第3話 目当てのコーヒーはどこ?

 栗之先輩との初めての昼食から数日が経過していた。今日も授業を終えた後、俺は一度家で帰宅し少しだけくつろぐと十七時からのアルバイトに向かうため勤務時間に対してある程度早めに家を出る。職場にたどり着くと店員用のロッカーがあるバックヤードでエプロンを身につける。余った時間でスマホを触りながら勤務開始まで時間を消費した。俺が仕事を始める時間帯は晩ごはんの食材を買いに来る人たちで店は混み始める。


 自分の担当は品出しだが、レジは行列を作ることも多々あり、レジ係は忙しい。ここ数日間、栗之先輩はスーパーへ足を運んでいなかったので、今日あたりにスーパーで食材をまとめ買いするのではと予想しながら業務に当たり始めた。勤務開始から一時間半程度が経過する頃には予定通りにスーパーは繁盛していた。今日も商品の補充や前出しを行いながら、商品の場所案内などの接客対応もしていた。


「店員さん、最近出たコーヒーはどこにあるかね?」


 菓子コーナーで陳列棚の商品を奥から手前に寄せる「前だし」という作業をしているときに一人のお婆さんに声を掛けられた。「コーヒーというのは具体的にはどういう商品でしょうか?例えば缶コーヒーやペットボトルに入ったコーヒーなどがありますが」


 お婆さんの尋ねてきた内容は非常に曖昧で対応に悩まされる。スーパーで扱っているコーヒーと名の付く商品だけでもインスタントコーヒーやドリップコーヒー、ペットボトル容器に入った商品もある。コーヒー商品は殆どが一箇所に固められて陳列されているが、一部の商品は別の場所に陳列されている。なのでコーヒーの種類から絞る必要があった。お婆さんは悩むように顔を顰めながら声を発した。


「缶やペットボトルのコーヒーではないわね。確か瓶から茶色粉をスプーンでカップに入れてお湯を注いでいたわ」


 コーヒーを飲むまでの手段と瓶という回答は恐らくインスタントコーヒーを表しているのだろう。だがそこまで具体的な方法を知っているのにインスタントコーヒーの名を知らない点については腑に落ちなかった。


「それはインスタントコーヒーでお間違いないでしょうか?」

「多分それで間違いないはず」


 お婆さんは思い悩んだような表情で小さく頷いた。顔色と「多分」という言葉に不安を抱きながら俺はお婆さんをインタントコーヒーが並べてある陳列棚まで連れて行く。


「こちらがインスタントコーヒーのコーナーとなります。新商品となりますとこの二つの商品となりますがいかがでしょうか」


 俺は最近発売された二つのインスタントコーヒーを陳列棚から手に取り、お婆さんに確認してもらう。お婆さんは商品を正視するが「形は似ているけど違うわね」と首を横に振った。俺は探されている商品がインスタントコーヒーであることを確認を得ると手に持った新発売のインスタントコーヒーを陳列棚に戻しながらお婆さんに一つ質問をする。


「お客様、そちらの商品はいつ頃発売されたわかるでしょうか?」

「だから最近よ。一ヶ月前に友達の家で飲んで気に入ったから探しに来たのよ。その友達も探しているコーヒーは『最近見つけたのよ』と言っていたわよ」


 俺はお婆さんは貰ったインスタントコーヒーが最近発売されたと勘違いしている可能性に気付く。恐らくお婆さんの友人が発した『最近見つけたのよ』の言葉の意味は「新発売の商品を見つけた」ではなく、ただ単に以前から発売されていた商品をお婆さんの友人が「最近初めて見つけて購入した」が正しいはずだ。


「恐らくですがお客様がお求めの商品は最近の商品でない可能性があります。よろしければ他の商品も確認してもらってよろしいでしょうか?」


 お婆さんは陳列棚を目を通すと一つの商品を指した。


「確かこれだったわね。店員さんありがとうね」

「いえこちらこそ見つかって何よりです」


 お婆さんは商品をかごに入れると頬緩ませ感謝を伝え俺の前から去っていった。お婆さんの目当ての商品は一年前から店頭に置かれているものだった。どの段階で勘違いしたかは不明だが早期に発見できて良かった。俺は菓子コーナーに戻ろと歩みだそうとしたとき、「松貴くん頑張ってるね」と数日前にスーパーそして学校で聞いたばかりの声で横から呼びかけられた。


「栗之先輩?」


 不意に声を掛けられたこともあり、俺は動揺し声が震えていた。栗之先輩も俺の異変に気づいたのか「驚かせてごめんね」と愛想の良い笑顔で謝ってくれた。


「気にしてないので大丈夫ですよ」

「それなら良かった。それより先の仕事ぶり見てたけど、仕事頑張ってて凄いね」

「お客様に喜んでもらいたい思いで働いているので褒めてもらってありがたいです。」


 栗之先輩には発覚しないように笑顔で対面しているが、年の近い女性から褒められた経験が少ないからか体は急激に熱くなっていた。栗之先輩は俺を直視した上で「それと声かけてゴメンね。仕事の邪魔したよね。わたしは食材買って来るから、また学校でね」と自ら去っていった。俺は会釈しながら心の中で褒められたことについて喜んでいた。アルバイトが終了し浮かれながら帰宅した俺はベッドに座りながら携帯を触っていた。軽くネットサーフィンをすると予定アプリで次の日の予定を確認する。


「そういえば、明日は振込日か」


 スマホ画面を眺めながら俺は一気に冷静な気分に変わる。「姉にお金を振り込む」それがスマホに記載された明日の予定だった。


 少し時間が経つと自室の外から香りの良い料理の匂いする。それは夕食の完成が近い合図だった。俺は扉を開け部屋を出てリビングに向かうと既に長方形のテーブルには料理が並べられていた。父さんの節稜は椅子に座って母さんの灯が料理の準備が終わるの待っていた。


 母さんは俺を見掛けると「料理できたわよ」と告げたので、俺は父さんから見て正面の席に腰を落とす。父さんは夕食の時間ということもあり笑顔こそないが、穏やかそうな面持ちだ。もっとも俺は父さんが苦手だった。母さんも料理の準備を終えて父の隣の席につく。全員で手を合わせ「いただきます」と口にすると、夕食を食べ始める。


 父さんと母さんは世間話をしながら食事をするが、俺は殆ど会話に混ざらず一人でテレビを見ながら料理を味わっていく。以前までは俺の反対側の席に姉さんが座っていたが現在のその席は空席となっている。姉さんは俺が中学一年生のときに家を飛び出した。家を出た要因は元から姉さんと父さんの間に軋轢があったからだ。そのため父さんは姉さんの話題を話すことは殆ど無い。あっても姉さんの愚痴ばかりだった。


「ご馳走様」


 三人の中で一番早く食べ終わった俺は食器を台所に持っていき蛇口を上げ食器を十分に水に濡らすと蛇口と下に押し水を止めると自室に戻った。勉強机の椅子に腰掛けると念の為スマホで姉の口座に振り込む金額を確認する。


 姉さんには借金があり俺はアルバイトで姉の借金返済を手伝っている。姉さんが借金している理由はあえて聞いていないが、以前姉さんが病気で休職していた。それが借金の原因の一つだと俺は見做しているが、他にも借金の原因があると何となく察している。ただでさえ仲が悪い姉さんと父さんの関係を修復させるのは借金の存在より困難となっていた。俺はスマホの画面をおぼろげに眺めながら重いため息を吐いた。

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