第4話 手掛かりはまだ見つからない

 翌日、その日の授業を終えた俺は下駄箱へと向かうため廊下を歩いていた。廊下には体操服や部活のユニフォームを着用している運動部や俺と同じで制服姿の学生たちで溢れかえっていた。制服姿の学生の何割かは文化部だろう。俺はアルバイトで週数日は予定が埋まるため、部活には所属していない。中学時代はサッカー部で体を鍛えられていたが、現在は運動は個人で行う程度で入学から一年して肉体は多少衰えていた。


 下駄箱の前についた俺は上履きから外靴に履き替える。今日はアルバイトはないため、友人と遊ぶことも視野に入れていたが、家でくつろいだあと勉強することを選んだ。成績は恐らく学年において平均的だが大学進学を考えるともう少し成績を向上させておきかった。


 校舎を出ると俺は立ち止まる。空には既に夕日が現れ始めていた。アルバイトの日は急いでいるので夕日を意図的に見る余裕はない。けど今日は夕日を時折確認しながらゆっくりと帰宅することができる日だった。視線を夕日から正面の学校の門へ変えると視界の右斜めに見慣れた人物がいた。俺はその人に近づくと声をかける。


「栗之先輩、お疲れ様です」

「あっ、松貴くん、こんばんは」


 躍巡高校の手提げ鞄を肩にかけた栗之先輩は立ち止まり俺の方を振り返る。


「栗之先輩、今から帰りですか?」

「そうだよ、松貴くんも今から帰るの?」

「僕、自転車通学なので駐輪場によってから帰ります」


 家から自転車での通学時間はおおよそ二十分程度だ。二十分も自転車を漕ぐのは時折疲れるが、交通機関と違って登校する時間をある程度自分で調整できるで、寝坊しても融通が効きやすい。


「自転車なんだ。どの方角から来ているの?」

「駅の方からです」


「そうなんだ。わたしは電車通学だからもしかしたら朝一瞬すれ違っているかもね」

「多分すれ違っていますね。基本自転車を漕いでいるときは歩行者は後ろ姿しか見ないので目にしても気づけないと思いますけど」


 俺は微笑んで栗之先輩に返答している間に、栗之先輩に途中まで一緒に帰宅することを提案するかで悩んでいた。せっかく偶然会えたのだから栗之先輩ともう少し話したい想いが心のうちに生まれていた。俺は帰りに誘うことに少し照れながらも、言葉を発した。


「栗之先輩、よければ駅まで一緒に帰りませんか?」

「わたしは構わないけど、それだと松貴くん歩くことになるけどいいの?」


「駅まで歩くぐらい大丈夫です。だったら僕自転車すぐにとってくるので校門の手前で待ってもらってていいですか?」

「わかった。待ってるね」


 栗之先輩は校門の手前に向かって歩き出し、俺はここから少し離れた駐輪場へと急ぐため走り出した。


 校門を出た俺は自転車を押しながら栗之先輩とともに二車線設けられた街路の歩道を進んでいた。街路の左右には住宅街を主とした建造物に囲まれている。周囲の自然といえば街路樹程度のこの街路は味気なく毎日感じていた。


「栗之先輩ってこの前自炊していると言っていましたが、昨日の夕食とか何作ったんですか?」

 以前の昼食で栗之先輩が自炊をしていることを知った俺は栗之先輩が夕食のレシピが気になっていた。

「昨日の夕食はグラタンを作ったよ」


 グラタンの名を聞いた瞬間、栗之先輩は割と凝った料理を自炊するのだと思い知らされた。グラタンの名を聞くだけで食欲をそそるチーズの匂いと深みのある味を思い出す。 


「昨日はグラタン作ったんですか? 美味しそうでいいですね」 

「何度も作ったことあるから味には結構自信あるよ。チーズに絡んだ具材がとにかく大好きで」


「それ分かります。自分はチーズに混ざった鶏肉の歯ごたえが気に入っています」

「鶏肉美味しいよね。今日もグラタンにしようかな。まあ流石に二日連続でグラタンはきついかな」


 栗之先輩は苦笑いをするが俺としては二日連続でグラタンでも案外余裕かもしれない。これまでグラタンを二日連続で食べたことはないので保証はできないが。もっともここは話を合わせるために「連続で食べると飽きそうですね」と相槌を打つ。


