第9話 少女は飛ぶことを選択した

 立ち話をしていた地点から数分程度進んだ場所にある小さな公園のベンチで俺達二人は互いに前方を見ながら並んでベンチに座っていた。住宅街の中にある公園の周囲はフェンスに囲われており木々や茂みは最低限しかない。遊具はブランコを二つと砂場が用意されているだけだった。当たり前のように人のいない夜の公園は怖いわけではないがおぞましい雰囲気を感じていた。その一方で自分から申し出たとはいえ夜に学校の先輩の悩みを聞くことになるとは不思議な気分だった。


「静かな公園だね。松貴くんはここに寄ったことあるの?」

「今日が初めてですよ。家はここからまだ少し離れていますから」

「てっきりこの辺りが松貴くんの実家があるんだと思った。どのみち自転車通学は大変そうだね。体力かなり使いそうだし。」


 こんな小さな公園の場所を把握していたらこの辺りの住人だと誤解されても仕方はないかもしれない。それと自転車通学は普段は体力的にはそこまで苦ではない。ただ夏場は暑さで汗をかき、体力を大量に消耗させられるためバスや電車で通学した気分にはなる。もっとも夏休みの間もアルバイトで自転車を漕ぐので嫌でも適応する必要があった。


「アルバイトも自転車用いているのでまあ慣れますよ」

「そういえば松貴くんは今日スーパーのアルバイトの帰りだったんだよね。最近は一人で買い出しばかり

だけど、小学生の頃は家族全員でスーパーとかによく物に行った思い出があるな。中学生になったときからお父さん仕事に没頭するようになってそれで家族で外出する機会も減ったけどね」


 栗之先輩は夜空から見下ろす月を見ながら懐かしむように話した。俺は手を膝に載せながら月ではなく目の前の砂場を憂愁な気分で眺めていた。俺自身家族四人で出掛けた記憶はあまりない。姉さんと歳が大きく離れている影響もあるが、姉さんが父さんと出掛けることをよく拒んでいたからだ。だから俺としては家族全員で出掛けたという話を聞くたびに家族四人での時間に憧れるを抱くこと同時に自らの家族事情に悲嘆することもあった。


「家族全員での時間って中々取りにくいですよね」

「一人暮らしのせいもあるけど本当に家族での時間は今となっては珍しくなったよ。それにここ数年の家族の仲は決して良くないというかお父さんが家庭のことにあまり関与しなくなってて、それがわたしが一人暮らししている原因の一つなの」


 話を聞いていた俺は視界の端に栗之先輩が顔をこちらに向く瞬間が写る。すぐさま栗之先輩の方に目をやる。父親について憂うような寒さを感じるの瞳と視線が重なり合った。道路で立ち話をしているときもそうだが、相当父親に対して様々な想いを長年抱き続けていたのが汲み取れた。


「だからお父さんと会った時あんなに戸惑っていたんですね」

「うん、そうだよ。元々はお父さんもお母さんも私のことに気を配っていて大切にされている実感があったんだけどね。わたしの両親会社を経営していてお父さんが社長でお母さんが副社長なんだけど、中学生の頃から会社の規模が大きくなるにつれお父さん仕事に没頭しだして、お母さんが家庭のことにも目を向けるよう注意してもお父さんが家庭に関与する度合いは殆ど変わらないどころか悪化していった。仕事休みのときも仕事のことばかり考えたりして、家族で外出することも小学生の頃と比べると格段に減っていたし、家での夫婦仲はあんまり好ましいとは言えなくって悲しい気持ちを抱くようになっていたの」


 栗之先輩の後ろ髪の毛先が小風に流される。父親が仕事に没頭して家のことを疎かにすれば同居する家族としては不安になり少しばかし家族に親身になってほしいと願いたいはずだ。子からすれば家族仲が微妙になるのは見ていて苦しいと感じて仕方がない。それにしても栗之先輩の両親の立場については少しばかり驚愕した。親が会社経営者であれば子供が一人暮らしをしても家賃を払うのは収入的に重荷にならないのだろう。もし普通の雰囲気でこの情報を教えられていたら顔に出るほど驚いていたかもしれない。


「親の態度が急に素っ気なくなったりすると辛いですよね」

「本当に辛かった。お父さんのこと嫌いにはならなかったけど、失望したな。元々高校卒業後したら一人

暮らしをしたいって考えたの。それで中学三年の時『将来的に一人暮らしがしたい』って伝えたらお父さん『高校入学したら一人暮らししていいぞ』と思わぬ答えが返ってきて私は唖然としたな。意味合い的には私の説明不足でお父さんに正確に伝わらなかった私に責任があるけど、高校生のうちに一人暮らしを許可されるとは想像すらしてなくてあまり大切にされていなのかなって不安になったの。だからお父さんとの関係を再考するために一人暮らしすることにしたの」


