第5話 父を嫌い続ける子

栗之先輩と一緒に帰宅した週の土曜日に俺は実家の最寄り駅からだいぶ離れた駅の前で人を待っていた。駅前といっても実家の最寄り駅と同じで周囲に店舗はあまりになく、マンションなどの住宅が多い。もっとも人気はそれなりに多い。この駅は都心部に近く、なおかつ都心部と比較して家賃が安いため仕事のためこのあたりで住まう人も少なくない。今日待ち合わせている人物もそれに該当する。俺は待つ間、スマホでサッカーの情報を閲覧していた。


 今見ているのは国内のプロリーグの情報だ。応援しているチームは地元で一番近くに本拠地を置くチームでここ数年は国内のトップリーグで奮闘している。中学生の頃初めてスタジアムでサッカーを観戦したが迫力と繊細なテクニックを合わさった選手たちのプレーは俺にとって鮮烈で高揚するものあった。


 駅前で待ってから少し経過すると俺から少し離れた場所から「松貴、予定よりも早いね」と落ち着いた口調で俺を呼びかける女性がいた。その女性は俺と待ち合わせていた人物であり俺の姉弟であり姉である椎橋優那だった。姉さんの背は女性にしては高めで少しばかり痩せており外見からではあまり筋肉がないように見受けられる。もっとも姉さんが高校時代まで体を鍛えており引き締まった体をしていた。髪は髪色で長さはロングで毛先のみパーマを掛けており波打っている。


「呼びだした俺が遅れるわけには行かないからね。それよりごめんね、姉さん休日に呼び出してしまって」


 姉さんと今日の約束をしていたのは先週の土曜日であった。社会人である姉さんの貴重な休日を俺のために費やしてくれていた。姉さんは俺に対して微笑んでおり、俺もその笑みに罪悪感を抱きながらそれに合わせるように表情を緩ませていた。今日の要件は姉さんにとって好ましくないものだからだ。


「松貴、話どこでするか決めている?」

「特に決めてないかな」

「なら駅の近くにあるカフェでいい?」

「そこでいいよ」


 話し合う場所を決めて俺達はカフェに向かって歩き始める。姉さんと会うのは一ヶ月ぶりだった。そのせいか姉さんと並び歩くたびに心が安心感で包まれていた。今の実家の空気があまり好まない俺にとって姉という家族と過ごす時間は俺にとって大切であり救いとなっていた。


「姉さん、最近仕事の方は順調?」 

「今の仕事が終わったら当分は落ち着くかな。仕事内容は大変だけどね」


 理系分野が得意だった姉さんは偏差値の高い理系の大学に進学し、現在はIT企業に所属している。仕事しての苦労を以前聞かされていたため、最近の仕事での状況が気になっていたが順調そうでホッとしていた。 


「順調そうなら良かった。前話し聞いてたときは仕事が上手く行かないって聞かされていたから」

「色々試して結果が出ないときは焦るからね」


 姉さんは過去の仕事での苦労を思い返すように苦笑いするが、「だけど試行錯誤するから良い仕事が出来ると私は思っているから、それ含めて今の仕事は充実しているよ」と軽やかな笑みに切り替えながら仕事への想い語った。


「今の姉さんが楽しそうで羨ましいよ。俺もそういった仕事に就きたいな」

 将来の夢が特にない俺にとって姉さんの仕事における現状は素直に羨ましかった。俺は他の人がスポーツや仕事で成功している話を耳にするたびに心の中に虚しくそして物足りなく感じることが時折あった。理由は薄々勘付いているのだがそれを解決するには遅すぎていた。


「松貴もそういった仕事見つけないと駄目だよ」


 姉さんはそんな俺の現状を把握しているかのようにどこか哀れむような声で忠告してきた。俺はその言葉に表面上は「わかっているよ」と頷いたがこのままだと夢を見つけられないと痛感していた。


「いらっしゃいませ。二名様でよろしいでしょうか?」

 店に入るとカフェの店員が俺達姉弟に対応する。このカフェはチェーン展開のカフェであり、他の街でも名前だけは見かけたことがあった。店内には休日ということもありそれなりに人がいたが席は空いていた。


「はい、二名です」

「それではお好きな席におかけください」


 姉さんが人数を告げ店員との会話を終えた俺達は奥の席に座る。深呼吸をして息を整えると鼻にコーヒーの匂いが入ってくる。やはりカフェというだけあってコーヒーを頼むお客さんが多そうだ。


「姉さんはこのカフェ来たことあるの?」

「休日に出掛けた帰りに寄ることがある程度かな。常連ってほど通ってはいないよ」


 常連ではないようだが姉さんはメニュー表を一目見たあと俺の方にメニューを渡してくる。入店する前から頼むメニューを決まっており、メニューを見たのも頼むメニューが無くなっていないかを確認しただけだろう。


