第20話 情熱と現実

 半袖でも立っているのが多少辛いと思えるほど空からの日差しが厄介と感じるほど太陽は勢いづいている。俺の居る場所は巨大な広場となっており少し離れた背後には独特の形状をした建造物がある。その中で行われるプログラムを待ち遠しにしているであろう人々が朝から集っている。俺もその一人だが手に握っているスマホの時間帯は待ち合わせにはまだ早かった。以前にも似たような経験があった気がするが、そのときは確か日曜日だった。もっとも今スマホの画面に表示されている曜日は土曜日だ。


 今日はオーバサイズの白いシャツとサイズにゆとりのあるベージュのチノパンに身を纏っている。家出したとき外出着をあまり持ってきておらず服装に悩んでいたところ姉さんに通販サイトでコーディネートしてもらった。


 待ち合わせまではまだ時間はあるが心臓は高鳴り一秒でも待てないように気分になっていた。


「あっ、松貴くんおはよう。集合時間よりも早いけどかなり待ってた?」


 背中側から耳に届く聞き慣れた声。その声を聞こえるのはまだ先だと考えていた。だが以前も予定よりも早く集合したことを思い出せば予期できたことだ。声に引っ張られるように体を後ろへと捻る。そこには淡いピンクのプルオーバーと黒のロングパンツを身に着け、紐のついた革バッグを斜めに肩に掛けている栗之先輩が立っていた。栗之先輩の晴れやかな顔が目に映る。それに釣られて俺の表情はもちろん声まで元気になる。


「おはようございます。俺も先来た頃ですよ」

「相変わらずわたしたち待ち合わせるの早いね。次はもう少し遅く来るように努力しないとね」


 面白げに笑う栗之先輩を見て俺も「遅く来るような努力っておかしな表現ですね」と一緒に笑う。このやり取りをしている間は俺の心は普段以上に安らぎを覚えている。何ならプラネタリウムに入らずにこのまま話していても飽きない自信が不思議とあった。


「それよりも今日はプラネタリウムに誘ってくれてありがとうね。小さい頃に行ったきりだったから今日は物凄く楽しみにしていたんだ」


 日差しが眩しいのか栗之先輩は片手で目を覆う。誘ったときは断られるか不安だったが先の言葉を耳にできた嬉しい限りだ。


「俺は一度も行ったことないので今からワクワクしてますよ」

「行ったことないんだ。だからプラネタリウムを選んだの?」


 栗之先輩の何気ない推測に「まあ色々考えてここにしました」と冷や汗をかきそうな思いに陥りながら言葉を返す。流石に姉さんの提案で誘ったとは明かしにくい。だが栗之先輩は今の所楽しみにしているため、姉さんには帰宅したらお礼を言っておこう。


「まだ時間あるけど、先にチケット購入しない?」


 栗之先輩は顔でプラネタリウムが上映される科学館を指す。上映時間まではまだ時間はあるが立ち話を続ける理由も特にないの俺は「いいですよ」と要望を受け入れた。俺達二人は科学館に向かって歩み始めるが栗之先輩の横顔が自然と目に入る。姉さんはプラネタリウムでリラックスするよう提案したが、今はリラックスよりもただ単にこの時間を十二分に満喫したい気持ちが勝っていた。


 段差式の座席に腰掛けながら俺は初めて見るプラネタリウムのホールを物珍しそうに見回していた。写真などでしか目にする機会がなかったホールはドームの形状をしており想像必要に広い空間となっている。まだ上映が始めっていない明るいホールの段階でもプラネタリウムに圧倒された気分になる。


