第3話

 屋敷の中はやっぱり古めかしい。

 階段の手すりの細かい木彫りなど、埃の目立つところがあった。掃除が行き届いていない――なんて、つい使用人の目線でものを見てしまう。


 途中、メイドらしきお仕着せの少女と出くわした。私と同じ年頃で、つり目がちの可愛い少女だ。波打ったセミロングの髪はミルクが多めのミルクティーほどに優しい色をしている。


「誰それ?」


 メイドにしてはぞんざいな口の利き方に私の方がびっくりした。けれど、執事はちっとも驚かないし咎めない。


「旦那様の花嫁候補だ」

「えっ! ほんとに?」


 その子の視線は執事のものよりももっと不躾だった。どちらかというと嫌悪感丸出しだ。


「駄目駄目、こんなの。セーファス様には相応しくないわ」


 ひどいことを言われた。でも、ムッとするのもどうなのだろう。おじいさんとお似合いとも言われたくない。


「それをお決めになるのはセーファス様だ」

「ルロイだって今のままの方が心地いいくせに」

「もう黙るんだ、レティス」


 ピシャリと言われ、メイド――レティスというらしい――は不貞腐れて走り去った。まったく教育がなっていない。

 私が男爵家であんな態度を取った日には即刻解雇されただろうに。かなりアットホームみたいだけれど、上下関係のけじめは必要だ。


「お見苦しいところをお見せしました」


 まったくだ、という心の声を呑み込む。


「いえ……」

「さあ、こちらです」


 執事のルロイはそう言って重苦しい扉を叩いた。


「セーファス様、お客様がお見えになりました。花嫁の募集広告を見てきてくださったそうです」


 中から、えっ、という声がした。自分で広告を出したくせに、本気で誰かが来るとは思わなかったのだろうか。


「は、入ってくれ!」


 この時、私は違和感を覚えた。そして、扉が開いてすぐにその違和感――声が若すぎることの意味を知った。

 事実、若かったのだ。そこにいたのは二十代半ばほどの青年だ。


 タイルの敷き詰められた書斎の中、大きな机の前で立ち上がった青年が辺境伯だというんだろうか。

 白に近い光沢のある長い髪をひとつに束ね、リネンのシャツにシンプルなベスト、タイを身に着けている上品な青年。

 顔立ちは繊細に整いすぎているほどで、肌には黒子ひとつなかった。


 そして、何よりも印象的なのがその目だった。左目が青色、右目が金色、左右で違う色をしている。とても珍しいけれど、彼にはよく似合っていた。

 驚きが勝ちすぎて、私がまずするべきだった挨拶が飛んでいってしまった。


 それなのに、辺境伯は近寄りがたい雰囲気を一瞬で崩すような笑みを浮かべて私を迎え入れてくれた。


「ようこそ、お嬢さん。君の名前は?」

「メ、メルディナ・ラシュディと申します」


 辺境伯はニコニコと、いかにも上機嫌で私に目を向けていた。私はというと、緊張で舌を噛みそうになっていたけれど。


「そう、可愛い名前だね。君によく似合っている。僕がセーファス・フィルビーだ」


 そう名乗るからには本物らしい。おじいさんではなかった。

 それも、こんな美形だなんて知らなかった。

 これなら、どんな辺境であっても花嫁が見つからないはずがないのに、社交場に出てないからいけない。


「それで、僕の花嫁になってもいいと考えてくれているんだね? 若く見えるけれど、いくつかな?」

「十八歳ですが、もうすぐ十九になります」


 それを聞くと、辺境伯はちょっと考えるような素振りを見せた。


「若いなぁ。僕みたいな年寄りでもいいの?」


 もっと年寄りだと思ってましたから、十分若いです――とは言えない。


「あの、あなた様のようなお方でしたら、いくらでもお相手が見つかると思います。どうして広告なんて出されたのですか? 私の家に爵位はありませんし、本来ならとても釣り合いの取れる人間ではないのですが」


 それを言うと、辺境伯は妙に優しく微笑んだ。まるで、もうすでに恋に落ちたかのようにして。

 ――そんなわけはないと思うけれど。


「いや、実際に来ないし。僕は身分にこだわりはないから、そこは気にしなくていいんだ。そんなことよりルロイたちと仲良くしてくれる人が望ましいかな」


 ルロイやレティスたち使用人と仲良くできる人がいいと。辺境伯にとって彼らは使用人というよりも家族同然らしい。

 貴族にしては変わったものの考え方だが、不快感はなかった。レティスはちょっと甘えすぎだとしても。

 じっと、すべてを見透かすような辺境伯の目が私に向いている。


「君の生まれとご家族は?」

「生まれも育ちもグラント領で、貴族のお屋敷で侍女としてお勤めさせて頂いておりました。両親も存命ですが、奉仕活動に忙しく各地を転々としているので、たまにしか会うことはありません。年の離れた姉もいますがすでに嫁いでいます」


 これは本当だ。両親はボランティア精神に溢れる人たちで、何を差し置いても貧しい人や困窮している人を助けに走る。自らの家庭を二の次にして。でも、それがおかしなことだとは思わないらしい。


 私は忙しい両親を横目に、十二歳の時に男爵家へ奉公に上がることにした。父は貴族でこそないが、少々の土地を所有していたから、生活のためじゃない。行儀見習いの意味合いが強かった。


 幼い頃、家族とはろくに接することもなく、寂しくなかったかといえば、とても寂しかった。

 だからこそ私はお嬢様のために親身になったんだと思う。貴族の家庭も親子の関りがとても希薄に見えた。

 お嬢様もグレアム様も留守番ばかりで、そんな姿を自分と重ねてしまった。


「そう。僕の方は誰もいないんだよ。兄弟はもとからいないし、両親は他界しているから」


 辺境伯はやっぱり孤独な人らしい。

 血縁が誰もいないとなると、早く結婚したいのは当然だろう。貴族には後継ぎが必要だから、余計に。


 私を見つめる辺境伯の目は、吸い込まれるほどに綺麗だった。これから、この目を前にして嘘をつき続けられるだろうか。


 そんな私の心を知らず、辺境伯は優雅に微笑んで告げた。


「君に選んでもらえて嬉しいよ。じゃあ、どうかよろしく、僕の奥様」


 私はこの場で花嫁に相応しいかどうかの審査を受けたわけではなかったのか。

 少なくともこの人は、自分の方が私に選ばれたと思っているらしい。

 この容姿と身分を持ってして、どうしてそんなに自己評価が低いのかが謎だ。


 辺境伯は私のそばへ歩み寄ると演劇の一幕のように私の手を取り、そっと口づけた。


 ――こんな大事なことをあっさりと決めてもいいのかと思ったけれど、絡めとられたのは、むしろ私の方だったのかもしれない。

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