ネオナイト -The Neoknight-

天ノ崎䌢

第1章 光山洸太

第1話 光山洸太


「ボーっとするな、光山!」チームメイトにそう呼びかけられ現実に舞い戻った時には、既にボールが顔面に直撃して後ろに倒れた。大きな弧を描いて結構なスピードで落下してきたため、一時顔中に激しい痛みを感じるも、即座に薄れていった。周りの人々もその様子を見てざわざわし始めている。


「大丈夫か?」と先生が駆け寄って声をかけてくれたが、光山洸太みつやまこうたは「平気です」と返して何とかプレーに意識を戻すも、視点が定まらずよろけてしまう。先生が気を遣って保健室に行くように勧められたので体育の授業を抜けた。


 大袈裟のように思えたが、ここは大事を取って先生の言う通りに従って渋々行くことにした。普通なら誰でも反応出来る筈のパスをほんの二、三秒ボーっとしたことでそれが出来なくなってしまう。身から出た錆とは言え近頃やる気が起きず、集中力が足りないと自覚している。

 

 やはりあのことが頭から離れられなかった。それほど強烈な印象を残していた。中でもこの事態への対応に頭を抱え慌てふためいていたのは他ならぬ教職員たちだった。


 事なかれ主義の教職員たちは予期せぬ緊急事態に狼狽した挙句、それぞれ自分に非が及ばないよう互いに責任を転嫁して自分自身の保身に走る呆れた対応を取ったのだった。

 

 岡部浩紀おかべひろきはごく普通の家庭で生まれ育ち、社交的で親しみやすく、クラスの皆にとってはムードメーカー的な存在だった。小学校と中学校が一緒だったことから洸太と浩紀は昵懇の間柄にあった。

 

 ある日の授業中。騒いでいた一軍の生徒に対して物怖じせず大声で堂々と注意したことがあり、彼こそがこの陰湿な階級制度を破壊してくれる希望の存在であると誰もが信じていた。

 

 ところが、その出来事がきっかけで浩紀に対するいじめが始まった。トイレで冷水を浴びせられ、体育のドッジボールやサッカーでは集中攻撃を受け、後ろから豪速球の如く腐った卵を投げつけられ、机に油性ペンで「死ね」といった罵詈雑言を書かれ、鞄の中身を教室の窓から投げ捨てられることもあった。


 また、学校中に浩紀が万引きしたという動画が流出し、更に浩紀が自分の父親を殺したというにわかに信じがたい噂が広まり、先生やクラスメイトから疑惑の目を向けられて一気に孤立していった。

 

 勿論例の動画は浩紀の「抵抗」で恥をかかされたスクールカースト一軍の城崎たちが、仕返し及び見せしめとして作成したフェイク動画だったが、それでも浩紀は気にせず平然とした態度を取り続けた。


 しかし、そんな浩紀に自分の父親を殺したという噂が学校でも話題になったことで行方を晦ましてしまった。

 

 これによりクラスの誰もが密かに抱いていた希望も儚く散った。この学校に深く根付いていたスクールカーストという悪質で陰湿な環境で定められた“三軍”という非情な位が彼の心を蝕み、追い込んだとしか考えられなかった。

 

 この騒動を機にいじめが露呈し、世間は恵倫高校の教育体制の問題を非難するようになった。報道陣も詰めかけて生徒や教員がマスコミに連日追われるといった落ち着きのない日々に悩まされた。テレビでも毎日のように報道され、様々な憶測も飛び交った。


 浩紀の失踪事件から一か月が経ったとある平日。浩紀の件について話題に上がることは殆どなくなり、熱りも冷めて漸く元の日常に戻りつつあった。


 とある日の授業中。昼休憩後だったということもあってクラスメイトの何人かはうたた寝していた。洸太は先生の授業を受けている時突然頭痛がしてきた。不定期で襲ってくるいつもの頭痛だった。「またかよ」と洸太は声に出してしまいそうになった。

 

