第6話 絡まっている人生

今日も全ての授業を終え残りはホームルームだけになった。人によって掃除当番があるが今週は掃除当番はない。移動教室から自教室に戻ると楽しげな喋り声で埋め尽くされており、授業から開放されたためかクラスメートの表情は弾けた笑顔で溢れかえっていた。


 窓から差し込む光には優しい温もりがあり外は快晴だった。外で部活する運動部にとっては快適な日であり、放課後遊ぶ予定がある者にとっては傘を刺さずに気軽に過ごせる。もっとも俺はその両者のどちらにも当て嵌まらなかった。俺はロッカーから大きめの鞄を取り出し、自分の席まで運び椅子に腰を落とす、鞄に教科書や筆箱を詰めていく。


「松貴、授業お疲れ」


 左隣から友人の桑名行地が僅かばかり眠たげな声調で話しかけてきた。行地とは一年の頃からの友人だが同じクラスになったのは二年生からだった。


「そっちもお疲れ」


 俺は鞄に手を突っ込んだまま行地の方を向く。直立している行地は真っ直ぐな両手を胴体の外側付近で垂らしながらこちらを見下ろしているが顔からは活力が薄れていた。


「松貴は元気そうだな」

「行地疲れているみたいだけど何かあった?」

「疲れてはないけど授業で眠たくなって、眠気を抑えるのに必死で大変でさ」


 行地は事情を説明している最中も口で手を抑え必死に欠伸を我慢していた。余程今日の授業が眠たかったみたいだ。行地の表情を目にしていると俺にも睡魔が襲ってきそうだった。


「ずっと座りっぱなしだと確かに眠くなるかもな」

「寝たら先生に怒られるし、授業聞いていない分テストに影響出るのも避けたいから大変だよ」


 行地が寝るのを避けたい理由には俺は深く頷く。寝ても気にしない先生も存在しているが、寝ることを一切許さない厳格な教師もいる。その先生の授業で寝たら一喝されるのは必須だ。緩やかな春風が教室のいくつもの窓からふんわりと流れる中、俺は体育が入っている授業日で眠たくなったことを思い返しそれを話題にする。


「体育ある日とか更にやばいかもな。体力的に疲れてるし」 

「体育あったら体力持っていかれて眠気が加速するね。けど松貴中学の時サッカー部で体力的には余裕ありそうだけどそれでも体育疲れるんだ」


 行地は肩が凝ったかストレッチをするように左手を右肩に当て右肩を小さく回しながら疑問そうに喋った。中学時代運動量の多いサッカー部だったが流石に無限に体力が余っているわけではない。特に持久走がある日はサッカー部や他の運動部などと競い合って本気で走ることも多々あったためそういう日は寝ることは殆どなかったが次の授業は眠気に悩まされていた。


「あまり動かない種目ならいいけど、持久走みたいに激しく動く種目は流石に疲れるよ。まあ互いに授業中寝て先生に怒られないように気をつけようぜ」

「寝ないように気をつけるよ。体育といえばこの前の体育の短距離走の松貴ものすごく速くて驚いたよ。運動部に入っていないのがもったいと感じたよ。先生来たから席に戻るわ」

「おぅ……」


 俺はどこかたどたどしい声で応答してしまう。担任が教室に入室するのを合図と共に席に経っていた生徒達は急ぐように自席に着席する。俺は完了していなかった帰り支度を一時中断が担任がいる教壇側に視線を変える。担任はいつものように連絡を伝える中、俺は行地が最後に言及した内容に脳内で無意識のうちに復唱され体が痒くなるような錯覚に陥っていた。栗之先輩のときもそうだったが高校の友人たちにも俺がアルバイトをしている真相を語っていない。もし教えれば奇異の目で見られるの恐れているからだ。


