第7話 過ごす日々

午前7時半。習慣になりつつある寮から学院までの道をアリカはリサと共に歩いていく。柵から出ると徐々に活気の湧く町が忙しなく、朝の音楽けんそうが聞こえてくる。

 市井を抜けた先を歩くと、都市の中央にある公園とこの街を魔物から守っている結界魔導機シルト・エルスフィアが見えてくる。約五百年間も外敵から街を守ってきた巨木を連想させる柱は今日も問題なく虹色の光を満たし、人々を護っている。


「アリカがいると迷わなくて済むな」

「言ってる傍から道外れてるけど」

「――む?すまん……」

「……良く今まで無事だったね」


 リサが通学路を外れる度に引き止めるのも、板についてきた。しかし私が来る前はどうやって学校へ来ているのか気になる。寮長――もとい監督役(今は私だそうだが)が方向音痴とはかなり問題があるのでは、と思いながら見ていると彼女はばつの悪い顔で、恥ずかしそうに口を開く。


「まあ、アルフォードやクラスメイトが何かと助けてくれてたんだ」

「まあ、昔から良く迷子になってたしね」

「確かにそうだっな」


 昔と同じように笑うリサ。外行きの口調ではあるものの、親しみの感情が伝わるのを感じる。私も同じように笑って返す。

 といっても、感情を捨ててしまった私は情緒も乏しい。彼女程まともには笑えてはないだろう。


『あの後ろ姿は……リサさんとアリカさんか。この光景にも慣れてきなぁ』


 他愛もない、いつものが聞こえてくる。聞こえないように、感じないように注意を払っていても慣れ親しむにはどうしても反応してしまう。

 だからアリカは数歩後ろを歩くテオドールに意識を取られ、音もなく背後に迫ってきた少年に反応出来なかった。


「よう、アリ――」

「――――っっ!?」


 肩を掴むアルフォードに、アリカは咄嗟に魔力エアルで強化した肘打ちを正確に鳩尾に打っていた。肘に感じた感触と痛みに悶えて膝を折りそうになる彼をみて、


「あ、おはようアルセイフ」


 と一言挨拶した。


「……いき、なり、何する……んだよ…………?」

「ごめん。いきなり掴まれたからつい」

「お前は”つい”で人を昏倒させるのか?」

「場合によっては」


 私の背後を取れるのは知人達を除けば一流以上の腕を持つ暗殺者くらい(人間に限ればの話だが)だ。そもそも、実家ではそういう手合いには事かかない。此方に来る途中や帝国領に入ってからも度々相手をしていた。

 ましてやが聞こえない者ともなれば殴りもする。足の一本も折ってないし(アリカとしては)優しい対応である。


「………………リサ。友人としてどう思う?今の対応」

「いや、アリカからしたらまあ……不可抗力だとは思う。まあ、事故だな」

 「だとしても――」

 「アルフォード。事故だから」

 ぽん、と同情の視線を向けられたアルフォードはリサを一度見るとがっくりと肩を落としていた。アリカはテオドール――テオが追いついてきた所で時間に余裕が無い事に気づく。


「そろそろ行かないと間に合わないんじゃない?」

「お前な……誰のせいだと――」

「――じゃあ聞くけど、例えば凄く感覚が鋭くて近づく人が友人か他人が分かるとする」

「……おう」

「近づく人が友人だと思ったらそのもっと近くにがいきなり肩を掴んだらどうする?」


 皆と歩き始めながらそうアリカが聞くと、少しばかりアルフォードは考えて、口にする。


「手を払うか、離れるかだな」

「私は殴って気を失わせてから確認する。ようするにそれだけの話よ」


 アリカにとってはこれが。それだけの話だった。


「そんな事より、あそこのパン屋。寄って行っても良い?今日から売っているメロンパン、ていうの気になる」

「…………お前なぁ。朝食ったばかりだろ」

「昼に食べるの」

「まあ、アリカは良く食べるのはいつものの事でしょ?」

 良い加減に慣れたら?といった視線にアルフォードは無性に言い返したくなった。

「にしても限度ってもんが――」

「アリカは育ち盛りなんだ!」

「の割には背、低いけどね」

「それにいっぱい食べるアリカは可愛い!」

「「結局それかよ」」


 毒気を抜かれたアルセイフは私を含めた四人で他愛もない会話をしながら、学校へと向かう。先週から続くいつもの光景。

 一人で何となく、空を見上げる。どこまでも広がる蒼穹が楽しげな喧騒を静かに受け止めている。


 今日も一日が始まる。


 ――――


 朝の連絡事項ホームルームも終わり、始業の予鈴が耳に響く。分厚い金属を打ち付ける重低音が妙に心地良い。

 そんな中で実に退屈な授業が来たもので、〈生物学〉を受けている。授業自体はむしろ(仕事をしていく上で)重要で興味深い部類なのだが、プライドの高い教師(ブライトというらしい)が突っ掛かってくるのを撃退する内に誰も質問もしなければ、私以外に当てない退屈な時間と化していた。

