第22話 もう一人の家族

 アルバイトから帰った俺は仕事で遅くなった姉さんとコンビニの弁当を晩飯として食べていた。


「今やっている仕事作業量が多くて納期に間に合うか不安だよ」


 向かいの席に座っている姉さんは箸を握ったまま仕事の口を零している。姉さんと二人暮らしてから社会人がどれぐらい大変を姉さんからこういう形知る機会が増えた。そのたびに俺は社会人として働くことに不安を覚えつつも、姉さんも頑張っていると尊敬していた。


「社会人も大変だよね。その仕事早く片付くといいね」


 姉さんに同情の言葉をかける。険しい表情の姉さんは表情を変えないまま「頑張るね」と心細そうに口にするとガラスのコップに注がれたお茶を一気に飲み干す。思った以上に今の仕事に苦戦しているのが俺のにも丸わかりだった。


「仕事で困っている時期に聞くのも悪いけど一つだけ聞きないことあるけどいい?」

「何を聞きたいの?」


 頼み事をされた姉さんからは険しい雰囲気を散っていき平静さを印象づける空気が醸し出される。弟からの頼みごとがあればすぐに気持ちを切り替えてくれる姉さんは信頼におけるが、これから尋ねる内容は口にしづらく唾を強く飲み込んで心を落ち着かせてから話を切り出した。


「言いづらいんだけど、父さんと和解できないのってやっぱり進学希望を否定されたから? 家出してからずっと家族のこと考えていたけど姉さんが和解できない気持ちをはっきりと聞いておきたいんだ」


 姉さんは大学進学の際に自らの進学希望を父さんに否定され自らの進みたい道へ行けなかった経緯がある。それが姉さんが父さんを拒

む最大の要因となっていた。


「……松貴にはこれ以上負担をかけたくないから隠しておくつもりだったけどそれでも聞きたいの?」


 姉さんは箸を丁寧に揃えて弁当の上に載せると注意喚起をするように聞き返してくる。姉さんが父さんに進学希望を否定された場面は俺も何度も見てきたからある程度の事情は把握している。俺が知りたいのはあくまで父さんとの和解に対する心境だ。それなのに姉さんはまるで新事実があるような口ぶりで話している。俺は姉さんの言葉遣いに微妙な違和感を抱きながら短く「教えてほしい」と答えた。


「おじいちゃんが回復するまでは話す予定はなかったけど、借金の返済も手伝ってくれてから全部教えるね」


 姉さんから「おじいちゃん」という言葉が出てきたとき瞳は姉さんを捉えているのに姉さんに焦点は定まらなくなり、頭の中に姉さんが発した言葉の意味合いに関して様々な想像が錯綜してしまう。


「わたしが借金しているのはおじいちゃんが入院しているのが関係しているの。おじいちゃん今入院しているんだけど、元々おじいちゃんには借金があったのだけど、入院して借金を返せなくなってそれでわたしがおじいちゃんの借金を肩代わりしたのね。今松貴に返済を手伝ってもらってるのはその借金なの」


 姉さんから語られる新事実を受け取った脳中にはおじいちゃんの病状に対する不安が急速に拡散していく。そもそも小学校四年生を最後におじいちゃんとの面識は一切なかった。それは姉さんも同じだと勝手に見做していたが、姉さんは何故かおじいちゃんの現状を把握していた。目を閉じて俯くと一旦得た情報を整理する。おじいちゃんの借金。入院だけでも混乱しているのに返済していた借金がおじいちゃんとは全く予期できなかった。俺は両頬を手に当て意識の乱れを落ち着かせ、再度前を見据えた。


「借金っておじいちゃんのだったんだ。それとおじいちゃん体調大丈夫なの」


 姉さんは俺から目を背けると「今意識はないの」と心苦しいという想いが伝わってくるような震えた声で現実を教えてくれた。


「おじいちゃんとは長い間会ってなかったからたまに近況が気になることはあったけどそんなことになってるとは想像できなかった」


 記憶の中に残っているおじいちゃんは元気な姿ばかりだった。スキーが上手くて俺にとって尊敬できる存在だった。そんなおじいちゃんが意識がないまま入院しているとは信じたくなかった。


「わたしもおじいちゃんが体調を崩して入院したときはショックだったけど、意識がなくなったときは何も考えられなくなった。わたしとしては早く回復してまた話したいんだけどね」


 どうしておじいちゃんが入院していることを今まで黙っていたのかには正直なところ疑問が生じていたが、姉さんとしては俺に心配をかけたくない意向があったのかもしれない。借金返済も中学生の頃、姉さんの家を訪れた際に消費者金融の資料を目にした俺が高校入学後は借金の返済を手伝うと強引に申し出たためだ。当時の姉さんは申し出に否定的であり、何度か会ってようやく容認された。俺としては世話になった姉さんの力添えになりたくて申し出ただけだった。もっとも借金の総額を聞かされた際は額が大きくて困惑はした。姉さんから真実を伝えられた俺はこの際全て聞いておこうと考え姉さんにおじいちゃんが借金した理由について尋ねる。


「姉さん、そもそもなんでおじいちゃんは借金をしてそしてなぜ姉さんがそれを肩代わりすることになったの?」


 姉さんは過去を思い返すようにテレビの黒い画面に映り込んだ自分に淡そうな視線を当てた。

「松貴は知らないかもしれないけどおじいちゃん昔は個人でジムを経営していたの。だけどそのジムが経営不振で倒産して借金が残ったのね。それでおじいちゃんは一人で借金を返していたの。だけど体調崩して入院してからわたしがその借金を引き継いだのよ」


