第2話 毒親とクラスメイト
反対側の歩道で電柱にぶつかる男性がいたので、その様子を見た城崎がお腹を抱えながら大笑いした。その男性は歩きスマホをしていて、目の前の電柱に気付かずぶつかってしまった。
「俺さ、ああいう風に他人がふいにつまらないことをしてぶつかったり、すっ転んだり、足を踏み外したり、くだらないミスで上の立場の人間に叱責される場面を見ると何だか清々しい気分になるんだよね。ざまあみろって感じでさ。分かる?」
「……うん」
悩んで考えた挙句、半ば賛成だとも捉えられるような曖昧な答えを言ってしまった。確かに分からないでもない。人は誰しも追い詰められたり、切羽詰まったりするとやるせない気持ちになり、つい人にあたってストレスを発散させてスッキリしたい時がある。他人の不幸は蜜の味とも言う。
だから人が思わぬ失敗や失態を犯してしまうと笑い飛ばしたくなる気持ちは理解できた。だがこの男の場合は度が過ぎる程悪質で、ちょっと魔が差したというレベルではない。まるで好きな芸人が出演しているお笑い番組を見て笑うのと同じように楽しんでいるようだった。
城崎は、学校では常にトップの成績を叩き出す秀才でスポーツも万能。そしてその甘いマスクとルックスから、男性アイドルのような絶大な人気を誇っていて学校内外にファンは多い。しかし、裏の顔を知っているのは洸太を含め数人しかいない。あるいは本性を知ってはいるが、その圧倒的なカリスマ性によって霞んで見えなくなっているのかも知れなかった。
人づてに聞いた噂だが、彼が小学校低学年の頃に人目の付かない夜の踏切に行き、面白半分で線路の上に石を積み上げて電車の脱線事故を起こしてそれを近くの物陰に隠れて楽しそうに笑いながら見ていたという。
脱線した列車に乗車していた人の多くは幸い軽い怪我で済んだ。監視カメラも無く、目撃証言も無かったことから彼が捕まることは無かった。本当に彼がやったかどうかは不明だが、彼の素行の悪さを見ているとそういった事件を起こすのも不思議ではないなと洸太は納得した。
「でも腹立つのがさ、他人のミスがこっちに飛び火してしまうことだよね。自分で蒔いた種なのにさ。そう思わない?」
「……そうだね」城崎の機嫌を損なわないように適当に相槌を打つ。
「今回の岡部の失踪だってそうじゃん。まるで俺たちがあいつを追い詰めてしまった感じになっちゃってさ」
洸太は黙って聞いていた。
「どうせどっかの山小屋にいるんだよ。あるいはもうこの世にいないか。お前はどう思ってるんだよ」
「別に、何とも思ってないよ。こんな時期に人の事なんていちいち気にしてられないから」
「でもさ、よく話してたじゃん。情は無いの?」
「僕はただ彼の話に合わせただけ。よく話しかけてくるから。勝手に気が合うとでも思ったんじゃないかな」
「確かにあいつ誰とでも気さくに話しかけるから見ててイライラするよな。三軍のくせにヘラヘラしやがってよ。本当に鬱陶しかったわ。でもまさか、グループチャットから追い出して、全員で徹底的に無視したり、鞄に落書きしたりして果たしてどう反撃してくるかと思いきや失踪してしまうなんて。それでも男かよって感じで本当情けないよな。
もう心の底から笑い転げたよ。ていうかいい迷惑だと思わない? あいつが勝手に行方不明になっただけなのに何で俺たちが先生や警察に責められなきゃいけないの? おかしくない?」堰を切ったように浩紀への悪口が止まらない城崎だった。
浩紀は静岡県南伊豆町の海沿いを通る県道十六号に面した横島岬という小さな岬を訪れ、そこで消息を絶ってしまったという。現在もその周辺で警察による捜索活動が行われている。
「まあ、どの道目障りな奴が一人いなくなったから今更どうでもいいけどね。これでクラスはまともになるだろうし。俺のお蔭だな」と自慢げに言う。それに対し洸太は呆れた様子で「そうだね」と素っ気なく返す。
城崎は絵に描いたような典型的ないじめっ子で、彼が暴君として頂点に君臨して支配するクラスはさながら独裁国家の縮図のようにも見えた。
彼が今の地位まで上り詰めることが出来たのは、一年生の時に地毛が茶色の学生に担任の先生が「染めろ」と詰め寄ったことに腹を立て、「人を見た目ではなく中身を見てほしい」と反論して熾烈な押し問答を繰り広げた末に先生を土下座させてしまい、地毛に対する校則も変えたという伝説を持っていて、その出来事がきっかけで一躍有名になり、いつしか皆に慕われるようになった。
