第2話

 私が嫁がされる相手は、セーファス・フィルビー辺境伯だという。


 彼の領地、パレデス領はこのシーウェル王国の中でも西の端っこの方だ。大陸から飛び出した細長い半島で、これといって見どころはない。王都までも遠く、不便な土地だ。

 そんな辺境伯のところに何を探りに行けと。


『辺境伯は自分が認めた者しかそばに置かない。使用人はほんの少し、社交場にもほとんど顔を出さず、付き合いも希薄だ。あそこに入り込むには身内になるしかない。幸い、辺境伯は花嫁を募集している。これといった条件はないそうだから、若い娘なら受け入れられるだろう』


 無茶苦茶なことを言っている。


『警戒心が強いのではないのですか? それこそ花嫁なんて……。爵位を持つような方がそう簡単に決めてしまうとも思えませんが』

『あんな娯楽もない辺鄙な土地に嫁ぎたい若い娘はいないだろう。身分は問わないと新聞の広告欄に書いてあった』


 ――そんなことがあるものだろうか。

 これは棺桶に片足を突っ込んでいるような高齢のおじいさんが、死ぬ前には一度くらい結婚してみたいということかもしれない。

 新聞に書くくらい切実に願っている。ちょっとゾッとした。


『その辺境伯から何を探り出すのですか?』


 すると、盗賊は覆面からはみ出している目を三日月のように細めた。


『フィルビーの至宝』

『えっ?』

『フィルビー家には代々伝わる宝がある。それは一国と同等の値打ちだと言われるほどの代物らしい。ただし、それを目にした人間はいない。その至宝があるからこそ、辺境伯は屋敷の使用人を制限しているんだ。あんたにはその至宝の手がかりを探ってもらう』


 フィルビーの至宝。

 それは宝石か何かだろうか。


 目にした人間が誰もいないのなら、この盗賊たちもどんな形状のものなのか知らないのかもしれない。


『その情報と引き換えに私たちを自由にしてくれるのですね?』

『ああ。まずは辺境伯との顔合わせからになる。気に入られるように媚びることだ』


 自慢ではないが、男性との交際経験はなく、媚び方をよく知らない。困った。

 けれど、おじいさんなら肩を揉めば気に入ってくれると思っておこう。


 結婚は好きな人としたかった。

 でも、最悪の事態を回避するためには多少の犠牲が必要だとして、その犠牲が私自身だったということだ。

 嫌だけれど、嫌とは言えない。


『だけど、絶対に人殺しはしないと約束してください』

『ああ。俺たちはむやみに人殺しはしない。あんたの屋敷だって、暴れたやつは殴ったが、使用人たちも生かしておいてやったんだからな』


 それが本当であってほしい。

 こんな男たちの言うことを真に受けるべきではないのかもしれないけれど、今の私にはどうすることもできない。


 私は最後に、不安に泣きじゃくるグレアム様を宥め、しばらくだけ耐えてほしいと言って別れた。



 盗賊は私に色々なことを一方的に言った。

 まず、本名を名乗らないこと。身分を明かさないこと。


 ――これらは、盗賊たちが勘違いしてる。


 私はメルディナ・ラシュディであって、マートル・レディングお嬢様ではない。だから本名を使っても問題はないだろう。

 むしろ、つく嘘の数が多いほどボロが出てしまうから、名前と身分は本当のことを言えた方がいい。


 盗賊たちは私を最寄りの町まで連れていき、そこから馬車で辺境伯の治めるパレデス領まで向かうように指示した。


 ここでおかしな動きをするわけにはいかない。自由に振舞えているようで見張られているのはわかっていた。

 グレアム様のために私は辺境伯のもとへ行くしかない。


 その辺境伯が手に負えないほどおかしな人だったらどうしようか。

 初婚とは限らない。何人もの妻を葬り去っていたり、変な性癖があって逃げられていたり、何が飛び出すのか開けてみないことにはわからない。


 ――考えすぎるのはよそう。恐ろしくて堪らないから。

 ため息ばかりが零れた。



 最寄りの町から馬車で半日も揺られた。しかも、道はガタガタでよく揺れて、お尻が痛い。馬車から下りてもまだ揺れている気がした。


 辺境伯の屋敷は古めかしく、聳える小塔が不気味に映る。けれど、自然が豊かなおかげで昼間は明るく見えた。

 門前の番小屋に人はおらず、ただ鉄製の門に立札が下がっている。


 ――ノッカーを叩いてお呼びください。


「…………」


 小さな建物の扉ならまだしも、奥には広い中庭が広がっているであろうこの門をノックして、中から人が出てくるものなのだろうか。

 この門が壊れるくらい力強く叩かないと無理かもしれない。


 いきなり難題を突きつけられた気分だった。

 ため息交じりに、投げやりに、私はノッカーの輪をつかんで打ちつけた。


 これでどれくらい待てば人が出てきてくれると?

 アポイントのない来訪者はお断りだと暗に仄めかしているのか。

 誰も出てきてくれませんでした、とそんな報告をしたら盗賊たちは怒り狂うだろう。


 絶望的な心境で私がそこに立ち尽くしていると、驚いたことにほどなくして門が開かれた。


「お待たせ致しました。あなたはどなた様でございましょう?」


 出てきたのは、黒髪を綺麗に後ろに撫でつけた切れ長の目の若い男性だった。燕尾服に白手袋といった出で立ちから、家令か執事だろう。

 屋敷からここまで走ってきたにしては息も切れていないし、乱れもない。きっと運よく近くにいたんだ。


 私は緊張に上ずる声で告げる。


「わ、私はメルディナ・ラシュディと言います。あの、花嫁を募集しているとお聞きしたのですが、本当でしょうか?」


 すると、その執事は片方の眉を跳ね上げた。明らかに値踏みする目を向けてくる。

 いい気はしないが、品定めは当然かもしれない。


「ええ、我が主は花嫁となる女性をお探しです。どうぞ中へお入りください」


 執事はあっさりと私を中へ招き入れてくれた。

 辺境伯は警戒心が強いと聞いたのに。女は警戒する必要がないということか。


 執事は私のカバンを受け取ってくれた。あの中身は何ひとつ私のものではなく、盗賊たちが用意したものばかりだ。盗賊の仲間内には女性もいたようで、その人たちが必要なものを詰めた。私が今着ているオフホワイトのワンピースもそうだ。


 私は噴水のある中庭を歩きながら、走って逃げだしたい気持ちでいっぱいだった。

 嘘は嫌いだ。嘘をつかずに生きてきたつもりなのに、これからとても大きな嘘をついて人を騙さなくてはならない。


 そうすることでしかグレアム様を救えない。でも、私たちの事情は辺境伯には関係のないことだから、もし知られたら許してはもらえないだろう。


 今更どうにもならないけれど。

 歯車は回り始めた。

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