美しき夕闇
太陽が死んでしまいそうな夕刻。奏は一人で賽銭箱の前の木の階段に座っていた。
明日、好きな子が遠くへ行ってしまう。この鶴賀神社に住む可愛い子だ。いつも不機嫌そうにして皆を怖がっているが、奏は彼女が可愛い事を知っていた。それはこの千沢町には子供が少なく同年はその子だけで、皆よりも二人で沢山遊んだからだと思う。怖がりなその子は、奏の後ろに隠れる事が多かった。奏だけは味方だと頼ってくれた。それが子供心に嬉しかったのだ。
だから奏は一生懸命、敵ばかりを作るその子を守って来た。泣き虫だったけど、奏が頑張ってその涙を止めて来た。
その泣き虫の子が、今日は泣いてなかった。無表情で、手を真っ赤に成る位握り締めて。必死に意地張って、自分は違う場所に引っ越すのだと教えてくれた。
大丈夫だと、奏を安心させる為に必死で。奏は、最後の最後で涙すら止めさせて貰えなかった。
「はぁ……」
溜め息を吐くと、胸にぽっかりと穴が空いた気がした。
心の何処かで何となく、自分はその子とずっと居ると思ってたのだ。離れるなんて事が世界に在るって知らなかった。
「ソウちゃん……」
ポソッとその子の名前を呟いてみた。途端にジワリ涙が溢れそうになる。
『男の子は泣いちゃいけない』
途端誰かの言葉が思い出された。普段大事にしている言葉だが、けれどこの大事な時に力に成ってくれないそんな言葉はどうでも良い気さえした。
「うう…」
目の前では友達達が楽しそうに遊んでいる。ソウちゃんのお別れ会をこの神社でしたのだが、その後ソウちゃんは引っ込んでしまい、大人はお祭りに行った。
結果、いつもと変わらぬ普段通りの光景が展開されており、それが奏を悲しい気分にさせた。
「ソウちゃん……」
もう一度呟くと、皆が遊んでいる光景が滲み出した。ならもう手遅れ。一度溢れ出した涙は、止める術がない。
だからもう声を出して、臆面もなく泣いてしまおうかと思った。泣き虫だった昔と違うのだと、意地を張っている意味が分からなくなった。だから―
うくっ……グス……っ……すんっ……
―啜り泣く声が聞こえてきた時はビックリした。
「え?」
奏は驚いて、膝小僧を見ていた顔を上げた。奏はまだ泣いていない。勿論目の前では変わらず皆が遊んでいて、泣いている者などない。
けれども泣き声は確かにした。感情を抑え込んだ……しかし、助けてくれと言っている様な声だった。
「女の子の…泣き声?」
どうも声は脇のお堂の方から聞こえて来る様だ。
奏は階段から降り、そちらの方に向かう。境内で遊ぶ幾人かは奏に気付いて遊ぶ手を止めたが、奏は気付かなかった。
「この裏?」
奏はこっそりとお堂の裏を覗いた。そこはジメっとした自然と人の境。境界たる神社の中でも特に外。人から最も遠い場所。
そんな一人ぼっちの場所で―
「うくっ…す……っ……」
――女の子はやっぱり泣いていた。
隠れて泣いてる女の子を見付けた途端、奏は悲しい様な、嬉しい様な不思議な気持ちになった。
「……ぐす……っ……すんっ……」
家族からも、友達からも奏からも隠れて。涙を見せまいと、この泣き虫は頑張ったのだろう。
小さな奏に、そんな気遣いは無用だと抱きしめる事は出来なかった。その涙を思いっ切り見たいと思った。無理に止める必要はない。泣くだけ泣けばいいと思ったのだ。
「ソウちゃん…」
「ヒク……え?ソウちゃん!?」
女の子は、思いもしない来訪者にビックリしたらしい。ポカンと口を開けて奏を眺めた。
「あ……うくっ」
直ぐに涙を見られている事に気が付き、慌てて袖で顔を拭う。
「……なに?」
そして素知らぬ顔で変わらぬ不機嫌を顔に張り付け直した。相変わらずの不器用っぷりだ。
その女の子を、奏は、愛おしいと思った。離したくないと思ったのだ。
「ソウちゃん!あのさ!」
「……うん?」
大切な事を、二人でやれば離れなくても良い。例え離れても、いつかきっと会えると信じた。困難な共同作業を行った二人は結ばれると聞いた事があった。
だから思い切って飛んだ。勢い付けてえいやと踏み出した。今日大人達がやっていた特別な事をやろうと思った。やり方は女の子の家の本で見たから知っている。
「――ふたりで『おまつり』しようよ!そしたらきっといっしょにいれる」
それが奏の出した答え。一緒に居たいと願っただけの幼き幻影。誰に責められる筈もない、小さい男の子の精一杯の背伸び。
誰を怨むでもなく、何を生みだすかも理解していなかった無邪気な厄災の種。決して悪ではない。だが無実ではない正義。誰も責めないし讃えない。それは暗黙も了解でも沈黙の見過ごしでもなく、ただこの小さな世界に他の正義が存在しなかったからだけ。
良い事なのか悪い事なのか誰にだって分からない。
「ソウくん……」
だが言える事は、たった一つだけである。それは……
「うん!!!!」
あの時の彼女の嬉しそうな顔を、奏は一生涯忘れる事はないだろう。
世界が弾け、輝いたと感じた。だから何を犠牲にしたって彼女を守り抜く。これが奏が死んだ瞬間だった。
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