第2話 「覚えてくれているかしら」
「これ」
二文字とともに、僕の机の上に、ホチキスで閉じられた冊子が置かれた。
意味不明。
しかし、僕は「これは?」とか「え?」とかの不粋な反応はしない。
僕に一切の情報を与えず、優雅ぶった仕草で僕の前の席に腰かけた女子、
これが複雑怪奇な高校生活を生き残るコツなのだ。
ユリコは色素が薄いのがコンプレックスらしい。
大学生になれば皆こぞって茶髪にするというのに、きれいな茶髪を、か黒く染めている。
時々頭が逆プリンのようになっているから、僕はユリコの髪色の真実に気が付いた。
それによく見ると、眉の薄さとか、肌の白さとかは隠せてなくて、髪の色だけが浮いたように黒かった。でも、他のみんなは気が付いていないらしい。
ちなみにユリコはクラスでも浮いている。
髪の色が原因ではなく、本人の気質のせいで。
ユリコは浮いているが、ユリコの纏うオーラは重苦しい。重力が二倍に感じるほどの重圧だ。
気軽に地球外天体に行く経験を味わうことができるので、宇宙飛行士志望者か宇宙旅行に憧れがある人には、是非話しかけてみてほしい。
「少し書いてみたの。読んでみてくれるかしら」
ユリコは僕の机に肘をつき、無駄に長く伸ばした髪をファサっとさせる。不自然に黒すぎる髪が、ギラっと光を反射した。
「うん」
どうして僕がユリコに目をつけられたのかはわからない。
ただ話しかけてくれるからには、ベストなコミュニケーションを提供したい。つまり、余計なことは話さない。
それが正解だ。己がためにも。
僕はじっと見つめてくるユリコの視線をビシビシと感じつつも、渡された冊子を読み始めた。
〇
「ふぅ」
一体どれくらいの時間が経ったのかはわからない。目の前ではいまだにユリコが僕の方を見つめている。
端的に言って、圧がすごい。
一瞬たりとも紙面から目を離すことができない。
小説の内容ははっきり言って陳腐だった。
ジャンルはファンタジー。
ある引っ込み思案な女の子が、男の子に恋をする話。
物憂げな仕草からも死の臭いを漂わせているユリコが、こんな小説を書いてくるのかと驚きつつも、何か裏が、理由が、ありそうで僕は慄いた。
「どうかしたのかしら」
「いや、その」
「はっきり言ってくれないかしら」
そう言ってまた髪をファサっ。
ちらりと見える耳が少しピンク色で、ユリコの肌の薄さをなお感じた。
「面白いよ。女の子のキャラが立ってていいね。少しもどかしい時もあるけど、それもかわいいんじゃないかな」
「そう」
僕は、ひねり出すように感想になっていない感想を述べる。
僕の感想を聞き、ユリコは黙り込んだ。
何を考えているのかもわからない。
察することもできない。
それがただ怖い。
何だか自分が理解できない何かに触れているようで不気味だ。
何を考えていたのだろうか。
僕は、一刻も早く解放してほしい、とばかり考えていた。
「……男はどうかしら」
「え?」
「男も出てくるでしょう? その男について感想を聞いているの」
「あ、ああ」
ユリコに言われて、必死に小説に出てきた男の子について思いかえす。
だが、何も覚えていない。
話し方が少し変で、時々印象的なセリフを残すキャラだったはずだ。でも、だからといって、何か記憶に残っているわけでもない。
つまり、男の子について、感じて想うことはないのだった。
「……男の子もいいキャラしてるよ。うん、面白い登場人物だった、と思う」
「……そう」
(ミスったか?)
ユリコの返答が少し遅れたのが気になった。
もしかしたら反応を間違えたかと疑う。
すると、ユリコのまとっている引力が強くなったように感じた。
まわりの色という色がユリコの中に吸い込まれていくような気さえする。
つまるところ、僕はユリコの反応に恐怖していた。
なんで、こんなに怯えながら読書会をせなならんのだと、理不尽に打ちひしがれていると、ユリコがやにわに立ち上がった。
「
「は、はいっ‼」
「この小説のモデルはね」
「モデルは……?」
「私とあなたよ」
「あ、へ、へぇー……ん?」
は?
え、じゃあ何?
ユリコは僕と自分が登場する夢小説を書いてきて、それをモデル本人に見せたってこと⁉
⁉なんだその自己羞恥プレイは⁉
「それじゃあ、また。もっとうまく書けるように頑張るわ」
そう言って、ユリコはポケットから小さく折りたたまれたメモを置いていった。
僕は恐る恐る開いてみると、なかには100円玉が入っていて、濃い濃いとした筆跡で連絡先が書かれていた。
「100円?」
意味も分からず、僕は百円を手で掴んだ。
製造年を見ると二年前。
その時、強い風が吹いて、卓上のプリントを吹いて飛ばした。
こんな羞恥心が実現化したものを人に見せてはいけない。
僕は今の状況を忘れて、瞬間的にプリントを拾った。
そのプリントをちらっと見ると、こう書いてあった。
『ありがとう。お金が足りなかったの。私、誰にも頼れなくて、ほんとに、ありがとう』
小説の中で男の子が女の子を助けていた。
刹那。
僕の脳内ニューロンを電子信号が駆け巡る。
はっ、と言うよりも早く、僕の脳内には過去の光景が思い出されていた。
そしてそのシーンを思い出して、やっと理解した。
「あの子がユリコだったのか」
僕は改札で困っていた女の子を助けた時のことを思い出していた。
当時、別の学校に通っていた僕は、理由あって実家に帰省していた時に、気まぐれで女の子を助けたのだった。
困っている人がいたら助けなさい、という道徳を忠実に遂行したのだった。
「あれは二年前だったのか」
そんなことも後から思い出した。
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