第5話 「……これもいいかもね」
「……くふふ」
背筋にぞわりとする気配。
まだまだ暑いというのに、背筋にひたりと冷たい汗。
背中をくすぐるようなボソッという声。
間違いない、
リョウコは陰気な女の子。
だけど、なぜか僕にだけなついている。ユリコも雰囲気は似ているが、ユリコは高潔な感があるのに、リョウコはジトっとしている。
そんな湿度たっぷりのリョウコが僕になついている理由は、「……私に似ているから」らしい。
僕としてはそんなに陰気なつもりはないけれど、まあ好かれる分には悪い気はしない。
別に迷惑が掛かっているわけではないし。
ただ、リョウコの一つ悪癖を除いて――
「し・こ・た・ま♡」
「……どうしたの?」
「……どう? エッチじゃない?」
リョウコのたった一つの悪い癖。
それはリョウコがいまだに思春期だということだった。
〇
「あのね、リョウコ。学校で突然あんなことを言うのはダメだよ」
「……どうして? 別にエッチな言葉じゃない?」
「それはそうだけど! 普通ならいいよ? でも、言い方とかタイミングがおかしいでしょ? 周りには人がいるんだし」
「し・こ・た・ま?」
「そうそれ」
リョウコは、いちいち僕の耳元でささやくように「しこたま」と言った。
僕は正直よくわからない。
確かに、エッチか非エッチか比べてみれば、どちらかと言えばエッチの方に属する言葉だとはわかるけれど、そんないちいち興奮することかと思う。
リョウコの豊かな想像力が、四文字に秘められた淫靡さを抽出しているのだろうと思って納得することにした。
「……くふふ。しこたまってエッチじゃない? 元木くんならわかってくれるよね?」
「ワカンナイヨ!」
「……どうして?」
「あのさ、ずっと聞きたかったんだけど、リョウコってなんでエッチな言葉が好きなの?」
「みんな好きだよね? だって元木くんも好きだよね?」
「いや、言うほどだよ⁉ 少なくともリョウコが思うほどじゃないけど」
「……ほんと? うそだよね?」
リョウコがまた「くふふ」とじめっぽく笑った。
笑ってくれるのはいいけれど、伸ばしっぱなしの髪と、だらっとした腕、うつむきがちな姿勢があいまってちょっと……いや、かなり不信だった。
「じゃあこれは? つ・ゆ・だ・く♡」
「もういいってー」
「……くふふ。素直じゃなないね?」
「……いや、だから」
と、そこまで言って、もうそれ以上言葉を続ける気分になれなかった。
これ以上、説得してもムダだ。
もし説得できたとしても、リョウコの脳内辞書にある、エッチに聞こえる単語は押しとどめられないと思った。
「……まだ足りないの? じゃあ、ち・ん・す・こ・う♡」
「……」
「あんまり好みじゃない? それじゃあね、ち・ん・あ・な・ご♡」
もういやだ!
このまま陰気な女の子からエッチに聞こえる単語を聞かされ続けるのは嫌だ!
そんなにエッチなことに興味があるのなら、試してやる! もともと競技者だった僕には、理論よりも経験が染みついていた。
だから、体でわからせるのが早いと思った。
相手の嫌がることはしないのが僕の思想だ。
でも、なりふりを構ってはいられない状況に陥ったらやむをえない時だってある!
机に手をつき、僕の上から浴びせるようにエッチな単語をささやくリョウコの腕を掴み、僕は引き寄せた。
リョウコが机の上に覆いかぶさるようになる。
僕とリョウコの顔が異様に接近する。
「……え? ……え⁉」
「リョウコさ、そんなにエッチなことが好きなら試そうか」
「……ふぇ?」
「いいでしょ。そっちが始めたんだし」
僕はもう一度リョウコの腕を強く引っ張った。
リョウコの上体がさらに僕の方へと寄せられた。意外とスムーズだった。抵抗もなかった。
「……あ、の……他の人もいるし」
「見られたっていいんじゃない? むしろさ――」
「……そ、その」
「――リョウコってそっちの方が好きでしょ」
「……っ」
事件はほんの数分間の出来事だった。
僕の顔とリョウコの顔が以上に接近し、僕がいささかの言葉を言葉を浴びせた。
結果、リョウコは力を失ったように机に突っ伏し、低きに流れる水のように、床へとペタンと座った。
内ももを床につけるいわゆるひよこ座りだった。
「……あ、あの私その」
「これで分かったでしょ。そんなエッチなことばっかり言ってたら勘違いされて――」
「……私、男の子ってエッチなことが好きだって聞いて、私何もないから、それで……」
「……ん?」
「……それでね、私、私……よかった……」
「は?」
「……私、間違えてなかったんだ!!」
「いや……だから」
「私、間違えてなかった!」
バン!
机を叩くようにして、リョウコが立ち上がる。
「元木くん! 私間違えてなかったんだね?」
「何を言っているのか……」
僕にリョウコの脳内回路は一切理解できてない。
ただ、リョウコを戒めようとして強引に迫るふりをしたのが、かえって悪影響だったことだけが分かった。
「でも、今日はだーめ♡」
そう残して、リョウコは浮いた足取りで教室から出て行った。
教室に残された僕には周囲からの冷たい視線、好奇の眼差しが突き刺さる。
「なにあれ……」
「あいつ爽田と出来てんのか」
「いや、春田とも出来てるらしい」
「いやいや、竹窯さんもこの前来てたぞ」
「じゃあなに? たこ足配線ってこと?」
そう聞こえてきて、僕は逃げるようにして教室から去った。
「もういやだぁ!」
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