焦燥
奏と双樹は文献を見ながら、十年前のあやふやな記憶の欠片を、長い時間掛けて一つ一つ確かめあっていた。
話し合い、心を見せ合う。今を、昔を、語り吟味し尽くした。十年前のあの日に記憶を戻していった。楽しかったあの時を、楽しい今に続くあの日々を。今を無さぬ為に。遠く外では、天空に鎮座した鶴が、今か今かと暴れる時を待ち望んでいる音が聞こえる。刻限は、直ぐ其処まで迫っている。
「だからまぁ、あの日は双樹が引越しをして、遠くの町に行ってしまう前の日だった」
「そうね。間違いないわ」
「それが俺も双樹も嫌で、『何か特別な事をしよう』という話になったっけ?」
「そう。それで『沢隠し』をしよう、って話になった」
「沢隠しって名前とか覚えてなかったけどね。名前言ってたっけ?当時」
「大人がやってる『お祭り』しようとか言ってた気がする。その日に沢隠しやってたから」
双樹は本を一冊床から拾った。
「沢隠しが載ってるのは、この本辺りだったと思う。奏くんが持って帰ったヤツ」
「要するに俺達は説明書通りの事はした訳だ………いや、した筈なんだ」
奏はん~…と頭を掻き、本をパラパラと捲った。
「と言うか、本当にこの本かも分からない気がしてきた」
「それ言われると、私も辛いわ。記憶は思った以上に曖昧で引っ張られ易いわね」
言いながら、双樹は別の本を幾つか棚から持ってくる。
「…まぁ、私達が本に書かれている通りにしたとすると、変な事が在るんだけれど」
「おかしな事って?」
「そんな物、『私達があの木の所に居た』事に決まっているじゃないの。明らかに説明書通りにやってないでしょ。何処をどう行ったらあんな所に行くのよ?」
「…………………………あ」
言われた瞬間。奏は金槌で殴られた様な感覚に陥った。
なぜそれに気が付かなかったのか!
「……でもなんでだ?」
「ん~~~~~~~~~~」
けれど気付いただけでは、どうという事もない。だからこそ双樹は悩んでいるのだ。
「でもそれだとおかしいでしょ?『私達は沢隠しをしていない』事になる。説明書通りにやってないのならね。まず『沢隠し』はここ何十年かでやってない時期もあったのよ。それでも『夏啼き』は起きなかった。十年前は千鶴沢がなくなるからと、記念でやった様な物。でも、『私達の沢隠し』では『夏啼き』が起きる様になった。おかしいのよ。考えられるのは、私達が結果的に『沢隠し』」じゃない事をしたってこと。滅茶苦茶にやった為に、『別の儀式として作用した』って事」
要するに『沢隠しモドキ』のつもりが『夏啼きを呼び寄せる祭り』をしたって事だ。
「でもそれだと、文献に載ってる筈だろ」
しかし双樹の意見に奏は疑問を呈す。少し違うだけで別な物に成るなら、文献には『何をするな』と書いてある筈だ。それがないなら、簡単に『バグ』を行えるものではない。
「うん、そう。だから逆の発想としては、『沢隠しが夏啼きを発生させる物であるという事』はないかしら?沢隠しは夏啼きの場所を変えるのではなく、元々呼び寄せる儀式であった」
「それは……ありえるな」
つまり、そもそも沢隠しをしなければ、夏啼きは起きないと言いたいらしい。
「でもそれだと、どうしようもないから保留な。だって俺たちが本当に『沢隠し』をしたかが怪しくなって来てるんだから」
双樹の案だと先程の注意書きと同じくカウンターパートが在る筈だが、なら雨娘が『貴方達二人に』と言いに来た理由がない。
だから、とにかく『何であの木が思い出の場所に成っているのか』を考えなくてはならないと言う事だろう。
「そうよね。あの木よねぇ。千沢町の鶴賀神社奥の森、『迷い茨の森』を抜けた先にある『木』。単純に考えたら沢隠しが終わった後に行った訳だけど、何で私達あそこ行ったの?」
「…いや、思い出せない」
「……よね」
思い出せたら苦労していない。奏に関してはあの木で告白した記憶が強過ぎてその前後の事をよく覚えていないし、双樹に至っては告白された事すら覚えてなかったのだから。
「ん~~~~」
「う~~~ん…」
完全に行き詰った。記憶の欠片はバラバラで、色も褪せ、ピースの形まで目茶目茶で、輪郭があやふやで、相貌も自分勝手で、完成する絵さえも確かではないと来た。
(それでも思い出せ…どうして、なんで、どうやってアソコに行った?)