「松貴くんもそう思うんだ。今日のレシピは何にしようかな」


 栗之先輩は考え込むのように少しだけ真剣な表情を見せる。俺は朝昼晩の食事で一番楽しみは量も多く朝や昼よりも豪華になりやすい晩飯だ。だが栗之先輩は一人暮らしであるため晩飯ですら自己責任で用意する必要がある。だからこそ自分で作るものには真剣になるのだろうと勝手に想像してみる。一人暮らししている姉は平日は仕事の関係でコンビニにお弁当で済ませることが多いから、平日ですら手料理を作る栗之先輩は凄い実感する。


「献立の方向性とかもう決まっているんですか?」 

「食べたい料理のジャンルは決まっているんだけど……そうだ、松貴くんに聞きたいけど、今日の主食に米料理か肉料理ならどっちが食べたい?」


 栗之先輩から投げ掛けられた二択は個人的には悩ましいものだった。スポーツをしてた中学生の頃であれば量重視で肉一択だろう。もっとも成長した今では米料理も捨てがたい。というかあまり米料理を食べたことはなかった。ほぼ毎日白米を味わっているが。


「お米はよく食べていますけど、米料理となるとあんまり食べないので今は米料理が食べたいですね」

「ならリゾットにしようかな。具材はシーフードにしよ!。シーフードとリゾットって相性が良くて美味なんだよね。」


 栗之先輩から普段は聞き慣れない料理の名が挙げられる。以前食べたのは大分前だったので正直なところ味は覚えていないがシーフードとお米の組み合わせは確かに良さそうだ。 


「リゾットですか。あまり食べたことないですけど、美味しそうですね。てかご飯の話しをしていたらお腹空いてきました」


 料理の話題を振ったのは自分だがグラタンとリゾットを思い浮かべていると無性に食欲が湧いてきていた。


「私もお腹がなりそうだよ。丁度近くにハンバーガーショップあるし寄っていかない?」


 駅までの道にはハンバーガーショップが一軒営業していた。二階建てで駐車の数は少なめで躍巡高校の学生も下校中に寄ることも多い。


「今日はアルバイトないですから、行きましょう」 


 俺と栗之先輩は特に急ぐこともなくハンバーガーショップに到着するまで会話に興じていた。


「見たところ人は少なそうですね」


 店前にたどり着いた俺達はガラス越しの壁から店内の様子を伺う。躍巡高校の学生が何人か居たが知り合いは見当たらず、客数も平日の平均よりも少なめの印象だった。


 席に座れることを確認したところで俺達はガラスの扉を押し店内に入る。店内からは香ばしいフライドポテトの匂いがこちらまで漂ってきて食欲がそそられる。


「いらっしゃいませ。ご注文は何にいたしましょうか?」


 カウンターに着くと女性の店員から注文を聞かれたので、俺と栗之先輩はカウンターに貼り付けられているメニュー表を見下ろす。ハンバーガーショップに来るのは今月に入って初めてなので、いつも以上にハンバーガーへの食欲が増していた。できれば量のあるものが味わいたい。メニュー表を熱心に見ていると「ご機嫌バーガー」の名が目に止まる。ご機嫌バーガーはサイズが大きめなハンバーガーで肉に厚みがあり野菜も豊富だ。以前食べたことがあるがお腹的には満足な味だった。


 俺は注文をご機嫌バーガーのセットに決めるとセットのドリンクを選び始める。炭酸か非炭酸かで悩んでいると栗之先輩が先に「フライドポテトとカフェラテもそれぞれ一つずつ、サイズでお願いします」と注文する。俺はあまり先輩を待たせるのはよくないと思い無難にコーラーにすることを決断する。


