第15話 割れた日常

 翌日、学校が休日であった俺はコンビニでATMを利用していた。昼も終わりに近いコンビニには何人もの買い物客がおり、ATM向かい側にある陳列棚には若い女性が小型のペットボトルを片手に文房具を選んでいるが来店時に視界に入った。


 俺はスマホで振り込む金額を確認しながらATMのタッチパネルを右手の人差し指で丁寧に押していく。振込金額を間違えたら後で姉さんに連絡する必要があるのでどうしても慎重になってしまう。振込金額の入力を行い残りの操作も終え振り込みが完了する。カード挿入口からはキャッシュカードが現れる。それを財布のポケットに差し込み、ATMから出てきた明細書を雑にポケットに入れると俺はATMから立ち去っている。


 コンビニでスナック菓子とペットボトルのコーヒーを購入した俺は実家の扉を開ける。家の中に足を踏み入れると廊下を挟んだ向こう側にあるLDKの部屋からサッカー実況の声と応援が玄関まで流れてくる。恐らく仕事休みの父さんが視聴しているのだろう。俺は足から靴を外し下駄箱に入れると洗面台へと向かう。その最中ソファーに座って腕を組みながら画面に視線を囚われている父さんの姿があった。父さんは生で観戦するほどではないが休日はサッカーの試合を見ていた。あまり父さんとスポーツの関連性が見当たらない。どちらかというとスポーツを憎んでいるイメージすらあった。


 俺は父さんに「ただいま」とだけ小さく声をかけてからリビングを離れていく。少し間を置いてから「おかえり」と感情の薄い声が後ろからゆったりと泳いでくる。このやり取り自体淡白なものだが、いま姉さんが帰ってきて「ただいま」と告げられても父さんが「おかえり」の言葉を返すのかと関心を抱くがそれ自体無駄な発想だと虚しさを覚えた。


 洗面台で手を洗いリビングを再び通過する最中に、僅かながら床からサラっと音が聞こえた気がし

た。妙な違和感を抱いた俺だが靴下と床が擦ったときの音だと判断し特に気にせず自室に向かった。 


 俺は床に楽な姿勢で座りながらスマホを操作しながら買ってきたスナック菓子を手に取る。それを口に含み豪快に噛んでいく。口の中ではサクサクと音が鳴り響く。そしてニュースサイトを見ながらスナック菓子をもう一つ噛み砕いていく。特にやることない時間で退屈していたが心が穏やかになる感じがして寛げていた。だが急に扉を大きくな音を響かせながら震えた。


「えっ!?」


 突然の衝撃に思考は急激に乱れる。顔を扉側に動かすが体は戦慄し、首から下の動きが止まっている。扉の状況を観察する。その揺れの正体が外側から激しく拳でノックされたものだと混乱した脳が辛うじで理解する。そしてその音の発生主は一人しかいない。


「父さん、そんな激しくノックしなくても呼んでくれればリビングまで寄ったのに」


 俺は精一杯平然を装うように話す。声に不自然な震えはなかったが、口を動かしている間心臓は鼓動は激しかった。俺とって今一番重要な情報は父さんが何故俺に対して激怒しているかだった。少なくとも父さんの前で叱られる睨まれるような行動はしていないはずだった。俺は必死に父さんの激怒した訳を考える。だが全く思いつかないまま扉越しから凄まじく荒く尖った声が俺の頭を襲撃する。


「松貴話があるからさっさと開けろ!」


 姿は見えていないのにあまりの威圧感に扉を開けることを恐れてしまう。どう考えても父さんから激しい剣幕を浴びるのは容易に想像できる。俺は息が荒げる中強引に深呼吸をして全神経を落ち着かせる。神経の動きが落ち着いたからか体の感覚は軽くなり俺は勇気を持って立ち上がる。扉へと確実に歩いていく中で姉さんに対してここまで激怒した記憶が殆どないことを今更思い返す。恐らく相当な過ちを俺はしたのだと理由も把握しないまま後悔する。扉の前に直立して立つ。片手でノブを握り扉を引いた。


