花嫁とフィルビーの至宝

五十鈴りく

第1話

 まず、私の置かれている状況をわかってほしい。

 私は今、ほとんど面識のない男性と結婚式の真っ最中だ。


 上流階級なら政略結婚は当たり前。

 ただし、相手は貴族でも私は違う。

 結婚相手は吟味に吟味を重ねて慎重に選ぶつもりをしていた。

 吟味しすぎて恋愛にすら発展しなかったことを今更悔いても遅い。


 ちょっとくらい遊んでおけばよかったとか、この時ですら思っている。

 ――実現できたかどうかは別として。


 とにかく、こんな未来はちっとも望んでいなかったし、想像もしていなかった。


 私の人生が一転してしまったのは、ほんの十日ほど前のこと。

 最低最悪なあの一夜が私からすべてを奪い、この最悪な状況を作り出した。


「――を誓いますか?」


 神父の声に続き、新郎の明朗な声が答える。


「誓います」


 その誓いを後悔する日は案外近いかもしれないのに。

 最初から、何を考えているのかよくわからない人だ。


 ただし、驚くほど見目麗しい。真珠みたいに白く艶やかな髪は背中まで届くほど長くて、それを黒のリボンでまとめている。

 そして、左が青色、右が金色の異なる目の色。


 大事に育てられた、血統の良い猫のような男性だ。こんな人が実在するなんて、目にするまでは思わなかった。

 そんな人の妻になるなんて、もっと思わなかったけれど。


 ただし、これは愛のある結婚じゃない。

 私はただの道具だ。

 道具は答える。


「誓います」


 と――。



 私、メルディナ・ラシュディは、レディング男爵家の侍女として男爵家のお嬢様にお仕えしていた。

 十八歳の私よりもひとつ年下のマートルお嬢様はとても可愛らしい女性で、鼻につく気位の高さはなかった。

 誰にでも優しく、私はお嬢様にお仕えできることに喜びを感じていた。

 それが――。


 ある晩、レディング男爵家のマナーハウスに盗賊団が押し入った。

 この時、御当主の旦那様は王都に滞在されていて、屋敷にいたのはお嬢様と幼いその弟君、そして使用人たちだった。誰かが手引きしたのかどうかもわからない。


 襲撃があったのは夜間。私は異変に気づいてすぐ、寝間着のままお嬢様の寝室に向けて駆け出していた。

 勝手知ったる屋敷のことだから、窓から漏れる月明かりだけを頼りに進めた。


『お嬢様!』

『メル……っ』


 すっかり怯えきったお嬢様はベッドの裏側に隠れていた。


『お嬢様、夜盗です! 見つかったらどうなるか……』


 この屋敷に令嬢がいることを盗賊たちが知らないはずがない。絶対にここまでお嬢様を捕まえにやってくる。

 そして、お嬢様が見つかるまで屋敷から引き上げるつもりはない気がする。

 逃げなければ。お嬢様を逃がさなければ。


 けれど、この部屋は最上階。下へ逃げればすぐに見つかる。かといって、隠れ続けても助けが来るまで持ちこたえられるとは限らない。

 私は、今にも泣きだしそうなお嬢様の手を強く握った。


 私だって怖かった。助けてほしいと願っていた。

 それでも、ただ黙って助けを待つだけではいけない。お嬢様を第一に考えないと。


 お嬢様は下々の者にも分け隔てなく大事に扱ってくださった。そんな方を見捨てて逃げるという選択はとてもできない。

 恐ろしかったのに、私は気丈なふりをして口走っていた。


『私と服を交換してください。いざという時には私がお嬢様の代わりになります』

『でも、そんなこと……っ』

『時間がありません! お早く!』


 私はお嬢様の寝間着を剥ぎ取るようにして脱がせ、服を交換した。お嬢様の髪はカラスの濡れ羽色、私の髪は鳶色。年齢も近いし、身長も同じくらいだ。暗がりならごまかせるだろう。