「今日は相談に乗っていただきありがとうございました。失礼します」

 俺は進路指導室の先生に一礼し進路指導室の扉を締めた。先生の顔が見えなくなるとあまりにも漠然とした将来に俺は顔をしかめた。


 放課後友人から帰りの誘いを断り俺は進路指導室で進路担当の先生に大学受験の相談をしていた。この前栗之先輩との会話で大学受験について触れた際に流石にアルバイトに傾向しているとはいえ、そろそろ受験を考慮する必要性があると実感していた。もっとも相談は順調には行かなかった。


 相談して間もなく進路担当の先生から『椎橋さんは大学に入って何を学びたいですか?』と聞かれた。俺としては就職のために一つでも偏差値の高い大学を目指していたが、学ぶについては具体的な目的などなかった。結局それに対して殆ど何も答えられず進路担当の先生は頭を抱え込みそうだった。結局の所まずは行きたい学部を見つけるように助言された。


 相談を終えた俺は進路担当の先生に一礼してから進路相談室から出る。俺は人の出入りがまばらな一階の廊下をのろのろと歩きながら糸口すら発見できない将来が気がかりになっていた。進路相談室から少し進むと下駄箱付近で話し込む二人組の女子生徒の姿が目に映る。その二人組の女子生徒に近づくと俺は会釈をしながら下駄箱の方に曲がろうと考えていた。だが会釈をする前に既に知り合っている女性生徒から声を掛けられ俺は立ち止まった。


「あっ松貴くん、こんばんは」

「栗之先輩お疲れ様です」


 優しげな笑みを振りまいている栗之先輩の隣には栗之先輩よりやや背が小さめの女子生徒が珍しそうな目つきで俺のこと見詰めてくる。俺はその女子生徒の反応に愛想笑いで対応しながらその目つきの意味を悩みこむ。


「栗之に後輩の知り合いがおるって珍しい」

「私帰宅部だからそうかもね」


 栗之先輩と女子生徒からの質問に答えるが、双方の面差しはいずれも和やかで弾けるような仲良さげな雰囲気が周囲に漂い始めた。同級生だと思われる女子生徒と栗之先輩の関係性は同級生だから生じるものだと傍から見てそう感じた。それと同時にやはり栗之先輩に後輩の知り合いは殆どいないのだと改めて把握させられた。


「松貴くん、あたいは栗之の同級生の大柳由佳です」


 大柳先輩は元気に満ち溢れた気配を放ちながら張りのある声で自己紹介をしてきた。俺もすぐさま「自分は二年の椎橋松貴です」と先輩に釣られるように普段以上に豊かな声調で自らの名を言った。

「松貴くん、今日はアルバイトないの? 帰るには遅い時間だから」


 栗之先輩は何かを思い出しかのような顔付きに一瞬で変貌すると俺のアルバイトについて案じる。俺は「アルバイトは今日はないですね。先まで進路相談室で進路の相談していました」と栗之先輩に今日のことを説明すると栗之先輩は「なら良かった」とほっとしたのか頬を緩めた。 


 大柳先輩は鞄を握っている手が緩みかけていたのを鞄が落ちないように握り直すと疑問そうに口を開いた。


「二年生やとそろそろ進路考えるか。もうどこに進学するか決まってるん?」


 進路のことを聞かれるのは想定外だった俺は思わず深く息を呑みこんだ。そして喉が急激に乾燥するような感覚に見舞われた。


「いやまだですね。一応文系の大学としか決まってないです」 

「由佳は理系だよね?」

「そうやね。進学予定の大学偏差値高いから大変やけどやりたいことあるから勉強頑張ってるよ」


 大柳先輩の進路が理系だと知り俺は理系学部に進学した姉さんを思い返しながら、明確な進路が定まっている大柳先輩を羨ましくなり気づいたら「やりたいことか……」と二人の前で本音が漏れた。