「僕はごきげんバーガーセット、ドリンクはコーラーでお願いします」


 商品名を伝えレジに料金が表示される。俺は自分の注文した料金丁度のお金が財布に入っており、すぐにトレーに料金を置くが栗之先輩は小銭を入念に調べていた。俺がトレーに料金を置いて十秒ほど経過してから、栗之先輩は五千円札をトレーの上に載せた。どうやら料金に対し小銭が足りなかったようだ。店員さんからお釣りとレシート、待受け札を受け取ると俺達は席を確保するためカウンターから去る。


「席あの場所でいい?」


 栗之先輩は指で空席を指したので俺は「そこで大丈夫ですよ」と返事をする。


「松貴くんって大食い?」


栗之先輩はこちらに一瞬目を合わせてから問いてきた。大食いには思えない栗之先輩からしたらご機嫌バーガーをセットで頼む人は大食いと感じてしまうかもしれない。だが俺はそれほど大食いではない。スポーツをしていた中学生の頃は食べる量も運動部以外の人間と比べたら多かったが、今は至って普通である。俺としては栗之先輩の注文した内容が気になっていた。 


「大食いってわけではないですけど、食べるときは食べますよ。栗之先輩こそそれだけで足りますか?」


 栗之先輩が注文した量はフライドポテトとカフェラテだけでいずれもサイズであった。俺としては栗之先輩の食べる量が少ないのではないかと気になっていた。


「夜ご飯も多いから私はちょっとだけかな。とっても松貴くんと比べたら食べる量は流石に少ないけどね」


 栗之先輩の返答を耳にしたときあと三、四時間もしたら夕食であることを思い出した。夕食に支障はないはずだがごきげんバーガーを注文したのは少々失態だったかもしれない。


「夜ご飯考えたら自分頼みすぎましたかね。まあなんとかなりますよ」


 俺は乾いた笑みを浮かべながら夕食の量が多すぎないことを願っていた。俺達は向かい合うように栗之先輩が指定した席に座る。座った座席は店内手前側壁際の席でガラス壁からは店前の道を観察できる。やがて作られた商品を載せたトレーを持った店員が待受け札と引き換えにトレーを机に置き一礼して俺達の前から退いていった。


 運ばれてきた食品に俺達は手をつける。栗之先輩がゆっくりとフライドポテトを食べる間に俺は勢いよくごきげんバーガーを食べ進める。その様子を栗之先輩は興味津々に笑みを浮かべながら伺っていた。その後も雑談を交えつつ食品を腹に収めていた。


「自分文系のコース選んだのですが、栗之先輩って理系か文系どっち選びました?」


 大学進学の希望の俺は雑談が途切れかけたところで二年生から選ぶ文理選択の話題を栗之先輩に振る。


「選択教科は私は一応文系だよ。とりあえず文系教科が得意だったから文系にした」


 窓から温もりのある夕焼けの光が差し込み栗之先輩は掴んでいたフライドポテトが照らされる。栗之先輩はそのフライドポテトを手から離し笑みもなく平坦な口調で話を返してきた。


「そうなんですね」


 栗之先輩から口調や表情に元気がないことに引っ掛かる。栗之先輩はドリンクを一口飲むと先とは一変して温厚な声で逆に俺に対して選択教科について質問してきた。


「松貴くんはなんで文系にしたの」

「消極法ですかね。数学が苦手なので、文系を選びました。姉の大学での学部が理系だったので理系にも興味あったんですけど、数学が難しすぎて諦めました」


 慕っている姉さんと同じ理系の大学への進学も考慮していたが、中学の時から他の教科と比べて比較的苦手だった数学の成績は高校入学後も芳しくなかった。


「数学難しいは私も同意だよ。ちゃんと勉強しないと数学は問題全く解けなくならない?」

「数学は本当に気が抜けないのでその気持ち分かります」


 俺と栗之先輩は数学の難しさに顔色を苦めていた。複雑な方程式を使う問題でも悩むのに、図形問題とかは俺にとって余計に理解するのが困難であった。本当に数学が得意だった姉さんが羨ましく感じた。栗之先輩はポテトを口に含め歯で噛み始める。そして噛み終えると口を開く。