「松貴この明細書はなんだ? 高校生が振り込む額にしては多いよな。そして何故優那に振り込んでいる」


 予想通り激しい剣幕でこちらを見据える父さんが荒々しく持っていたのは、ATMの明細書だった。その利用者は椎橋松貴のだった。


「ほしいものがあって姉さんにずっと前にお金を借りてたんだ。それで今日そのお金を返した」


 俺は作り笑いをしながら父さんに白を切る。苛烈に追求される状況で笑みのため吊り上げた頬を維持するのは難しい。そして父さんは咄嗟に思いついた言い訳を信用しておらず明細書を握っていない手を限界まで握りしめていた。


「お前はアルバイトをしていたのにわざわざ優那に借金をしているのか? それはお前が相当金遣いが荒いという証拠になるが」

「それは……アルバイトする前に借りたお金を今返したというか」

「お前がアルバイトを始めてからもう一年は経っているのにか? 言い訳はいい加減にしろ」


 父さんから問い詰められ俺はこれ以上の足掻くことが無駄だと観念する。既に父さんの睨みの前に笑みは崩壊しており心は激しく消耗していた。


「姉さんの借金を返すための金だよ。それは」


 俺は父さんから完全に視線を外して投げやり気味に事情を暴露する。姉さんに悪いがこれ以上隠し通すは厳しいと判断した。それを耳にした父さんは「はぁ?」と不快感を顕著に感じさせるほどの苛立っていた。


「今すぐに優那の借金返済を手伝うのは止めろ」


 父さんは明細書を握り潰し鋭い口調で要求してくる。俺は両親に対しては決して反抗しないよう両親への怒りには蓋をしてきた。だが先の発言で気持ちが不貞腐ったおかげで怒りの蓋が完全に割れてしまった。


「無理だよ。俺の意思で借金返済を手伝っているんだから。父さんは黙ってくれ」 


 俺は睨むほどではないが父さんを確実に凝視しながら苦言を呈した。父さんからすれば息子に反抗されるのは不本意なのか、明らかに表情からは苛立ち以外にも俺に対する失望が浮き出ていた。


「お前がアルバイトしている理由はまさか優那の借金返済のためか」


 父さんは息を荒くしながら追求してくる。


「それが悪いの?」

「高校生が姉のために働いてどうするんだ。高校生は自分の将来を優先しろ。何故それが優那も松貴も分からないのだ」


 猛るように高揚しながら父さんは不満を述べつつ説教してくる。その発言に俺は目を見開き眉を吊り上げる。姉さんの夢を否定した父さんが発言していい内容ではなかった。


「なんだよ。父さんだって姉さんの進路を反対しただろ!」

「それは関係ないだろう。話を逸らすな」


 俺の反論を父さんは冷笑するかのように切り捨てる。子供は親の指示に従うのが正しいを考えている父さんに俺は強い憎しみを抱いた。もはや思考は冷静さの大半が削げており感情的な発想ばかりが俺の頭に並んでいく。そして俺は最悪の発言を父さんに打ち込んでしまう。


「だったら家を出ていくよ。しばらく父さんと話したくもない」

「親もなしにどうやって生活していく気だ!」


 家出する意向に父さんも怒りの感情を表情を残しつつも声から威圧感が損なわれていた。明らかに俺の発言に動揺している証拠だった。俺は自らの発言に後悔しつつも父さんへの憎悪だけで体が先行して動き始めた。俺は父さんが居る前でクローゼットからリュックを取り出す。リュックに衣服や通帳など生活必需品や貴重品を急ぐようにまとめる。


 父さんは立ち尽くしたまま無言でそれを見ているだけだった、そのうち「なら出ていけ」と吐き捨て扉を締めて部屋から退出していった。この瞬間まだ謝罪すれば許してもらえると、憎悪の中に微かに残っていた冷静な思考がそれを教えてくれる。だが激昂した心の波が静まることは一切なくその提案は破棄された。荷物をまとめ終えた俺は玄関へと向かい靴を履く。今後の予定を立てずの家出だったが、この心境では家で生活するが心苦しかった。俺は父さんへ言葉を何も残さず家出をした。


 マンションの入口にたどり着くと一気に頭が冷えていき俺は家出の選択は誤っていたのではと後悔してしまう。だが父さんに啖呵を切った以上当面は家に戻れない。今すぐ戻ったところで再度激怒されるだけだ。俺はポケットからスマホを取り出すと会話アプリで『家出をしたからしばらくの間居候させてほしいと』メッセージを送信する。家出をしたため住む家がない。頼れるのは姉さんしかいなかった。

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