 栗之先輩の一人暮らしの経緯に俺は言葉を失いかけた。栗之先輩のお父さんは娘の言葉に理解があるとしても、高校生の娘が一人暮らしすることに心配しなかったのだろうか。栗之先輩が唖然とするのにも納得できる。


「なんで栗之先輩が一人暮らししているのか考えたことありましたけど、そのような事情があったんですね。けどお母さんは許可したのですか? 話聞く限りだとお母さんとの仲は悪くないように思えますが」

「お母さんに頼んだときは最初は戸惑っているどころか反対されていたよ。けど事情を明かしたら許可は貰えたよ。けど高校生が一人暮らしはお母さんは心配だったから毎日お母さんに連絡すること条件だけどね」


 相談に乗っている上で気がかりだったのがお母さんとの関係だった。流石にお母さんは反対するかと思っていたが渋々と了承したということはお母さんもお父さんについては相当頭を悩ませていると思えた。


「許可してくれたってことは栗之先輩のお母さんもお父さんと娘との関係で色々と悩んでいたかもしれないですね。少なくとも僕の母さんは許可しないでしょうね」


 俺は母さんから怒り気味に一人暮らしの理由を追求される光景を思い浮かべ顔を歪める。余程の事情がない限りは大学に受かるまでは許可は降りないだろう。もっとも俺は姉さんの一人暮らしの話を聞いて少しばかり憧れはあった。


「松貴くんのお母さんもそう判断するよね。やっぱりそれが普通だよね」


 栗之先輩は苦い顔で軽くため息をつく。一人暮らしをして三年目となるが栗之先輩的にも高校生で一人暮らしなのは特殊だと悩んでいるようだ。あまり一人暮らしという要素でこれ以上消極的になるのを避けたかった。


「うちは確実に大学進学させたいので負担がかかる一人暮らしさせないだろうと予想しただけですよ。それに他の家庭と比較する必要はないと思いますよ。」


 俺は咄嗟に栗之先輩の現状が何ら問題はないと理解してもらうために先の発言について釈明の意味も込めて補足する。高校生の一人暮らしは珍しいがそれぞれの家庭には色々な事情があるため、それが思い憂うほど悩む必要はないと考えていた。


「松貴くんの言うとおり比べても意味ないよね。それにしても松貴くんのところは教育熱心なのね」

「教育熱心と言うか学歴を重視し過ぎていますね」


 栗之先輩は元気を得たのか笑みを浮かべていた。それを見て俺は内心両親の学歴重視に呆れながらも微笑みながら栗之先輩の笑顔にほっとしていた。


「家によって教育方針は様々だね。わたしさ、高校卒業したら『疎遠』って言葉が適切なぐらいお父さんとは今まで以上に距離置こうとも考えてるんだ。今は実家との距離は近いからたまに実家にも帰るけどだけどやっぱりお母さんのこと考えたらそれは駄目な気もする。わたしは逃げられてもお母さんは下手をすればお父さんと一生疎らな関係で暮らしていくことになるから、どうするかはまだ不透明かな。お母さんには幸せでいてもらいたいから」


 栗之先輩は膝の上で両手を合わせ愁然としながらも穏やかに語る。疎遠。身近でその事例を目の当たりにした俺にとってその発想にはあまり賛同できなかった。


「お父さんとの関係が本当に辛いのなら実家から離れるのも一つの手です。親のことを忘れて暮らしたほうが幸せなパターンもありますから。だけど両親の関係でを憂いているのであればまだ熟考してもいいと思いますよ。無理に決断する必要性はないですから」


 俺は栗之先輩の発想に共感したように見せつつも将来について再考するように促した。少なくとも一度疎遠すると決断してしまえばその仲が簡単に修復することはないと考えていた。だからこそ栗之先輩にはお父さんとの関係で公開してほしくなかった。


「まだ答えを出すには早いよね。わたし、もう少し悩んでみるね。松貴くんに相談できて少し心にゆとりが持てた気がする」


 俺の言葉に納得してくれたのか栗之先輩の声は麗らかだった。


「力に慣れたのなら、相談に乗った甲斐がありました」


 家族の問題で役に立てたことに俺は一安心していた。もし力添えできなかったら夜遅くに相談に乗る提案をした意味がなかった。


「今日は充実していて良かったかな。友達と遊べたし、買った服も着るのが楽しみだし松貴くんにも相談できたから。相談は本当に予定外だったけどね」


 栗之先輩は相談で体が張り詰めていたのか自分を落ち着かせるように大きく深呼吸をした。服という単語を聞いて俺は栗之先輩の着ている服装に目が引き寄せられる。今日初めて私服姿が見たが、オシャレだという印象を強く覚えた。