「だけど大学進学ね。周りでも受験の話題増えてきたけど、やっぱり皆苦労しているんだろうね」 

「進学希望の人は志望校に入りたいので必死だと思います」


 やはり受験対象の三年生は受験に追われているようだ。それどころかまだ時間が残っている二年生ですら選択教科の件もあって志望校の話を耳にする機会は多かった。


「松貴くんは進学希望どこなの?」

「自分は……まだ決まってないですね。とりあえず進学するつもりです。父さんもそれを望んでいるので」


 志望校が決まっていない俺は一時的に言葉が詰まった。俺はアルバイトに力を入れているため現段階では志望校について殆ど検討していなかった。もっともこの現状を父さんは好んではいないのだろう。 


「松貴くんのお父さんはそうなんだね。勉強頑張ってね」

「できる限り頑張ります」


 あまり受験に意識が向いていないとはいえ三年生から応援されるのは素直に嬉しかった。今日の会話で栗之先輩のことを信頼しつつあった俺はふと第三者に家族のことを相談したら解決策が貰えないかと考えた。今までは友人たちに心配をかけたくないあまり家族のことを口にはしなかった。だが自らの力では解決することは厳しいと実感しており、他の人の意見も聞きたかった。


 もっともつい最近出会った栗之先輩に自分の家族のことだと明かした上で相談すると興醒めされる可能性もあるので、ここは友人の話だとぼかして伝えることに決めた。俺は事情を説明している最中にボロがでないよう息を整えながら話す内容を整理してから栗之先輩に声をかける。


「友達から家庭のことで相談を受けているのですが、僕じゃ解決できそうにないので栗之先輩その友達の話聞いてもらえませんか?」

「家庭のことか……どんな話なの?」


 栗之先輩は唐突に切り出された重めの話題に困惑している。俺は栗之先輩に申し訳ないと思いつつも自分の家庭を基にした偽りの相談を説明する。


「えっとですね、その友達にはお兄さんがいるんですけどそのお兄さんが親御さんと喧嘩して長い間家出してましてそれで友達はお兄さんと親御さんを仲直りさせたいみたいで」

「長期間の家出となるとかなり厄介だね」


 栗之先輩は切なそうな瞳で店の窓を見ながら芯が抜けたような声を口から出した。様子がどこか変わっていることに俺は驚きつつも相談を続ける。


「友達としては家族全員でまた一緒の時間が暮らせたら良いみたいですけど、喧嘩した理由が進路のことで揉めたのが起因でお兄さんはそのことをかなり恨んでいるらしく、親御さんもお兄さんを許す気はないみたいで」


 姉さんも父さんも和解を望む様子は今の所全くない。栗之先輩も流石にこの難しい相談に頭を悩ませたのか「双方ともに相手に悪印象を持っているのか……」と呟いたあと沈黙したままドリンクも飲まず一分程度黙り込んでしまう。俺は返事を待ちながら栗之先輩に迷惑を掛けたのではないかと不安に陥っていた。


「……ごめんだけど私にはこの問題は複雑すぎて助言するのは難しいかな」


 栗之先輩はようやくを口を開くが顔色は沈んでいた。俺はその栗之先輩の顔色が気懸りだった。相談の持ち主である架空の友人を憂いたようには思えなかった。もっと別な理由であの顔色になった何となく悟った。


「そうですか。話を聞いてもらってありがとうございます」

「私も力になれなくてごめんね」


 栗之先輩に謝辞を述べつつも、この件は自分一人で解決することを覚悟した。

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