 授業中に頭痛がするのはこれで何回目だろうか。痛みがどんどん増してきて授業に集中できない。頭痛薬を飲んでも治らないが、暫く横になって休めば治まるようなものだった。


 ここは早いうちに授業を抜け出して、保健室に行かないと更に痛みが伴って倒れて悶絶してしまうだろう。洸太は痛みに耐えながら恐る恐る手を上げて先生の授業を中断する。

 

 クラスメイト全員が気になって一斉に洸太に視線を向ける。「どうした光山」と先生に聞かれた。授業を途中で中断されたことに明らかにムッとしているのが伝わった。


 洸太は頭に手を当てながら小さな声で申し訳なさそうに「頭が痛いので保健室に行きたいです」とお願いする。先生が呆れた表情で瞬間的に「はぁ」と深い溜息をしてみせた。


「光山君。君これで何回目?」


「三回目、です……」別に目立ちたいからといってわざと演技しているわけではない。そもそも演技力には自信なんて全くなかった。かといってその先生が嫌いで授業の邪魔をしたいわけでもなかった。これは仮病ではなく今にも頭が割れてしまいそうなぐらい本当に痛いという主張だった。


「そうだよね。もうテスト近いんだよ。もっと気を引き締めてもらわないと困るんだけど」


「はい、でも……うっ」と痛みがピークに達して倒れそうになる。その時教室にある窓ガラスや、机や椅子といったありとあらゆるものが振動し始める。「えっ、地震?」と天井を仰いで怯える生徒が何人もいた。


「うん。じゃあ、もういいよ行って。その代わり今やってる作品を丸ごと原稿用紙に書き写して来ること。分かったな」しんどいということが伝わったのか、なんとか授業を抜けることを許してもらった。


 洸太はすぐさま立ち上がって教室を出たところで授業が再開され、謎の振動も収まった。ゆっくりとした足取りでそろりそろりと保健室へ向かい、保健室の先生に温かく迎えられて痛みの具合を話してそのままベッドに横になる。

 

 酷いときは授業を受けず半日ぐらい寝て過ごす日もある。今日も保健室のベッドで二時間ほど休んだ後、目を覚めたら嘘みたいに痛みは消えていた。時計を見てもう午後の三時を過ぎていたのに気付く。


「この間の怪我、その後の具合はどう?」保健室の先生が訊ねた。


「ああ、お陰様で治りましたよ。あれぐらいの怪我なら数時間で元通りになります」


「そう、なら良かったね。でも以前より頭痛と目眩が酷くなったんじゃないの? 念のため専門の病院に行ってみたら? 受験に響いたら元も子もないし」


「そうですね。考えておきます。ありがとうございます」

 

 体調が落ち着いたので、教室に戻るとホームルームも終わってクラスメイトたちは帰りの支度を始めていた。

「よう、光山」城崎真しろさきまことが前席のクラスメイトの椅子に跨るように座り、気さくに話しかけてきた。


「ホームルーム終ったんだね」


「特に連絡事項は無かったよ。それより最近休みがちじゃん。風邪?」そう聞かれた洸太がたまらず咳込む振りをする。本当のことを話すことは出来ない。話したところでどうせ信じてもらえないだろう。結局は鬱などと同じで決して他人には理解してもらえないのだ。


「うん、ちょっとね」


「これ以上休んだら受験に障るぞ。まあ、お前の事だから心配するだけ無駄だと思うけど」


「一応なんとか付いていけてるから」


「流石優等生だね。ところでこの後時間ある? 一緒に本屋でも行こうよ」

 

 彼から誘って来るということは、きっと何かを企んでいるに違いない。怪しい臭いしかしないが、ここで断ってしまったら自分のこのクラスでの立場が危ぶまれてしまう危険があり、どの道断れなかった。ちょっと考えて「いいけど」と返す。

 

 そうして二人で帰ることになったが、二人は微妙な間隔を開けて歩いていた。思えば、男子女子問わず他の生徒にも同じことをしているのを何度も見かけたことがある。弱みに付け込まれてお金をせびられたのだろうと容易に想像できた。


 そうやって城崎に目を付けられた人たちは皆悲惨な目に遭い、抗うことも出来ず泣き寝入りするという悲しい運命を辿る。

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