「松貴は何飲む?」


 俺はメニューを見ていくが普段カフェを利用することが少ない俺はメニュー選びに少し悩んでいた。軽食もあるみたいだがそこまで長居する予定はないのでドリンクだけを頼むことに決めた。


「自分は……アップルジュースかな」

「なら私はアイスコーヒーにしようかな」


 コーヒーも飲めるがまだ苦手なのでここは喉越しがさっぱりしている印象があるアップルジュースに注

文を決めた。姉さんは普段からコーヒーを愛用していたのでアイスコーヒーにするようだ。


「すみません注文いいでしょうか」  

「お待たせしました。ご注文をお伺いします」


 姉さんが高めの声で店員を呼ぶとすぐさま店員が駆けつけてくる。俺と姉さんはそれぞれ注文を頼むと、

店員は一礼してからカウンターの方へと去っていった。


「松貴ってイミュータブルグリーティングの曲聴いてる?」

「三人組のミュージシャンだよね。あまり聴いた事ないな」


 イミュータブルグリーティングは最近人気があるようで音楽番組や情報番組で見る機会も多いが俺はこのグループの曲を能動的に聴いたことはなかった。


「一回聴いてみてよ。三人共声に物凄く良くて好きな曲が多いだけど、特に『坂道を登り切るのは難しくない』はおすすめだよ」


 姉さんは一人で高揚し、音量は抑えながらも話し勢いは凄まじかった。よほどこのグループに夢中になっているようだ。せっかく姉さんが勧めてくているので俺はそのグループについて少しだけ気になった。


「その『坂道を登り切るのは難しくない』ってどんな曲?」

「曲の印象としては落ち着いている感じかな。歌詞が悩んでいる宥める曲で私も落ち込んだときとかはよく聴くかな」


 音楽に癒やされるのは悪くはない。自分だって辛いときが合ったときは音楽に頼りこともある。


「帰ったらその曲買ってみようかな」

「松貴なら気にいるはずだよ。けど他にもおすすめがあってね――」


 興味が湧いた俺はその曲だけでも購入することに決めたのだが、姉さんは俺が興味を持ったことに嬉しくなったのか、ドリンクが運ばれる数分間、そのグループについて熱心に解説された。おかげでこのグループについては少しだけ詳しくなった。 


「お待たせしました。アップルジュースとなります。こちらがアイスコーヒーとなります。注文は以上でよろしかったでしょうか?」


 顔より一回り以上は大きなトレーを手のひらに載せて店員が注文した品を俺達の席まで運んび、それぞれ注文した者の前に置いた。姉さんは店員に穏やかな笑顔で「これで全部です。ありがとうございます」と返すと「それでは失礼いたします」と店員は俺達の席から下がっていった。


 姉さんは届いたアイスコーヒーが入ったマグカップの白いを片手で掴む。テーブルから持ち上げられたマグカップの水面は小さく揺れるが、姉さんから放たれる空気は大きく揺れ動き一変しているのが察知できた。姉さんはマグカップを机に戻しながらコーヒーで潤った上下の唇を開いた。


「それで松貴話っていうのは何?」


 姉さんの瞳は一切笑っておらず冷静そのものだ。すぐに返答しようと考えていたがその瞳を前に俺はすぐさま喉から言葉を発することができなかった。姉さんは呼び出した要件の内容はある程度見抜いているようだ。 


「言いづらいんだけど、父さんと和解してほしい」

「はぁ〜。松貴は家族だから理解してるはずだけどあの人は私を勘当しているつもりなのよ。今更会えるわけないじゃない」


 俺が要件を切り出すと姉さんは嫌がるように強めのため息を吐いた。姉さんにとってこの話題についてあまり話し合う気が昔からない。今日もそれは十分に理解にした上で姉さんを話し合いに誘った。それに姉さんが口にしたとおり、父さんは姉さんを縁を切ったつもりでいる。以前父さんとの会話でそのような趣旨を言われた記憶がある。


「それは分かっているし、以前頼んだときもそう言われたけどさ、いつまでも仲が悪化しているのも家族としてどうかというか。家族なら仲に溝が少しはあってもいいからさ、せめて、たまには交流ぐらいしてほしいから」


 俺は力強い目つきで現状を打破してほしいことを訴えかける。


「私は絶対あの人に謝罪する気はないから。どのみち和解したいって申し出ても私だけが謝ることを要求されるはずよ」


 姉さんは頬膨らましながらこの話題から逃げるように顔を少し上げ目線を外す。俺は一旦声を出すの止めまだ一口もつけていないアップルジュースを飲む。アップルジュースは冷えており思った以上に甘かった。