「松貴くん天井を見上げてばかりだけどまだ上映始まってないよ」


 顔を仰向けている俺に栗之先輩は微かに笑みを浮かべながら上映が始まっていないことを指摘してくる。俺は天井に視線を奪われたまま声を出した。


「天井見ているだけで物凄いワクワクした気持ちが湧いてきてそれでずっと見てたんですよ」

「これから上映される宇宙のことを考えたら確かに楽しくなりそうだけど、今のうちから夢中になってたら途中で集中力途切れないか心配だけどね」


 上映中の自分がプラネタリウムに飽きてしまっている光景が脳裏をかすり、顔を渋めながら視線を水平線の戻す。


「わたし家に頻繁に帰るようになってからお父さんについて色々考えみたの」


 話題を切り替えた栗之先輩の方へ向くとこの話題に熟考したのだと一目で把握できるほど深みのある横顔が伺えた。俺も表情を引き締めて「それどうだったんですか」と話の続きを求めた。


「お父さんは社長としては若いけど会社の規模は大きいのね。昔はそのことに一切に気に留めもしなかった。だけどよくよく考えたら経営が成り立たなくなったら社員たちの生活にも多大な迷惑をかけかねない、そんな風にお父さんの立場になって考えたら、お父さんだいぶ仕事の件で追い詰められていたのではないかとお父さんを心配していたの」


 真正面を捉えている栗之先輩の瞳には父を憂う強い感情が込もっているように俺には伝わってきた。社長という立場は俺には未知数だが栗之のお父さんが強い責任感で追い込まれているのであれば仕事以外に目を向ける余裕がなくなっていたのかもしれない。


「小学校の頃はまだ私の面倒をよく見てくれていたけど、中学校の頃には家族には愛想が尽きたように見えた。だけどあのときの両親の話を思い出すと会社が急成長したときと重なっていたはずなの。だからお父さん会社の代表として色々と追われていたのと思うの」


 栗之先輩を推察を聞かされていた俺は以前栗之先輩のお父さんと会話したときの記憶を思い出す。娘を案じるあの顔には強い印象が残っていた。


「恐らくですけど栗之先輩のお父さんは栗之先輩のこと大切考えていると思いますよ。ただ今は仕事に追われて自分の本心を中々表に出せないだけだと僕は感じます」


 栗之先輩のお父さんへの見解を述べる。それを栗之先輩は沈黙したまま何かを考え込むように三十秒程度、目を瞑った。やがて瞼が開き目が顕になると微かにうなずくと口を開いた。


「だから一度は服飾学校の進学を許してくれたんだと思うのね。お父さんたぶん本心では大学進学してほしかったはずだから、だって中学生の頃初めて服飾学校への進学の話をしたときかなり複雑な表情してたから」


 真っ直ぐに伸びる声が一言一言耳に入ってくる。父のことをある程度理解するよう努めてきて栗之先輩の父に対する印象は変わっているのかもしれない。だからこそ父への本心を察せられたのだと俺は感じた。


 やがてホールの明かりが落ち周囲は一気に闇に包まれる。そして闇の中に無数の星々が続々と投射されていく。現代では一つの星すら貴重だが目の前の星々は架空ではあるものの本物のような存在感を放っていた。闇を照らし続ける星々は一つ一つは小さく見えるがその光輝は鮮明で力強く俺はプラネタリウムに作り出された宇宙の虜になっていた。


「凄いな。雲の向こう側にはこんな世界が待っているのか」

「やっぱり宇宙って胸が踊るね。今日来てよかったよ」


 プラネタリウムへの感動が俺達の口から溢れる。リラックスするどころか心が星々達によって満足し、もっと早く観ておけばよかったと悔いてしまいそうになる。


 栗之先輩はどのような反応をしているか気になってふと栗之先輩に顔を向ける。栗之先輩は当然の如く正面を向いているため横顔が俺の瞳に映り込む。プラネタリウムに夢中になっているようで俺には一切気づかないが、星々に惹きつけられている見開いた瞳に、気分が解れているのか緩んだ口元、そんな横顔に俺は感動していたプラネタリウム以上に見惚れてしまった。栗之先輩を視界に捉える時間が増えるほど、心臓は激しく高鳴り視線は栗之先輩へと固まっていく。


