第10話

 朝、食堂にて――。


「奥様ぁ! 手紙が来てるよ!」


 リューが元気に両手を上げて手紙を振っていた。


 私はその手紙を受け取った。差出人は〈グレアム〉とある。

 でも、グレアム様の字じゃない。もっと粗野な潰れた字だ。


 読まなくてもわかる。これは至宝に関する情報を催促する手紙だろう。

 セーファス様が私の目を覗き込んでいたから、私は無言でうなずいた。


 私の手から手紙を抜き取り、セーファス様はナイフも使わずに手で手紙の封を切った。その文面にサッと目を通して顔を上げる。

 それを懐に仕舞うと、セーファス様は私に微笑みかけた。


「グレアムが寂しがっているそうだから、朝食が済んだら会いに行こうか」

「えっ……はい!」


 グレアム様を救い出したい。お嬢様や旦那様、奥様のところに帰してあげたい。

 どうかこの願いが叶いますように。


 興奮で震える手でパンを千切って口に運ぶけれど、胸がいっぱいで食事が喉を通らなかった。


 ――これですべてが終わる。



 私は盗賊たちのアジトの位置を正確には知らなかった。

 この屋敷へ来るまでにかかった時間、道中にあったものから推測することができるという程度だ。

 ただ、そんなことはセーファス様にとって重要ではなかったらしい。


「手紙に思念がまとわりついている。それに、メルが自覚している以上のことを僕は知ることができるから」


 セーファス様は私を書斎へと連れていった。


「入ってもよろしいのですか?」


 恐る恐る訊ねると、セーファス様は苦笑した。


「ガラス戸の書棚にだけは触らないでいてくれたらね」


 本当に、あそこには何があるのだろう。

 もう二度と触るつもりはないけれど、あそこは竜の逆鱗だ。


「もう頼まれても触りません」

「そうしてくれ」


 書斎に入ると、セーファス様は私と向き合い、私の両肩に手を置いた。


「じゃあ、男爵家襲撃からアジトへ連れていかれた時のこと、この屋敷へ連れてこられるまでの道中を思い浮かべてくれ」

「はい」


 口頭でそれらを伝えてほしいというのではなかった。セーファス様は私と額を合わせる。私はまぶたを閉じて言われた通りにした。


 お互い、身じろぎひとつしなかった。

 しばらくして、セーファス様が額を離す。


「わかったよ。じゃあ、行こう」


 この笑顔を見ていると、不安はもう何もない。大丈夫だと、私は安堵した。

 私はセーファス様を信じることにしたのだから。


「この書斎には特殊な術が敷いてあって、僕の力を増幅し、移動を助けてくれる」

「移動?」

「もちろん、普通の人には使えない移動手段だけど」


 セーファス様の腕が私の腰を引き寄せ、ピッタリと体を添わせる。その途端に、タイルの柄だとばかり思っていた丸い円が輝き始めた。私たちはその中心にいる。


 床から上り始めた光は、徐々に天井に達するほどだった。あんまりにも眩しくて、私は目を開けていられなかった。固くまぶたを閉じて光に耐えていると、セーファス様の声が耳元でした。


「もういいよ」


 そうっと目を開けると、そこは海のそばだった。潮風が私の髪を弄る。

 崖に近い建物の上にいた。レンガの胸壁の上に海鳥の糞がたくさんこびりついている。


「ここが……」


 ああ、確かにあそこでは鳥の声がしていた。それを今更ながらに思い出した。

 セーファス様はダンスでも申し込むかのように私の手を取る。


「メルには指一本触れさせないから安心して」


 私はうなずいてセーファス様に続いた。

 屋上から下へ続く階段の扉は簡単に開いた。薄暗い階段をヒタヒタと音を立てて歩いていると、途中でいかつい髭を生やした男と出くわした。

 覆面をしていないのは、仲間ばかりだと油断していたからだ。


「お、お前っ!」


 男は私の顔を見て驚いていた。私は遠く離れた辺境伯のところにいるはずだから。

 でも、セーファス様は軽く手を振っただけで男を昏倒させてしまった。それを踏み越えていく。


「グレアム少年はこっちだね」


 勝手知ったるとばかりにセーファス様は進んでいく。

 グレアム様の囚われている部屋はいつも施錠されていたけれど、セーファス様がドアノブに触れただけで簡単に開いた。


 粗末なベッドの上のグレアム様は、盗賊たちが来たと思ったみたいで体を強張らせて上体を起こした。私の顔を見るなり、顔を真っ赤にする。


「メル! メルなのっ?」

「そうです、グレアム様! 助けに参りました!」


 私も感極まって泣きながらグレアム様を抱き締めていた。グレアム様は盗賊に気づかれてはいけないと、声を殺して泣いていた。こんなに小さな子がひどく苦しんだことをひしひしと感じた。