勢いに乗った城崎は学校をより良くしたいという思想が強くなり、更に多くの人望を集めカリスマ性を身に付けていき、PTA会長である彼の母親の強い推薦もあって見事生徒会長に選出されることになった。こうして城崎の帝国は出来上がってしまった。
商店街を通って右に曲がると川が見えてきて、二人は川のほとりに佇む古びた木製のベンチに座る。
「はい、口止め料」そう言って城崎がすかさず掌を差し出す。
「え、幾ら」
「じゃあ特別に五千円で良いよ」と軽々しく言う。洸太は二軍の立場を守るために従わざるを得ず、ゆっくりとした動作で財布を取り出して中から五千円を城崎に渡す。親や学校にも秘密でアルバイトしていることを知られたことへの口止め料であった。
「献上金は」と真顔で訊いてきた城崎に対して「献上金?」とオウムのように返し、城崎がわざわざ洸太の方へ近づいた意図を想起した。その時、後頭部が痒くなったので右手の人差し指の爪を立てて掻く。
「いつ払ってくれるの? 払ってないのはクラスで君だけなんだよね」
「もう少しだけ待ってもらいたい。近日中には必ず払うつもりだからさ」
「じゃあもう暫く待っててあげるよ。遅れたらその時点で三軍に格下げするから気をつけな」と立ち上がって歩き始める。
「あっ、親には俺と勉強していたって言っていいから」そう言い残して満足げに帰っていった。
その晩、母親の礼華が洸太の帰りを知ると、すぐさま玄関に直行して洸太に会うや否や怒号を飛ばした。すると洸太は慌てながら城崎に言われたとおり親に伝え、証拠として彼に電話して事実確認を取ってもらったが表情は晴れないままだった。どうやら電話口の城崎は「会ってないです」と嘘を吹き込んだのだろうと察した。母親は音を立てて固定電話を戻す。
「今朝、私が返って来るまで家の掃除も済ませておいてねって言ったのを忘れたの?」
「……いいえ」
「とぼけないで。どうしてそんな嘘をつくの。それで私に逆らうつもり? 冗談じゃないわよ!」と憤慨して一気に畳みかける。つい目を逸らして俯く洸太。
「家事をやれって言ったのに何でやらなかったの、ねえ! 私の言うことが聞けないならとっとと出ていきなさい! そしてもう二度と帰って来ないで!」
最後の言葉が心にグサっと刺さった。こんなこと言われたら「じゃあ出ていきます」と言いたくなるが、洸太は何も言い返せずグッと堪えることにした。これを機にスマホのGPSで常に監視される生活が始まった。
ある時期を境に、母親は洸太に対して暴言や失言を吐くようになった。親子関係の心理学によれば、「子供を傷つけてはいけない」や「良い母親でいなくては」と自分に厳しくしているうちにそれが限界に達すると失言が口を衝いて出てしまうことがある。
このような場合は、「顔で笑って、心で泣いて」という心理状態にあるため、どれだけ溜め込んでいるのかを周りの人間には気付いてもらえず、突然の大爆発で周囲を驚かせてしまうことに繋がる。
母親の場合はそれすら通り越して失言や暴言を「悪気無く」言うことが常態化してしまっている。失言が子供の心に突き刺さる重みを理解する感覚が麻痺してしまうと、何の躊躇いもなく悪い言葉を浴びせてしまうという。
毒舌や失言を浴びせられたら誰でも嫌な思いをしてしまう。大抵の親たちは、立場を逆転させて子供が傷つくかどうかを考えるという。もしうっかり言いそうになったらそれを喉元でストップさせ、一呼吸置いて言葉をグッと飲み込む努力をするものだが、言って良いことと悪いことの区別が出来なくなってしまっているようではにっちもさっちもいかない。言うなればブレーキが無い暴走機関車のようなものだ。
内緒でアルバイトを行っているのは、自分に置き換えて改善する努力をしない母親の支配から速やかに解放されて自由の身になって自立した生活を送り、自分の人生を好きなように生きたいからだった。
受験生としての自覚やプライドなんて微塵も無く、一生母親に隷属するつもりも毛頭無いと心に決めていた。
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