況下で、筋力トレーニングやジョギングといった様々な運動をこなすことに励んでいた。これにより、心肺機能の発達及び筋力増強に伴う身体能力の向上と持久力の向上を目指す狙いがあった。


「どうだ、東……ハァ、ちゃんとやってのけただろ?」スポーツ刈りの髪型に、がっしりした体躯をしていた陽助が、両手を膝に付いて息を荒くしている。。


「ああ、初めてにしてはまずまずだが、いずれは当たり前のようにこなさなければならない。これからさ」と東が腰に手を当てて息を整えている。慣れているからかそこまで疲れていない様子だった。スリムな体型をしており、前髪を斜めに流したストレートの髪形は言動と相まって、周りにクールな印象を与えている。


「望むところだぜ」

 

 トレーニングを終えてシャワーで汗を流し、普段着の黒色のツナギに着替えた二人は研究開発部主任の綾川善弘あやかわよしひろから「エキストリミス」という、アストラル製薬特製の錠剤のサプリを貰い「いつもご苦労様です」と礼を言う。

 

 その日の訓練が終われば各自就寝まで自由時間が与えられる。この日のメニューは長距離障害物マラソンの他、重量百キロのダンベルを持ち上げた状態でスクワット、両手足に重りを付けた状態での戦闘訓練、そして最後に低酸素トレーニングという途轍もなくハードな内容だった。


 今日も精力的に臨んで過酷な一日を乗り越えた東と陽助だった。午後十時の消灯までまだ余裕があるというので、綾川に誘われた東は陽助と別れて同行して歩きながら二人は会話を始めた。


「なあ、前から気になってたけど、トレーニング後はいつも部屋で何し過ごしてるの? やっぱり部屋に籠って新聞を読むことぐらいか?」


「そうだね。一応毎日送られてくる朝刊の全ページに目を通すようにしているさ」


「相変わらずストイックだね。俺だったらその時間は空気吸いに外へ行くけど」


「用事が無ければ外出することはあまりないかな。新聞を通じて世間を知ることも訓練の一つだから。意外と退屈しのぎになるよ」


「じゃあ、昨日日本に向けて飛び立ったインペリアル航空の旅客機が、太平洋に落ちたというニュースは知ってるだろ?」


「ああ。紙面でも大々的に取り上げられてたね。飛行中に突然エンジントラブルに見舞われて吸い込まれるように落下してそのまま墜落。乗客乗員は全員死亡。インペリアル航空では運航開始から初めての墜落事故だったとか」


「注目すべきなのは旅客機の墜落事故じゃない。それに搭乗していた乗客だ。その中にフロンティア・テクノロジーズの社員たちも乗っていたらしい」と綾川が声量を低くして言った。


「それって、あの」


「ああ。十六年前に中東で起きた核爆発事故に関わったとされる、今何かと話題の大企業だ。報道ではテロリストがどこかから盗んで爆発させたことになっているけどね。アメリカは関与を全面的に否定している。


でも実際にはフロンティア・テクノロジーズが、新たに手掛けた新エネルギー事業の一環として造った核融合炉が、輸送中にシリアの過激派のテロリストグループに襲撃され、飛行機を乗っ取られた挙句墜落して爆発してしまった。これが最も有力視されている説だ」


「それによって組織を壊滅に追い込んだことに加え、また新たな戦争の火種を撒くことになったことで、関わった数名の主任研究員や技術者が一躍有名になった。それが今回の飛行機の墜落事故と何の関係があるんだ?」


「実は俺、こっそり聞いちゃったんだよね。社長秘書の附田さんが誰かと電話で話しているところを」とその時の出来事を語り始める。

 

 遡ること二日前。綾川が社長秘書の附田つくだの執務室のドアをノックしようとしたところ、中から話し声が聞こえた。ドアに身を寄せて聞き耳を立てて聞いていると、附田が声を荒げて誰かと話していることが推測出来た。