 姉さんの説明を聞いて俺はかつておじいちゃんからジムを経営している趣旨の話を耳にした微かな記憶を思い出す。


「おじいちゃんからそんな話を聞いた覚えはあるかな」

「松貴知っていたのね。まあ借金自体はおじいちゃんがある程度返済していたから肩代わりした分は本来はわたし一人で余裕で返せるはずの額だった。もちろん額としては決して小さくはないけど、月収が良かったからね不安はあんまりなかったはずだった」


 姉さんは自分を責めるように深くて長いため息を吐く。


「けど姉さん病気で体調崩して八ヶ月ほど入院してたから収入源減って借金返済が厳しくなったの?」


 二年前に姉さんに起こった不幸を指摘すると姉さんは黙って首を縦に振ると、借金の続きについて説明しだした。


「わたしが休職している間給料はなくなって、代わりに傷病手当金を支給されていたんだけど、おじいちゃんの借金を支払うとなると生活費が苦しくなってね、それで消費者金融にお金借りていたの。わたし自身の借金は自分で返すつもりでいたから松貴にはおじいちゃんの分の借金返済手伝ってもらっていたの。本来なら手伝ってもらう時点事実を教えたかったけど、万一松貴からお父さんにおじいちゃんのことばれると事態がややこしくなりそうだから本当のことは黙っていたの。ごめんなさい松貴。借金の返済が終わったら松貴に負担してもらった分はわたしが返すからそれで許してもらえると助かります」


 姉さんの瞳は一直線に瞳を捉えると姉さんは背中を深く丸めて謝罪した。視線が重なった瞬間の姉さんの瞳からは強い反省が伝わってきたような気がした。謝られることを想定していなかった俺はすぐさま「金は返さなくていいし嘘つかれたことは気にしていない」と姉さんに気遣う。


「松貴は優しいね。けどお金だけは流石に返済させてね。改めて考えるとまだ学生の弟に借金返済を手伝わせるのはやっぱり気が引けるから。それと松貴のおかげで借金返済ももうすぐで終わりそうだから、稼いだお金は自分のためだけに使ってね」


 告げられる姉さんの意向。俺はそれを認める気はなかったが、姉さんの本気の顔つきに押されてしまい、「わたった」と了承せざる得なかった。「ありがとう」と手短に姉さんは感謝を語ると気を抜くように背筋をたるませる。


「この際だからおじいちゃんのこと最後まで話しておくけど、おじいちゃんが入院して借金返済がおじいちゃん自身で困難になったとき自己破産って選択肢もあったんだ。だけどそれだとおじいちゃんの持ち家まで手放すことになるからそれは避けたかったんだ」


 物懐かしそうに話していく姉さんの口元は綻んでいた。おじいちゃんの持ち家という言葉が脳に入ってきた瞬間、俺自身も不思議と小さい頃よく訪れていたおじいちゃんの家が無性に恋しくなる。


「俺もおじいちゃんの家が売られるのは嫌だな。また行きたいし」

「わたしも実家よりもおじいちゃんの家に思い出が一杯あるから売りたくなかったの。また松貴やおじいちゃんとあの家でご飯食べたり、話したりしたかったから。おじいちゃんも家族との思い出がある家を売りたくはなかったみたい」


 おじいちゃんを慕っていた俺と姉さんならおじいちゃんとご飯を食べている光景は間違いなく全員が笑っていると言い切れる。だがその三人だけで本当にいいのかと心の奥底に詰まったような感覚がして素直に納得できなかった。


「このことお父さんに言っておじいちゃんと関係を見つめ直してもらうことはできないかな。それで出来れば姉さんと和解するきっかけになればいいと思うし」


 姉さんからおじいちゃんの話を聞かされる中で湧いてきた一つの案。我が強すぎる父さんであっても親が入院していると告げられたら考えを折る期待があった。この案を伝えられた姉さんは唇を噛み締めたまま沈黙し、そして俺の案を懸念するように睨みつけるほどではないが力強くこちらを見据える。見つめられ続ける俺は姉さんにとって気に食わない案だと自覚しながらも、視線を逸らすことなく姉さんの口が開くのを待ち続けた。二十秒程度時間が経つとパッと唇と弾く音を立てながら姉さんが口を動かす。


「いくらおじいちゃんが入院してると聞いても父さんは見舞いすら行かないはずよ。今までおじいちゃんの元に父さんから連絡きたことすらなかったのよ。もちろんおじいちゃんの実家の電話番号は一切変わってないし、お父さんはね、おじいちゃんを見限ったのよ」


 口を開いた姉さんの語気はあまりにも鋭く俺は一瞬尻込みしそうになった。だが話し終えた姉さんの頬に張りはなくなって弛み、力を失ったように瞼は下がり微かに伺える瞳からは切なさを感じざる得なかった。


「ごめんね。俺の考えが浅はかだったよ。だけどここで諦めたら一生家族が仲直りする機会はない気がするんだ。俺としてはせめて連絡ぐらいは取り合う程度の関係に戻って欲しい」

「わたしは父さんと話す気すらないけど、松貴の行動を止めはしないよ。おじいちゃんは少なくとも父さんのことが気掛かりだったみたいだから、おじいちゃんの観点からすれば父さんとまた会いたいはず。それと今日おじいちゃんのことに関して全部話そうとしていたけど、お父さんと話し合う気ならお父さんとおじいちゃんが疎遠になった原因を直接お父さんに聞くといいわ。だけどそれを聞いても落ち込まないことね」


 姉さんは俺の行動に不安を抱いているように額に手を当て息を吐くと、しばらく口にしていなかったコンビニの弁当に口をつけた。姉さんからの教示とそれに伴う忠告に俺は感謝しつつ失敗しないように気を引き締めた。

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