 教師としてそれはどうなのかとは思うが、面倒なのでアリカはそれを口にはしない。


「ユ、ユーディット嬢、ちょっと過ぎないかい?教科書は開かない、ノートは出しっぱなし、おまけにその態度。やる気が無いなら出てってくれても良いのだけどね?」

「ちゃんと聞いてますし、分からない所はノートに取りますよ。今の所ないだけですのでお気になさらず続けて下さい」


 先に程まで書いていたチョークを置き、ブライトはしびれを切らして怒気混じりに聞いてくる。腕組み、丁寧な口調で、しかし(教師から見たら)舐め切った態度を崩そうともしないアリカは簡潔に事実を口にしていた。

 三百人程いる教室の中は既に静寂と緊張で二人の声以外に響かない。中には教科書で顔を隠す者や突っ伏している者さえいる。むしろこちらこそ注意されるべきではないだろうか?

 教室の丁度中心に座っているアリカは、確かに教師の言う通り教科書もノートも開いていない否、が無い。既に魔工技師の免許を取っている事やシュルツ家の者である以上は否応にも一般教養科の知識は持ってしまう。高学年ステージ3とはいえ、専門的な分野は二学期以降になる現段階ではどの科目においても基礎の分野になる。この分だと来週辺りまでは申し訳無いが開く機会は来ないだろう。

 どう考えても自分以外の生徒に教える方が有意義な時間になる事に気付けば良いのだが、この教師は騎士科の生徒を馬鹿にしている節があり、私のような生徒を見つけるとこうなるらしい。


「…………ほう?ならユーディット嬢、魔物と幻獣の違いを言ってみなさい」

「はい。まず、外見上に大きな違いはありません。生物学上の定義に当てはめれれば、魔物と幻獣違いは心臓である魔核の大きさが違う事と知性が高い事は一般的な知識として有名な所でしょう。知っての通り魔物はの総称で、極論そこら辺で飼育している豚が魔力を操るのであれば魔物と認定出来ます。対して幻獣は人の言葉を理解し、一部の幻獣は会話すら出来るとされる魔物の事を指します。つまり、言葉を理解し、人に自分の意思を伝えられる生物は魔物ではないが幻獣である。と云われている訳です。

 ブライト先生が先程おっしゃっていた通りそもそも一般的に幻獣は捕獲された例が無く、有名な13体の幻獣でさえ目撃例もしくは討伐例しか無いのが現状です。その生態系や生活等は殆どが謎に包まれています。

 その13体の中でも特に目撃例が多いのは月光狼マーナガルム日光獅子ソルレオン飛竜ドラゴン天馬ペガスス一角獣ユニコーン、そしてドラグーンと云われています。最も多いのは天馬と飛竜、後は一角獣の3体くらいなもので、その生態、特徴すら正確なものではなく、日夜研究しようと学者達が躍起になっている幻獣でもあります。諸説では――――」

「もういい。…………座ってよし」

「はい」


 淡々と出来るだけ細か過ぎない位の内容で答えると途中でブライトに止められるアリカ。がっくりと項垂れる彼にアリカが思わず容赦ない攻撃を口にした。


「というか……私に当てるよりも他の人に当てた方が授業になりません?」

「ぅ…………、そうだな。次からそうしよう……」


 有無を言わさない眼光と堂々とした強者の貫禄が、教師の権力や威光といった鎧を容赦なく剥がし去り、彼女がであるという事を嫌でも教え込まれる。そんな様子をから見ていた生徒は一様に、


「「「「…………………………」」」」


 初日で崩れ落ちる教師陣営の中で根気よく粘っていたこの先生も人の子なんだな、と思った。



 相変わらず腕組みを解いてないアリカだけが怪訝な様子で、坦々と昼前の授業は終わっていった。


 ――――


 昼休み。アリカは一人また一人と出ていく最中、


『今日もヒドかった……』

『座学ってこんな疲れるものだっけ…………?』

『あんまし食堂行きたくないけど、教室よりましか……』

『昼休み長くならないかな……』


 などとが聞こえてくる。結局、残っていたアルセイフと二人で(何故か彼は前に座る)