「服を買ったって言ってましたけど、栗之先輩って服とかって好きなんですか?」

「ファッションは昔から好きだよ。今日も友達と一緒の服選んできたし、昔から服をファッション雑誌とか愛読していたし」


 栗之先輩は幸せそうな顔付きでリズム良く返答をする。その姿を見て栗之先輩がファッションが大好きなのだとすぐに把握できた。


「物凄く服が好きなんですね。好きになったきっかけとかあるんですか?」

「きっかけは、小学生の高学年のときに買う服を自由に選ばしてもらえて、着る服が違うだけど昨日の自分と全く雰囲気が変わることに感動してそれ以降ファッションの虜になったかな」


 ファッションを夢中になった強い理由に俺の心は一瞬大きく揺れた。今現在夢中なものが消えている俺にとってそれは煌びやかに感じ取れた。


「小学生の頃から夢中になり続けているって羨ましいです」

「松貴くんは今夢中なものはないの?」

「中学のときはサッカー部ですしサッカーに打ち込んでいましたよ。今はアルバイト優先なので部活には入っていないですけど。元々中学生になる前に本気で取り組んでいたものがあったんですけど小学生の頃存在してたけど、ある日急に消えてたんですよね。それが今でも気がかりになることはありますよ」


 あれは本当に急だった。いきなり夢中だったものは尊敬していた人と共に目の前から唐突に消え去ってしまった。父さんに何度も理由を尋ねたが父さんは「もう会うことはない」とだけ口にし詳細を教えてはくれなかった。


「わたしが小学生の時その経験したらかなり落ち込むと思う。松貴くんも大変な思いしているんだね」


 栗之先輩は風で右耳から解けかけていた右髪を静かに掛け直す。


「だけど昔のことなんで今はあまり辛くなることはなくなりましたね。今は今でやることも多いですから」


 強がっているわけではないが、正直なところ今は姉の借金や父さんと姉さんの関係性もあるため、小さい頃の経験に落胆している暇はなかった。


「そうだね、今は高校生だし勉強とかやること増えてるからね。それと松貴くん連絡先交換しない? 何回か話したけど連絡知らないの思い出して」


 栗之先輩は鞄からスマホを取り出しながら連絡先の交換を求められた。そういえば何度も会っているのに連絡先を交換していなかった。それを思い返した俺はスマホをポケットから取り出す。


「そういえばまだ連絡先交換していませんでしたね。いいですよ


 会話アプリを操作して連絡先を交換する。スマホに学校の先輩の連絡先が登録されるのは中学生以来であることに俺は懐かしさを覚えると共に、逆に新鮮味を感じていた。話の流れ的にそろそろ解散だと俺は感じていた。


 だが栗之先輩はスマホを見下ろしたまま動きが固まっていた。まるで考え事をしているように見えた。俺は声を掛けるべきか悩みながら栗之先輩の様子を眺めていると、いきなり栗之先輩は顔を上げる。咄嗟の出来事に俺は面を食らう。栗之先輩は何かを言いたそうにこちらを見詰めてくる。だがすぐに発言しなかった。数秒程度栗之先輩の顔を見られながら俺は口が開くの待っていると、ようやく栗之先輩は話を切り出してくれた。


「良かったら来週の日曜日空いてる? そのショッピングモールにでも遊びにいかない?」


 発言を終えた栗之先輩は気まずさを誤魔化すように無理に笑っていた。遊びに誘われた俺もすぐさま耳を疑った。脳内は大きく乱れ現状について正確に理解できいなかった。俺としては相談に乗ることが目的だった。だからか遊びに誘われた事自体が想定外過ぎた。


「えっ!? あっ……予定見ますね」


 俺は力が抜けていたスマホを握っていた手を目の間に引き上げ、出来る限り冷静にスマホを操作しようとする。だが中々予定アプリを上手くタッチできなかった。その様子を栗之先輩は心配そうに見守っていた。断られることを懸念しているのだろうか。流石に栗之先輩から誘われて即答で断るような真似はしない。


 ようやく予定アプリを開けた俺は慎重に来週の日曜日の予定を確認する。確認中予定が空いてほしいという想いが心の奥底で薄っすらと生じていた。その原因について何故か言葉として表現できない。日曜日の予定表には一切の予定がなかった。断る理由もなく誘われた事自体、光栄だったため返答は即決だった。


「予定空いてるので……遊べます」

「なら良かった。集合時間とはまた連絡して決めよう! 今日は夜遅いから」


 弾んだ声を上げながら栗之先輩は精一杯頬を吊り上げた清らかな笑顔を作った。その笑みを見て俺の脳内も平静さを取り戻した。遊ぶことが決まった俺達二人はその後公園の入口で別れた。その後栗之先輩は俺が自転車で去った後も上機嫌そうに「また学校でね!」と見送ってくれた。その声を聞いて俺は少しばかし心が踊っていた。

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