 見惚れていることが発覚する前に視線を逸らす必要があると自覚していたが、俺の意識は栗之先輩から逃げようとしなかった。徐々に精神世界には栗之先輩のことで埋め尽くされていく。この理解不能な現象に俺は困惑しそれから逃れるようにようやく真正面を向いた。そしてようやく俺の本心を認識できた。それはこの人に恋をしたのだと。近くに栗之先輩が居ると思うだけで頭も心も真夏の太陽を間近で浴びているように熱していく。結局俺はプラネタリウムが終わるまで栗之先輩に意識が傾いていた。


 科学館から出ると既に昼となっていた。今日はプラネタリウム終了後は近くのファミリーレストランで昼食を共に食べる予定を組んでいた。プラネタリウムに満足気味な様子で歩を進めていく栗之先輩を尻目に俺の頭には昼食よりも気づいてしまった自分の本心にどう向き合うか心が大きく揺れ動いていた。


「プラネタリウム本当に綺麗だったね。特に白鳥座があそこまで優雅な星座とはおもなかったよ。」


 プラネタリウムに笑みを浮かべる栗之先輩を見て体中が燃え尽きそうなくらいあ温まっていく。正直冷静を保てない俺は「確かに白鳥座はすごかったですよね。大きく翼を広げて飛んでいると考えたらなんかロマンありますし」


 白鳥座を必死に思い返して話についていく。確かに白鳥座は事前知識を凌駕する存在だった。だからか俺も印象に残っていた。


「夏の星座のキーホルダーも買ったし、家にあるバッグに付けてみようかな」


 腰の辺りにぶら下がっているバッグから買ったばかりのわし座のキーホルダーを取り出して栗之先輩は嬉しげに摘んでいた。


「そのキーホルダーオシャレで良いですね」

「デザインが本当に良いし一目惚れだったよ。そういえば松貴くんも色々見てたけど結局買わなくてよかったの?」


 キーホルダーを丁寧にバッグに収納すると気を使うように疑問を投げかけてくる。


 栗之先輩がグッズショップを見回っている間俺は離れて店内をうろついてた。だがそれはグッズ選びが理由ではなく単純に栗之先輩の側にいると緊張するのを避けるためだった。


「まあ今回はいいかなって。またいつか来たときでも買います」


 無理な笑顔を作りながら出任せを口にしてしまう。正直この場をやり過ごすことで精一杯になりつつあった。もっとも栗之先輩は「わたしもまた来たいな」可愛らしく嬉しそうにしていた。その光景を目にした俺の心で一つの答えがでた。告白しよう。もはや気持ちを伝えないまま来週以降学校で会うのは心が耐えきれない気がしていた。振られるのは怖いが、今二人きりの機会を逃せば逆に機会に恵まれない危惧感もあった。一人だけ先に歩みを止め、栗之先輩を呼び止めようとする。サッカーで激走したときですら感じられないほど心臓は鼓動周期は急激に短くなっていた。栗之先輩が止まったら「好きです」と想いを伝える。この選択肢が最善化は分からないが今は自分に素直になろうと決め込んだ。まずは栗之先輩に止まってもらうため声をかけようと喉から第一声を発しようとした。


「く――」


「お母さんとお父さんにもお土産買ったし、今度帰ったら今日のこと自慢しよ」


 俺が声を発した瞬間に栗之先輩も声を出したため、言葉が被さってしまった。話を遮られた俺だが「お母さん」と「お父さん」という単語を聞いて頭の中は急速に静まり返っていく。今は互いに家庭の事情で問題を抱えている状況であることを思い返した俺は告白を保留することを決めた。言葉が被さったことに気づいた栗之先輩は申し訳なさそうに「ごめん、話を遮って」と謝罪してくる。俺は首を横にさん回振り「用件はないので大丈夫です」と誤魔化すと「早くお店に向かいましょう。お腹空きましたし」とファミリーレストランに向かって再度歩み始める。心の憶測では告白するのは互いの問題が片付いてからだと考えていた。

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