 この話し合いは平行線になることは元から想定済みだった。以前も同じ話題を姉さんに持ちかけたこと

がある。そのときも姉さんは最後まで俺の要望を受け入れなかった。俺は顔を上に傾けたまま姉さんの様子を伺う。


 姉さんは俺が見ていることに気づいているような仕草をしても目を合わせてはくれない。それどころか表情はかなり険しくなっている。父さんを嫌う姉さんの気持ちを理解している。だがこのまま仲違いして終わるのは俺は避けたかった。そこで俺はだいぶ前から抱いている姉さんへの疑問をあえて質問してみた。


「じゃあ父さんたちが死ぬまで仲直りしないつもり?」

「……」


 姉さんは言葉に反応するかのように顔を上げ正面を向くが、視線は相変わらず逸らしたままでアイスコーヒーを何度か少しずつ口にしながら黙り込んでしまう。


「自分はまた四人でご飯とかを食べたい。姉さんとしてはそれすらも駄目なの?」


 俺はずっと抱いていた願望を重たくもすぐに消散しそうな声で姉さんにぶつけた。姉さんは頬を引きずると机の上に乗せた手のひらを十秒程度思い浸るように見つめると喉から声を発し始める


「四人ね……松貴には前にも言ったけど父さんは頑固すぎるのよ。母さんも父さんの方針には共感しているし、父さんを説得するなら今の私の味方は松貴だけなのよ。松貴は父さんを説得する自信あるの?」


 姉さんからの問いかけに俺は「できるよ」と勢いのある返答をすぐさまできず弱腰になっていた。父さんは確かに頑固であり、そしてなにより母さんも姉さんに対する父さんの態度に異論を抱いてはいなかった。姉さんのことで母さんが父さんを咎めていたら姉さんは今でも実家で食事する機会もあっただろう。


「それは……なんとかするよ」


 俺はあまりにも弱々しい意思を姉さんに示すが姉さんは大きくため息を付きながらコーヒーを飲む。


「今の松貴じゃ父さんに言いくるめられるだけよ。私はもう帰るね」


 姉さんから突きつけられた事実に俺は一切反論ができなかった。今の俺はあまりにも両親に対して無力なのだ。その事に俺は心の中で嘆きそして自らに失望していた。 


「辛いこと言ってごめんね」


 俺はだらしない顔つきで姉さんに今日の件を詫びる。


「別に怒ってないよ。それじゃまた会おうね。あとこれでお会計済ませておいて。松貴の分も含まれているかから」

「姉さん、今日はありがとう」


 姉さんは優しい笑顔で俺を嗜めると財布からお札と小銭を机の上に残して席から立ち去っていく。俺はそれをぼんやりと眺めながら家族の今後について考えるが何一つまともな案が思い浮かばなかった。結局俺は姉さんと別れてから二十分間アップルジュースと供に時間を潰した。


 カフェから外へと出た俺は帰宅後の予定も考えず駅に向かって歩いていた。人影はカフェに来る前と変わりなく少ないままだった。青空と太陽からもたらされるほどよい気温と時折吹く春風が落ち込んでいる俺にとって心地よくありがたい存在だった。


 駅前にたどり着くと「ティッシュいかがですかと」と駅の入口から少し離れた場所で赤いジャンパーをまとった数人がティッシュ配りをしていた。

声をかけられたらティッシュを貰う程度でいつもならティッシュ配りなどあまり意識することもない。今日もそのつもりだったが、俺はティッシュ配りの人たちを見て思わず驚きそして距離を取るように歩き始めた。


 結び目が浮かせるようにに後ろ髪をゴムで一つにまとめ、細めのジーンズを履いた栗之先輩がいた。遠目からでも把握できるほどの愛嬌のある笑顔でティッシュを一つ一つ丁寧な礼儀とともに渡していた。


 休日に地元から離れたこの場所で遭遇することはもちろん想定外だったが、栗之先輩がアルバイトをしていることが驚かされた。ただでさえ一人暮らしによる家事や勉強で忙しい高校生なのにアルバイトまでしていることに脱帽してしまった。高校生での一人暮らしである以上親御さんから家賃など金銭的な支援されていると思われるが、栗之先輩なりに親御さんに少しでも迷惑かけないようにアルバイトで生活費などを賄おうと頑張っているのだろう。もっとも高校生から一人暮らしをしている理由については未だに疑問ではあったが。


 この場所にいる理由を尋ねられたくなかった俺は栗之先輩に発見されないように気を使いながら駅のホームへと入っていく。

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