第7話 過ごす日々
午前7時半。習慣になりつつある寮から学院までの道をアリカはリサと共に歩いていく。柵から出ると徐々に活気の湧く町が忙しなく、朝の
市井を抜けた先を歩くと、都市の中央にある公園とこの街を魔物から守っている
「アリカがいると迷わなくて済むな」
「言ってる傍から道外れてるけど」
「――む?すまん……」
「……良く今まで無事だったね」
リサが通学路を外れる度に引き止めるのも、板についてきた。しかし私が来る前はどうやって学校へ来ているのか気になる。寮長――もとい監督役(今は私だそうだが)が方向音痴とはかなり問題があるのでは、と思いながら見ていると彼女はばつの悪い顔で、恥ずかしそうに口を開く。
「まあ、アルフォードやクラスメイトが何かと助けてくれてたんだ」
「まあ、昔から良く迷子になってたしね」
「確かにそうだっな」
昔と同じように笑うリサ。外行きの口調ではあるものの、親しみの感情が伝わるのを感じる。私も同じように笑って返す。
といっても、感情を捨ててしまった私は情緒も乏しい。彼女程まともには笑えてはないだろう。
『あの後ろ姿は……リサさんとアリカさんか。この光景にも慣れてきなぁ』
他愛もない、いつもの
だからアリカは数歩後ろを歩くテオドールに意識を取られ、音もなく背後に迫ってきた少年に反応出来なかった。
「よう、アリ――」
「――――っっ!?」
肩を掴むアルフォードに、アリカは咄嗟に
「あ、おはようアルセイフ」
と一言挨拶した。
「……いき、なり、何する……んだよ…………?」
「ごめん。いきなり掴まれたからつい」
「お前は”つい”で人を昏倒させるのか?」
「場合によっては」
私の背後を取れるのは知人達を除けば一流以上の腕を持つ暗殺者くらい(人間に限ればの話だが)だ。そもそも、実家ではそういう手合いには事かかない。此方に来る途中や帝国領に入ってからも度々相手をしていた。
ましてや
「………………リサ。友人としてどう思う?今の対応」
「いや、アリカからしたらまあ……不可抗力だとは思う。まあ、事故だな」
「だとしても――」
「アルフォード。事故だから」
ぽん、と同情の視線を向けられたアルフォードはリサを一度見るとがっくりと肩を落としていた。アリカはテオドール――テオが追いついてきた所で時間に余裕が無い事に気づく。
「そろそろ行かないと間に合わないんじゃない?」
「お前な……誰のせいだと――」
「――じゃあ聞くけど、例えば凄く感覚が鋭くて近づく人が友人か他人が分かるとする」
「……おう」
「近づく人が友人だと思ったらそのもっと近くに
皆と歩き始めながらそうアリカが聞くと、少しばかりアルフォードは考えて、口にする。
「手を払うか、離れるかだな」
「私は殴って気を失わせてから確認する。ようするにそれだけの話よ」
アリカにとってはこれが
「そんな事より、あそこのパン屋。寄って行っても良い?今日から売っているメロンパン、ていうの気になる」
「…………お前なぁ。朝食ったばかりだろ」
「昼に食べるの」
「まあ、アリカは良く食べるのはいつものの事でしょ?」
良い加減に慣れたら?といった視線にアルフォードは無性に言い返したくなった。
「にしても限度ってもんが――」
「アリカは育ち盛りなんだ!」
「の割には背、低いけどね」
「それにいっぱい食べるアリカは可愛い!」
「「結局それかよ」」
毒気を抜かれたアルセイフは私を含めた四人で他愛もない会話をしながら、学校へと向かう。先週から続くいつもの光景。
一人で何となく、空を見上げる。どこまでも広がる蒼穹が楽しげな喧騒を静かに受け止めている。
今日も一日が始まる。
――――
そんな中で実に退屈な授業が来たもので、〈生物学〉を受けている。授業自体はむしろ(仕事をしていく上で)重要で興味深い部類なのだが、プライドの高い教師(ブライトというらしい)が突っ掛かってくるのを撃退する内に誰も質問もしなければ、私以外に当てない退屈な時間と化していた。
教師としてそれはどうなのかとは思うが、面倒なのでアリカはそれを口にはしない。
「ユ、ユーディット嬢、ちょっと
「ちゃんと聞いてますし、分からない所はノートに取りますよ。今の所ないだけですのでお気になさらず続けて下さい」
先に程まで書いていたチョークを置き、ブライトはしびれを切らして怒気混じりに聞いてくる。腕組み、丁寧な口調で、しかし(教師から見たら)舐め切った態度を崩そうともしないアリカは簡潔に事実を口にしていた。
三百人程いる教室の中は既に静寂と緊張で二人の声以外に響かない。中には教科書で顔を隠す者や突っ伏している者さえいる。むしろこちらこそ注意されるべきではないだろうか?
