感情は流転する、では愛は?


 感情は流転する。



どれだけ好きな人でも、どれだけ嫌いな人でも、1日違えば昨日と同じ熱量を抱けなくなることはよくある。

というか、常にそうである。



感情は絶え間なく変化する。

これは連続する曲線であって、言葉で区切って取り出すとその連続性の動きは失われてしまう。



対して、記憶は、静的に、言葉でタグ付けされて保管されるものである。

いわば区切られて収納されている。



ゆえに、言葉も記憶も流転する感情をそのままとどめておくことはできない。


感情は感情の流れの中でしか真の感情ではいられない。



私はこれが惜しいと思う。



 遠くに住む先輩に、爽やかな夏の浮き足立つ感覚を私に植え付けてくれる人がいる。


その先輩と話しているとき、確かに私の感情は夏の爽やかさを孕んでいた。


けれども手元にあったはずのその感情は、気づくとなくなっていて、もう戻ってくることはない。


感情は私の財産であるように思えるから、これを奪われることは大変耐えがたい。


失われた夏のあの感じを取り返そうと先輩にまた話しかけてみても、前のに似た別の感情が新しく手に入るだけである。


一度失ったものはもう戻ってこない。


そして新しく手に入れたものもすぐに私の手元を去っていく。




感情は流転することを、そういうものだとして私は受け入れなければならない。





 ところで、私には愛する人がいる。


彼女のことは大事にしたいし、大事にしなければならないと思っている。

とりあえずここでは愛とはそういうものだとしておく。


しかし、当然ながら、彼女への感情も大事に取っておくことは許されていない。


どれだけ彼女のことを愛おしく思っても、しばらくすればその感情は私のもとを去っていく。


そして彼女のことを愛おしく“思った”という形跡だけが残る。



感情は常に流れていくから、いつか彼女のことを大事に思えなくなるのではないか、ということが恐くてたまらない。


けれども、彼女のことを大事に思えないのを恐れることは、「彼女のことを大事にすべき」という信念があることを示唆している。


感情が動的なのに対して、信念は静的である。


そして、信念は大きな感情に突き動かされるようにして形成されるように感じる。


彼女のことを大切に思ったその一瞬一瞬がピースとなって、信念が徐々に形成されていく。



愛とは、もしかしたらそのような大きな感情と、それによって形成された信念により成り立つものなのかもしれない。


静と動が絡み合ってこそはじめて愛となるのかもしれない。

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洗練された生を かすみ あられ @Casumi_Arare

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