 その直後、荒々しい足音が響いた。私はとっさにお嬢様をベッドの裏に押しやり、自分はベッドの前に立った。

 脚が震える。それでも、護りたいものがある。だから私は立っていられた。


『マートル・レディング嬢だな?』


 覆面をした男たちの人相はわからない。油の臭いのする松明を私に向ける。私は爪が食い込むほど拳を握り、キッと盗賊たちを睨みつけた。


『あなたたちに名乗るつもりはありません』


 毅然と、決して怯えを覚らせたくなかった。

 彼らは私の強気の態度に満足してうなずき合った。


『あんたのことは生かしてやる。一緒に来てもらおう』

『お断りします』


 やはり盗賊たちはお嬢様を狙っていた。あの優しいお嬢様をこんな恐ろしい目に遭わせて堪るか。


 私は強く唇を嚙み締めた。盗賊たちを睨みつける私に、彼らは抱えていた大きな袋の口を開いて見せた。


 そこには盗品が入っているものとばかり思っていたのに、出てきたのはまさかのグレアム様だった。まだ六歳になったばかりの

お嬢様の弟君だ。グレアム様は病弱でか細い。あんな手荒な扱いをしていいはずがなかった。


 私がハッとして口を押えると、覆面をしている男たちがわらった気がした。


『このガキがどうなっても構わないんだな?』


 お嬢様は年の離れたグレアム様をとても可愛がっている。きっと、今にもベッドの陰から飛び出さんとしているはずだ。

 私はこれ以上時間を稼げなかった。


『わかりました。あなた方に従います。その代わり、その子には絶対に危害を加えないでください』

『あんたの聞き分けがよければな』


 そして、私は〈お嬢様〉として盗賊たちの手に落ちた。

 目隠しをされて運ばれ、その後、私たちは盗賊団の本拠地に幽閉された。



 そこでは粗末ながらに食事は与えられた。

 ただ、閉じ込められた部屋の窓には板が打ちつけてあって、とても逃げられなかった。それでも、グレアム様と同じ部屋に入れられたのがせめてもの救いだった。


 グレアム様はショックで熱を出していた。

 私はその手を握り、耳元にこっそりと語りかける。


『グレアム様、盗賊たちは私をマートルお嬢様だと勘違いしています。どうかお嬢様の安全のために私を姉と呼んでください』

『う、うん。僕たちどうなるの?』


 グレアム様の緑色の目から涙がポロリと零れた。それを見て、私の胸も痛む。


『それはわかりません。でも、私がグレアム様をお護りしますから』


 そんなことができるのかどうかはわからない。

 けれど、気休めでも口にしないわけにはいかなかった。ここには私たちしかいないから。



 私が部屋から出されたのは翌日になってからだった。

 私だけが連れていかれた。


 その部屋にいた男たちは全員覆面をしていて、私を囲むように壁際にいた。締め切った部屋でむさくるしい臭いが立ち込めている。私は薄い寝間着のままで、ここで何をされるのかを考えただけで気が遠くなりそうだった。


 結局、無力な娘でしかない私は搾取されるだけの存在にしかなれないんだろうか。

 それでも震えているところを見せたくなかった。手をきつく結び、前を見据える。

 そうしていると、男の一人が言った。


『あんたの返答次第であんたの人生は大きく変わる。気をつけて選べ』


 私は答えなかった。

 それでも彼は続ける。


『あんたの家を襲ったのは、恨みがあったわけじゃない。警備が手薄だったからだ。で、あんたが怯えて泣き叫ぶような女なら嬲って終わるつもりだったが、あんたは随分気丈なようだ。それなら、あんたには俺たちの手伝いをしてもらおう』

『手伝い?』


 馬鹿なことを言う。どこかの屋敷に潜り込んで鍵を開けて手引きをしろとでもいうのだろうか。

 盗賊の手伝いなんて死んでもしない。

 そんな反抗的な様子が見て取れたのか、盗賊は私を鼻で笑った。


『もし上手くやれたら、あんたの弟を逃がしてやってもいい』

『っ……』


 つまり、協力しないのならグレアム様の命は保証しないということだ。

 最初から断れもしなかった。


『一体、何をしろと?』


 私はこの時、倒れそうなくらい血の気が引いていた。それでも、気を確かに持って、かろうじて立っていた。

 すると、覆面の盗賊は言った。


『あんたには、ある男の妻になってもらう。そして、探った情報をこちらに流してもらおう』


 愕然としてしまうような内容が告げられた。

 神様は私にどこまで試練をお与えになるんだろうか。


 鳥の鳴く声がどこか遠く聞こえた。

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