 ここでグレアム様は急にネジの切れた人形みたいに力を失った。


「グ、グレアム様っ?」

「これから起こることはちょっと刺激が強すぎるから、眠ってもらっただけだよ」


 それを聞いてほっとした。


「じゃあ、メルもここで待っていて。すぐ戻ってくるから」

「セーファス様は……」

「僕はやつらにお仕置きをしてくる」

「は、はい」


 どんなお仕置きなのだろう。ドキドキする。

 私は部屋の中で、眠っているグレアム様の顔を拭いて汚れを落としたり、髪を梳いたりしてセーファス様が戻ってくるのを待った。

 部屋の扉を通して、男たちの野太い悲鳴が聞こえてくる。


 可哀想ではない。自業自得だ。

 たくさんひどいことをしたから、その報いを受けている。


 そして、涼しい顔をしたセーファス様が戻ってきた。一糸乱れず。

 乱闘なんて一切なく、セーファス様が一方的に盗賊をやっつけたと、そういうことなんだろう。


「もう安心だ。ええと、グレアム少年を先に送り届けるかい?」

「お願いします!」


 お嬢様たちがどんなにグレアム様を心配しているか知れない。今すぐに無事な姿を見せてあげたかった。


 セーファス様はグレアム様を抱え上げ、私と部屋を出る。

 下りてきた階段を今度は上がっていくのだけれど、その途中、誰にも会わなかった。男たちは皆、意識を失って倒れているんだろうか。


 なんだか、廊下には妙にたくさんのネズミがいた。

 憐れにチュウチュウと鳴いている。

 ――まさかね、と私はチラッと浮かんだ考えを打ち消した。



 そこから、セーファス様は一度書斎に戻った。それから改めて、レディング男爵家のマナーハウスの前に移った。

 私は懐かしさのあまりではなく、その屋敷の悲惨さのために息ができなかった。


 屋敷は半焼していた。美しかった屋敷は無残なものだった。

 本当にお嬢様は無事なんだろうか。


 私がショックで口も利けないでいると、瓦礫を片づけている背の高い男の人が私たちに気づいた。


「あぁ、メルディナ! 無事だったのかっ!」


 それは従僕のバートさんだった。大きく手を振って駆け寄ってくる。

 駆け寄ってみて、セーファス様が抱きかかえているのがグレアム様だということにも驚いている。


「グレアム様だ! まさか、こんな……っ」


 奇跡に感謝して声を震わせている。

 セーファス様が身じろぎすると、グレアム様が目を開けた。


「グレアム様、お屋敷へ戻って参りました。もう心配は要りません」


 私がそっと声をかけると、グレアム様は辺りを見回し、何度も目を瞬かせた。


「自分で歩けるかな?」

「は、はいっ」


 セーファス様はグレアム様を下ろした。グレアム様は呆然と焼けた屋敷を見上げている。

 気持ちを落ち着けようと、自分の胸をトントンと叩いたバートさんは、潤んだ目を私に向けた。


「メルディナが、自分の身代わりになって逃がしてくれたとお嬢様が仰られていた。グレアム様も連れ去られ、二人はもう無事ではないかもしれないと、皆、悲しんでいたんだ」

「お嬢様はご無事なんですね?」

「ああ。隠れていて無事だった。悲しみのあまり寝込まれているそうだが、今は旦那様と奥様と王都の方においでだ」


 それを聞けて、私もやっとすべての重荷から解放された気分だった。


「私は無事に逃げられました。それで、こちらのお方に助けを求めて、グレアム様も救い出して頂いたんです」

「そうだったのか。さっそく、旦那様にお知らせしよう。こちらの方にもお礼をしないと――」


 すると、ずっと黙っていたセーファス様が口を開いた。


「礼など要らないと伝えてくれ。僕はメルの頼みだから助けたまでだ」

「え、ええと……」


 セーファス様の近寄りがたい容姿が醸し出す雰囲気に、バートさんが吞まれている。私は苦笑して言った。


「改めてご挨拶に参ります、と旦那様方にお伝えください」


 深々と頭を下げる。グレアム様は寂しそうに見えたけれど、聡明なお子様だから、私の心を酌んでくれている。


「ありがとう、メル。それから――」

「セーファスだ」

「セーファス様もありがとうございました」


 握手を交わし、私たちは屋敷から遠ざかる。

 私の肩を抱いたセーファス様がささやく。


「帰ろう」

「はい」


 私は左手の薬指に嵌った指輪の存在を何度も確かめた。

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