≪そんな馬鹿な! スペシャリスト達が乗っていた航空機が墜落した? あり得ない……どうせフェイクニュースの類だろ。情報源はどこだ? 遺体は? そうか……分かった。社長に伝えておく≫


「その核融合炉の製造に関わっていた例の核物理学研究者や技術者が乗っていたらしい」


「にわかに信じ難いな。その彼らがどうして日本に」と視線を外して考え込む。


「さあ、今となっては知る由も無いけどね。きっと十六年前の再現でもするつもりだったんじゃないかな」


「だとしたら笑えない冗談だ。実際にそれが原因で今地球の裏側で戦争が勃発したっていうのに……」


「もし本当に墜落したのなら、それはそれで良かったんじゃないかな。だって、あの悲劇をまた起こそうって言うんだぜ」


「それは間違いないんだが、日本に招聘して何を企てようとしていたのかが気になる」


「俺もこの件については寝耳に水だから、知っているのは社長と秘書だけだろうね。とはいえ聞いたところで門残払いされるか、情報の流出を防ぐために俺を監禁するか」


「となると別の方法で情報を入手するしかないな。君が盗み聞きしたみたいに。それと、この前頼んだ裏帳簿の件、見つかったか」


「何とか探してみてはいるが、やっと裏サーバーにアクセス出来たところで……これからファイルを片っ端から探すからもう暫くかかるかも知れない」


「いや、裏サーバーに入れたのは上出来だ。こっちも手が空いたら一緒に調べるよ。それと……」と右手首に装着しているリストバンドを指差した。


「ああ、いつもの用事ね。どれぐらいで戻って来るの?」


「一時間以内には必ず。それまでの間に頼みたい」


「分かった。任せてくれ」


 綾川と別れた後、木々が鬱蒼と生い茂るとある山の麓を訪れた。東は小さなスコップで土の中を掘り、埋められていたステンレス製の小箱を取り出す。中身を開けたら透明な袋に入っていたスマホがあり、袋から出して起動して電話をかけた。


「こちらレイヴン。応答願います」繋がった電話の相手にそう名乗った。


<こちら本部。レイヴンさん。お話をする前に、盗聴器を付けられていないか、見知らぬ者に尾行されていないか、もう一度身の回りを確認してみてください>


「ご安心ください。研究所を出る前に盗聴器や発信機といった類のものは付けられておらず、尾行して来る者もいません。現在私の右手首に付いているリストバンドは細工済みです」


<分かりました。では早速、そちらの進捗はいかがですか?>


「やはり本部の見立て通り、秘密裏に人体実験が行われていた模様です。確認できたもので四人はいるようです。一人はここの研究所の管理下に置かれていますが、残りの三人は捜索中とのことでした」


<逃げ出したということですか>


「その辺の経緯もこれから調べる予定です」


<分かりました。それと、一緒に行動しているその方に関する詳細なデータを全て私に送っていただいてもよろしいでしょうか?>


「この後直ちに暗号化して送信します。それから裏帳簿の在処も調べてみましたが、どのパソコンからもアクセスが出来ない状態になっております」


<そうですか。思ったよりセキュリティーが堅いようですね。それを管理する方はいませんか? 多少の脅しが効きそうな職員とか>


「名簿は入手できました。ですが、どれも若い研究員ばかりで一新されています。一切の証拠を消すために人員を一斉にリストラして、体制の立て直したのではないかと思われます」


<揉み消されていましたか。分かりました。こちらでも古いデータを辿って何か見つかり次第連絡を入れます>


「私も可能な限り、データの保管に関わった人物に当たって聞いてみます。それでは」と言って電話を切る。通話を終えるとまた袋に入れて箱に仕舞い穴の中に埋め込んで土を被せた。盛り上がっていた土を丁寧に均して、あたかも最初から穴なんて無かったかのようにした後、何食わぬ顔でその場を去った。


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