第3話 「あいつも音楽聞くんかな」

「あの、これ」


 放課後。

 帰り道。

 てくてくと学校から最寄り駅まで歩く。


 所要時間は15分。

 マルタイ棒ラーメン換算で5食分。でも実際は少し短めにした方がいい。だから実質は7,8食分はできるはずだ。

 なんにせよ、人類の食にかける情熱はすごい。

 最近は時間を大切にしたがる人が多いから、55秒でできるカップ麺も開発されたと聞く。

 そこまで来ると、大切な何かが省かれ過ぎているような気もする。

 ……いやいや、考え過ぎてしまう。これは僕の悪い癖。


 カップ麺事情を思い返している道中。

 帰宅中の女子が、ぽろりとポケットから何か落とした。

 目の前で落としたから当然拾ってあげる。それはラバーのカバーに包まれた無線イヤホンだった。

 基本的善人の僕は、それを女子に渡した。


「これ、落としたよ」

「あざ。助かる」


 女子がヘッドホンを外し、振り返る。

 シャツに掛かった後ろ髪がすこし靡いた。鼻が少し高くて、頬骨が少し浮き出るくらいすっきりとした横顔。美形のそれだった。


「てか、シュウじゃん、今帰り? いっしょ、帰ろうよ」


 落とし主は、同じ美化委員会で交流のある起田おきたカナだった。

 後ろが長めのショートカットが特徴的なクールな女子。

 カナはいつでも自己流を貫いているのがかっこいいし、かわいい。

 地味すぎず華美過ぎない、そのバランスがいい感じだと思った。

 そして、いつも通りにデカヘッドホンを首にぶら下げていた。


「ヘッドホン持ってるのに、イヤホンも持ち歩いてるんだね」

「便利だしね。てか、どこでもヘッドホンだったら、ヤバイやつでしょ」


 カナはケラケラ笑った。

 デカヘッドホンで通学するだけでもだいぶん目立っているよ、とは言えなかった。


「シュウも聞くの?」

「音楽? 僕はあんまり」

「……そっか、ま、それがいいよ。音楽好きすぎるやつってウザいし」

「カナは何聞いているの?」

「聞く?」


 カナは、さっき僕が拾ったイヤホンを、渡してくる。

 僕は「いや、これじゃ間接ミミだとよー!」と思ったが、「間接ミミとは?」とすぐに冷静になって、受け取った。

 しかし、それがカナにとっては想定外だったようだ。


「いや、もうちょいしろし」


 カナが笑う。

 からかわれているのだとわかったが、不思議と心地よかった。

 決して自己敗北に快感を見出しているわけではない。


「あたしとイヤホン共有すんのやでしょ?」

「いや? したいけど?」

「……………………………………………………………………………あっそ」


 食い気味に答えてしまったのが悪かったのか、それともしたいと言ってしまったのが悪かったのか。

 僕にはわからない。


 なので、後代の賢人が答えを導いてくれることを期待して、小型電気音響変換器共有問題、通称イヤホン共有問題として脳内学会に提出することにした。

 これでイヤホン共有という問題に対して、活発な議論が産まれるだろう。

 そうして生まれた解釈が、潜在的に問題を抱えているイヤホン共有者たち、または反イヤホン共有者たちに光を与えるだろう。

 尚、問題の解決者には、イヤホン半分こをしているカップルを現行犯逮捕する権利を与えようと思っている。





「へぇ、意外と着け心地いいんだね」


 カナと少々気まずい時間を過ごし、駅に着いた。

 すぐに電車が来たので、二人で飛び乗った。

 車内はまばらで、僕とカナは肩が触れずに済むぐらいにはゆったり座れた。


「洋楽は聞かんの?」

「歌詞わかんないもん」

「歌詞なんてどーでもいいって、なんとなく聞くのがいいよ、音楽はさ」


 そう言うと、カナは黙って目をつぶった。

 僕の耳に装着されたイヤホンから、音が流れ始める。

 すると、僕の隣に座るカナは、わずかに揺れはじめた。目をつぶって音に集中している感じが、通っぽくてかっこいいなと思った。

