第25話 消された夢

「ハハハッ! このコンビのネタおもしろい!」


 テレビから流れるお笑い番組に姉さんは顎周りの皮膚が張るほど顎を下げながら爆笑していた。その片手には小さめの白いフォークが

握られている。 姉さんの顔下にある四角い座卓にはコンビニで買ってきたたらこのパスタが置かれている。随分美味しいのか普段のコンビニ食と比べて食べる速度が異常に早く、残りわずかだ。その姉さんの向かい側に座っている俺の手元には同じコンビニで買ってきたカルビ弁当がある。姉さんのたらこ弁当よりも高額だったが今日は食欲が湧いていたので奮発した。といってもいつもより数百円程度高いだけなのだが。


 俺はいつもよりゆったり目に夕食に口をつけながら、慎重に姉さんの笑う光景を観察していた。テレビで披露されるネタは絶妙に面白く普段なら間違いなく姉さんと共に笑っている場面だ。だが今はとある目的があるため、頭は冷えており今の俺に笑う隙は微塵もない。


「やっとネタが終わった。本当に濃度が濃いネタで腹が痛い。次のコンビは……初めて見るコンビ」


 前のコンビのネタ披露が終わっても姉さんの興味がテレビから消えることはなさそうだ。俺は壁にかけられた時計に目をやる。放送時間の残りにはまだ余裕があった。このままだと放送が終わって姉さんが寝てしまう展開となる。姉さんの邪魔をすることは理解した上で俺は言葉を発し姉さんの気を引こうとする。


「姉さん聞きたいことあるけど今いいかな?」


 顔つきから笑いの文字は微かに残りつつも冷めたような眼差しでこちらを向く。明らかに視聴を止められて不機嫌になっているのが丸わかりだった。多少心は痛みつつも目頭を寄せつつ瞼をある程度閉じて顔の前で両手を合わせて申し訳ない気持ちを精一杯表現する。姉さんの頬は風船のように膨らんでいたが、俺の誠意が伝わったのか急激に萎れて無表情の姉さんが残った。


「聞きたいことってなに?」

「姉さんが高校時代に父さんと揉めていたときのことが聞きたい」


 気合を入れるように座卓の下の腰に手を当て噛まないように慎重に要件を告げていく。予想はしていたが要件を聞かされた姉さんはあまり乗り気ではないようで無言のまま再度テレビの方に視線を向ける。俺は姉さんが話し合いに応じると信じてその様子をただ見守っていた。あまり父さんのことは話したがらない姉さんだが、家を出るきっかけとなったこの件には特に触れられたくないはずだ。二分ほど笑いもせずテレビを眺め続いていた姉さんは座卓に置かれていたリモコンに向けて腕を伸ばす。だがリモコンに手が触れるとリモコンを掴みもせず虚脱したように動きが静止した。


「姉さん大丈夫? 姉さんには話しづらいことなのは理解しているけど、話すのが辛いなら無理はしなくていいから」

「気を配ってくれてありがとうね。けどもう大丈夫だから」


 俺と顔も合わせずに返答する。耳に入る声の音量はいつもと変わりなく心境的に落ち着いたように聞き取れた。リモコンをようやく掴み人差し指でそっと電源ボタンを押した。テレビからお笑い芸人の声が消え部屋は一旦静かになる。姉さんは背筋をしっかりと伸ばすように座り直して俺と向き合う。俺も釣られるように綺麗な姿勢を心がけるように姿勢を正した。話を持ちかけたのは俺のはずなのに正視してくる姉さんから物凄い覚悟が伝わってきたような気がして緊張し体中に無駄な力が入ってしまう。


「だいたいの経緯は松貴も把握しているはずだけど、当時高校三年生だったわたしは中学校からやっていたバトミントンを大学でも続けたかったの。理由としては高校では際立った成績は残せなかったけど中学の時は全国大会にも出場できたからどうしても大学で結果を残して大学卒業後もバトミントンの実業団がある会社に入社したかった」


 説明を始めた姉さんの語気は声を出せば出すほどきつくなっていき、声が耳を通過するたびにそのうちに口調が荒くなるのではないかと恐れるほどだった。


「そこまでは俺も知ってる。けど父さんは反対したんだよね。スポーツ選手は不安定だって」


 俺は冷静を装いながら声を出すが、話の触りだけで父さんへの強い憎しみが明確に伝わってくるとは思ってもいなかった。


「ちょっと感情的になってたね。ごめんね」


 姉さん自身も自分の変化を実感していたようで物静かで和やかな声で謝ってきた。いつもとは違う姉さんの荒れた雰囲気に怯えている自分がいたため、雰囲気が元に戻って安堵すると背中から力が抜けて無意識に背中が後側に傾く。そして姿勢が崩れる体を支えるように腰付近で右手をついた。姉さんは息を整えるように軽く呼吸をすると話の続きを口にする。


「父さんはね、どうあがいてもわたしがバトミントンを大学で続けることに反対だった。理系教科が得意だったわたしには理系の学部に進むよう何度も勧めてきた、というか要求してきた。何度もそれを否定したけどバトミントンを続ける気なら大学の学費は出さないって言われて最終的に折れるしか無かった。結局お金を払うのはわたしじゃなくて父さんだから従わざる得なかった。今でもバトミントンの試合を見る度にラケットを握ることを諦めた自分を悔やんでる。それと同時にわたしから選手としての道を塞いだ父さんを許せない」


 後悔の過去を反映した鈍い瞳を隠すように姉さんは目を細めやや俯きながら語っていた。語気に乱れはないが耳に入る言葉は雪のように寒く凍えるような感覚に陥る。そして最後の「許せない」を発せられたとき俺は姉さんの言葉に夢を奪われたもう一人の兄弟として同情せざる得なかった。


 話を聞き終えた俺は「教えてくれてありがとう」といつも以上に丁寧に感謝の言葉を伝えた。


「父さんのこと話したら色々な感情が出て疲れたよ」


 そう言うと姉さんはくつろぐように床に両手を付いて天井に見上げる。喉が渇いた俺は机の上の置かれていたグラスコップを手に取ると口にお茶を流し込む。喉が潤ったところで口からグラスコップを引き離すと、姉さんの話で引っ掛かった点を思い出すと姉さんを視界に捉える。姉さんは既にテレビ番組を見ながらこっちに気づかず夕食の続きを食べていた。引っ掛かった点を姉さんに伝えるべきか悩んだがこれ以上父さんの話を続けるのは姉さんに余計な負担をかけると懸念しそれを口にすることはなかった。

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