教室の丁度中心に座っているアリカは、確かに教師の言う通り教科書もノートも開いていない否、
どう考えても自分以外の生徒に教える方が有意義な時間になる事に気付けば良いのだが、この教師は騎士科の生徒を馬鹿にしている節があり、私のような生徒を見つけるとこうなるらしい。
「…………ほう?ならユーディット嬢、魔物と幻獣の違いを言ってみなさい」
「はい。まず、外見上に大きな違いはありません。生物学上の定義に当てはめれれば、魔物と幻獣違いは心臓である魔核の大きさが違う事と知性が高い事は一般的な知識として有名な所でしょう。知っての通り魔物は
ブライト先生が先程
その13体の中でも特に目撃例が多いのは
「もういい。…………座ってよし」
「はい」
淡々と出来るだけ細か過ぎない位の内容で答えると途中でブライトに止められるアリカ。がっくりと項垂れる彼にアリカが思わず容赦ない攻撃を口にした。
「というか……私に当てるよりも他の人に当てた方が授業になりません?」
「ぅ…………、そうだな。次からそうしよう……」
有無を言わさない眼光と堂々とした強者の貫禄が、教師の権力や威光といった鎧を容赦なく剥がし去り、彼女が
「「「「…………………………」」」」
初日で崩れ落ちる教師陣営の中で根気よく粘っていたこの先生も人の子なんだな、と思った。
相変わらず腕組みを解いてないアリカだけが怪訝な様子で、坦々と昼前の授業は終わっていった。
――――
昼休み。アリカは一人また一人と出ていく最中、
『今日もヒドかった……』
『座学ってこんな疲れるものだっけ…………?』
『あんまし食堂行きたくないけど、教室よりましか……』
『昼休み長くならないかな……』
などと
昼食を取っていた。苦笑気味に出口を見ている彼を一瞥して、アリカは小包を取り出し、3段の重箱弁当を机に広げて箸を器用に使って食べ始める。
「なあ」
「なに」
舌鼓を打ちながら、アルセイフの声に答える。相変わらず
「あそこまでしなくてもいいだろう」
弁当を食べながら、アルセイフが口にする。その言葉の意味が分からずそのまま聞き返した。
「何を?」
「いや、もういい……」
「?」
そう言われてしまえば、気になるが聞かない事にした。もし、先程の件であれば先生から聞かれた事を普通に答えただけだ。答えない方が失礼であるし、授業を円滑に進めたいという話なら他の生徒が頑張ってあの授業に参加すべき話だ。あの授業態度に関しても学校自体が初めてのアリカは学校生活というものを知らない。
それ故にただ話を聞きながら周囲を観察していただけだ。何も問題あるとは思えない。
しかし、ここで問題にしている態度に関しては
無論、その事に彼が指摘しようとしていた事にすらアリカは露ほども自覚してはいない。
「そういえば、昼からの実技。やっとアルセイフと戦える」
「まあ、順当にいけばそうだが。アリカと戦いたい奴なんて吐いて捨てる程いるしなぁ」
「そんなにいるの?」
「お前初日にやらかした事忘れてないか…………?」
「ああ、あれ……でもそんなにおかしい事かしら」
怪訝な顔で、尋ねるアルセイフを見てアリカは確かに騒動の原因を作った事は理解している。が、何故そこまで目の敵にされているのか自覚していなかった。
「大体アルセイフだってそれ位の事出来るでしょ?」
「何でそんな事が分かる」
「分かるわよ。だって進級初日の時、屋根から見てたもの」
「は?」
初日に偶々拾った
しかし、彼は提げていた二振りの剣を鞘に納めたまま、武装した成人男性連中を鎮圧してみせた。それも
そこまでの力量を持つ彼なら現役騎士程度に約4分弱というのは流石に
「……あの気配はお前だったのか」
「なんだ、気付いてたの?」
「まあな。しかしおかしな事をしてもしなくても、
「ふーん。……まあ、何人相手でも良いけど。最初はアルセイフが良いな。美味しい
「もし当たらなかったら放課後にやっても良いが」
「む、それはそれでアリかも」
もし彼と当たらなかった場合は本当に親交を深める程度の試合で考えた方が良いかもしれない。イーグルが騎士科の上位に入る実力を考えると、同じように対応するのも面倒臭いので、まとめて相手をしてもいいか。
なんて馬鹿な事を考えていたアリカの退屈そうな顔を見て、アルセイフがため息をつきながら、しかし楽しそうに笑って、言った。
「まあ、何にせよ剣を交える時は――」
「――お互い、全力で。だね」
「ああ」
示し合せたように始業前の予鈴が響く。
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