 なるほど、そういう風な聴き方もあるのかと、僕もカナの真似を始める。


 耳にはジャカジャカと少しばらついたバンドミュージックが流れてきて、それに早口な英語の歌詞が乗っかっている。

 僕は暗闇で手探りをしているような感覚に陥った。言葉もリズムの僕には異世界のもののようだった。

 しばらくすると一曲終わり、カナが肩をゆすってくる。

 一曲聞いただけなのに、カナは楽しそうだった。


「めっちゃ聞き入ってんじゃん」

「カナの真似してたんだよ」

「え、あたしこんな感じなの? マヌケすぎでしょ」


 カナが目を閉じて音楽を聴いている姿は様になっていた。

 じゃあ間抜けなのは僕のせいってこと?

 ……はぁ?


「今のはなんて曲?」

「えー、しらない」

「隠さないでいいじゃん」

「いや、ほんとに知らんって」


 カナは本当に曲名を知らないみたいだ。

 なら、どうしてその曲と出会ったのかが気になった。でもそれ以上深堀する気にはならかった。

 なんだか立ち入りすぎな気がした。

 僕が思いとどまっていると、カナがまるで昔の悪事を懺悔するように話し始めた。


「なんかさ、あたし、音楽好きって感じじゃん」

「めっちゃ醸してるね」

「でさ、よく話しかけられんの。でもさ、歌詞がどうとかメロディーとかどーでもいいんだよね」

「好きな歌詞とかないの?」

「昔はあったよ。でも、なんか歌詞にされると説教されてる気になるっていうかさ、なんか受け付けんのよね。でさ、気持ち込めましたとかいうけどさ、歌うたいはみんな気持ち込めてるじゃん、って思うんよね」

「カナはよく考えてるんだね」

「だから、意味わかんないぐらいがちょうどいいってこと」


 カナの言っていることの半分ぐらいはわかった。

 確かにどんないい言葉でも、歌詞にされると冷めるときがある。ありがとうと歌っていても、ほんとうにありがとうと思っていない時もあるから。


 でも、逆にどれだけありきたりな言葉でも、歌詞に感動するときもあると僕は思う。

 だから歌詞をそこまで否定することはできないと思った。

 でも、それ以上は何も言わなかった。

 本人がそう思うのなら、そうなのだ。

 あとは本人が考えて結論を出していくしかない。

 カナは僕の言葉をどう受け取ったのかはわからない。ただ怒ってたり、失望しているようではなかった。

 僕の耳に新たな音楽が流れ始めた。


「これ……クラシック?」

「そ、エリックサティだっけ? なんか語っちゃったのハズイから、落ち着きたい」

「なるほどね」


 確かにいい音色だと思った。もしかしたらカナはこういう音楽の方が向いているのかもしれない。

 耳に流れているピアノの音を聞いていると、さっきまでのバンドの音が何だか懐かしく思えてきた。


 耳に残っていた歌詞の断片で曲を検索する。

 よくわからない歌詞だったので、本当に切れ端しか思い出せなかったが、何とかそれらしい曲にたどり着けた。どういう意味なんだろうと和訳を表示する。



「おれを良くしてくれよ お前ならできるだろ

その小せえ〇〇で おれの○○を

そのくせえ○○〇で おれの○○〇を 

何もできないおれたちにも 作ることはできるんだぜ

おれたち社会のゴミだけど できちまったもんはしょうがない

○○〇! 最高!

○○〇〇! 最高!」



――僕は画面をそっと閉じた。





 その場では事実を伝えることができなかったので、後日、カナには歌詞が終わっていることを伝えた。

 カナはケラケラを超えて、ゲラゲラと笑っていた。


「くそ過ぎて笑えんじゃん。でも、くそ過ぎるのも逆にいいね。シュウにも音源あげるよ」


 その日以降、カナから、たまにおすすめの曲が送られてくるようになった。

 送られてくる曲が有名じゃないクラシックだったりするときもあって、理解しあっている二人だけの秘密みたいで、ちょっとエモかった。

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