「進路先だいぶ困っている感じ?」


 大柳先輩はやや静かな声で俺に話しかけながらこちらの顔を伺ってくる。

「将来についてまだ決まってないです」


 俺は曇った面差しで進路の現状を端的に教える。栗之先輩ならともかく初対面の先輩に進路のことで心配されるのは申し訳ない気持ちで溢れかえっていた。


「まだ二年生やし夏休みまでに見つければ大丈夫よ。私らの代でも悩んでいる子は珍しくないからね」


 大柳先輩は頼りがいのある顔でしっかりと俺の顔を見ながら励ましてくた。その励ましに心の中に涼しげで落ち着く空気が外から流れ込んでくる。

「そう言ってもらえると励みになります」


 俺は頭を下げ大柳先輩に感謝を伝える。早々と帰っていたら大柳先輩と出会わなかっただろうから進路相談室を訪れた甲斐はあったようだ。


「まあ栗之みたいに入学時から進路先に決めてる子もおるけどね」

 大柳先輩から放たれた一言に俺は耳を傾けてしまう。栗之先輩の進路先がどこかは知らないが入学時から進路を固定しているとは思いもよらなかった。


「私の場合は中学生までに将来の夢が固まっていた決めやすかっただけだよ」

「一年のときから決まっていると凄いですね」


 早い段階で夢を持っていることは俺にとっては憧れでもあり二度と取り返せないものだった。


「そこまで大したことだとは思わないけど、早い段階から決めていたら色々と計画は立てやすいかな」


 栗之先輩は苦笑いしながら顔の前で扇ぐように手を振りながら謙遜する。早い段階から計画していたら、それだけ将来の進むべきを見つけやすのは明白だ。俺もスポーツ以外でやりたいことが小さい頃からあればと若干後悔していた。


「まあお母さんの話とか前から聞いてるけど栗之の家族は娘の夢に関してはかなり応援していそうやから羨ましいわ」


 大柳先輩は引き締まったな声で語りながら栗之先輩を横目で見る。その声からして本心から栗之先輩を羨ましく思っているが聞き取れた。


「お母さんは応援してくれるし、お父さんも基本的には私の意見には容認してくれる感じだよ」


 栗之先輩の口からも家族について言及されるが、話の中盤から表情が乏しくなっており、それに違和感を覚えた。それにしても父親が意見を聞き入れてくれることは、俺からしたらある意味信じ難いことだった。


「まあ松貴くんはしっかりと進路考えたらいいよ」


 大柳先輩は自信に溢れた顔付きで助言を送ってくれた。とりあえず帰宅したら本気で将来と向き合う必要がありそうだ。


「そうします。じゃ僕はそろそろ帰ります」


 栗之先輩らと会話してからそれなりの時間も経過していたことから、俺はそろそろ帰宅しようと考えていた。


「それじゃまた学校で会ったらよろしくね」


 大柳先輩は手を振って見送ろうとしてくれる。俺も笑みを作って会釈をすると二人に背を向け下駄箱に向かい始める。予想外の時間ではあったが三年生の知り合いがまた増えるとは思いもしなかった。けど大柳先輩も人柄は良さそうで俺としては有意義な時間だった。


「私もそろそろ帰るね」

「うん、またね栗之。それじゃ職員室に寄ってくる」


 既に数歩歩きだしていた俺は後ろから聞こえる会話に一瞬足が止まりかけた。俺はてっきりとあの二人はこの後二人きりで予定があると想像していた。俺はそのまま足を前に動かすと後ろから急ぐように歩く足音がこだまする。


「松貴くんせっかく放課後にまた会えたし良かったら一緒に帰らない? 自転車押させることになるけど」


 栗之先輩は俺の横につくと俺の顔を覗いていた。唐突な提案に俺の心臓は急激に高鳴っていた。俺は返事をしようにも喉が詰まって言葉が出ず、そのうち自分の現状に自ら失笑しかけた。俺は数回胸を優しく触れ心を落ち着かせると返事を伝える。


「自転車押すぐらいなら全然疲れないので一緒帰りますよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る