昼食を取っていた。苦笑気味に出口を見ている彼を一瞥して、アリカは小包を取り出し、3段の重箱弁当を机に広げて箸を器用に使って食べ始める。王梁国おわりのくに――ヤマツ伝統文化である【弁当】。携帯食は、普通パンや干し肉といった物が多く、日持ちがして持ち運びがしやすい弁当は軍人や騎士が食べる印象強い。しかし近年では労働者の中でも普及し、元々ヤマツでは貴族の贅沢品であったのもあって今では弁当の方がバリエーションが豊富で何より美味しい料理を持ち運べるという事で平民から親しまれ、貴族には嗜好品として使われるようになった。因みに私が弁当にしている理由は貴族としてとか関係なく、単純にからである。


「なあ」

「なに」


 舌鼓を打ちながら、アルセイフの声に答える。相変わらずは聞こえない。


「あそこまでしなくてもいいだろう」


 弁当を食べながら、アルセイフが口にする。その言葉の意味が分からずそのまま聞き返した。


「何を?」

「いや、もういい……」

「?」


 そう言われてしまえば、気になるが聞かない事にした。もし、先程の件であれば先生から聞かれた事を普通に答えただけだ。答えない方が失礼であるし、授業を円滑に進めたいという話なら他の生徒が頑張ってあの授業に参加すべき話だ。あの授業態度に関しても学校自体が初めてのアリカは学校生活というものを知らない。

 それ故にただ話を聞きながら周囲を観察していただけだ。何も問題あるとは思えない。


 しかし、ここで問題にしている態度に関しては退癖の事を教師は問題にしていた事に彼女は気付いておらず、教師の方も悪癖を面と向かって指摘するには自身の印象の悪さを自覚していた事も重なって言えず終いとなった。教師と彼女の間には悲しい程すれ違っていた。


 無論、その事に彼が指摘しようとしていた事にすらアリカは露ほども自覚してはいない。


「そういえば、昼からの実技。やっとアルセイフと戦える」

「まあ、順当にいけばそうだが。アリカと戦いたい奴なんて吐いて捨てる程いるしなぁ」

「そんなにいるの?」

「お前初日にやらかした事忘れてないか…………?」

「ああ、あれ……でもそんなにおかしい事かしら」


 怪訝な顔で、尋ねるアルセイフを見てアリカは確かに騒動の原因を作った事は理解している。が、何故そこまで目の敵にされているのか自覚していなかった。


「大体アルセイフだってそれ位の事出来るでしょ?」

「何でそんな事が分かる」

「分かるわよ。だって進級初日の時、屋根から見てたもの」

「は?」


 初日に偶々拾ったを頼りに来てみれば、一人の少年が野盗もとい窃盗犯達を鎮圧している場面を見つけた。見た所元騎士のような統制の取れた連中だ。ただ鎮圧するだけなら、そこら辺の騎士科でも事足りる。

 しかし、彼は提げていた二振りの剣を鞘に納めたまま、武装した成人男性連中を鎮圧してみせた。それも調。戦闘終了までは約2分。実際の戦闘時間は1分半くらいだった。

 そこまでの力量を持つ彼なら現役騎士程度に約4分弱というのは流石に。明らかに手を抜いているのが分かる。


「……あの気配はお前だったのか」

「なんだ、気付いてたの?」

「まあな。しかしおかしな事をしてもしなくても、親善試合トライアルの志願者は毎年多い。俺と戦えるかは運次第だな。普通なら四試合くらいの時間はある。何時も通りなら成績上位者その中から適当に選抜される筈だ」

「ふーん。……まあ、何人相手でも良いけど。最初はアルセイフが良いな。美味しいは一番最初に食べる主義だしね」

 「もし当たらなかったら放課後にやっても良いが」

 「む、それはそれでアリかも」


 もし彼と当たらなかった場合は本当に親交を深める程度の試合で考えた方が良いかもしれない。イーグルが騎士科の上位に入る実力を考えると、同じように対応するのも面倒臭いので、まとめて相手をしてもいいか。

 なんて馬鹿な事を考えていたアリカの退屈そうな顔を見て、アルセイフがため息をつきながら、しかし楽しそうに笑って、言った。 


「まあ、何にせよ剣を交える時は――」

「――お互い、全力で。だね」

「ああ」 


 示し合せたように始業前の予鈴が響く。


 

 親善試合たたかいのぶたいまで、後五分。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る