奏の胸に砂利の様な焦燥感が去来する。進展したと思ったら足踏みをする自分達の現状に泣きそうになってきた。時間ももうない。
「……ああ、くそ」
どうしようもない。この安全な千鶴沢で夏啼きをやり過ごせば良いのではないか?そんな思いさえ生まれ出して、情けなくて泣きそうになってきた。
「ん?」
と、綺麗な音を立てて、奏のポケットから一つの鈴が飛び出した。それは祭りの出店で売っていた『狐鈴』と名が付いた小さな鈴だった。
「やっべ~…金払わず持ってきちゃったよ…」
「皇后崎町の鈴?沙希とか居たし、お金払ってくれてるでしょ」
「そうだと良いんだけど…ってあれ?皇后崎って、どこかで聞いた事あるぞ?」
奏は既視感だけのある単語に首を傾げた。真夜から鈴の説明で皇后崎の名は聞いたが、その時点より前に知っていた気がする。
「そりゃそうでしょ」
そんな奏の重大な疑問に、けれども双樹はけろりとした顔で教えてくれた。
「皇后崎町って樹茨町の隣のさらに大きな町でしょ?あれだけ毎日樹茨町に行ってれば、嫌でも名前は聞くでしょ」
そんな―――
―――マッタクモッテマトハズレナコトヲオシエテクレタ
「え?」
瞬間、急速に絵が組み上がった。
動悸が激しくなり、全身の毛穴から汗が噴き出す。
「双樹!!今何時だ!?」
記憶の欠片が嵌った瞬間、奏は立ち上がった。
「え?…五時半、だけど、どうしたの?」
「五時半だと!?」
聞いた瞬間、奏は慌てて部屋の外に飛び出した。
「あ、待ってよ!!どうしたの、いきなり?」
双樹も急いで奏の後を追う。二人で腐った木の廊下を直走る。
「台風が来る。八時にでも夏啼きが起こるんだよ!!」
「八時?最接近するのは『今夜中』だよ?深夜。確かに時間はないけど、四、五時間で帰れる。『夏啼き』までには帰れるよ?それより防ぐ方法を考えないと!」
双樹は時間はあると奏を止めに掛かる。が!違うのだ。
「夏啼きが起こるのは、最接近の時じゃない。風が変わる『青の時』、昼と夜が交わるその瞬間に、鶴は飛び立つんだ!」
双樹もはっとした。あんな小さな町、しかも四方を囲まれた町を吹き飛ばすのに最大勢力は要らない。それこそ風が吹き込む要因さえあればいい。山から海に吹き込んで居た障害の風が、海から山への追随の風に変わるだけで一気に変わるのだ。双樹は自身の勘違いに蒼白になった。
「日の入りは七時半よ!!間に合わない!」
双樹はまたもや泣きそうになる。勘違いで夏啼きを見過ごしたのは、これで二度目だ。
「走れ!双樹!間に合わすんだ!」
「だって…だってもう!!!」
双樹は叫んだ。もう間に合わないと。けれども違うのだ。間に合わせないといけない。
建物を出、参道に出た時にシャランと鈴が鳴る。奏は視界の端に雨娘を見た気がした。
(やっぱり、そうだ)
双樹と再会した日、奏は迷い茨の森を抜けた。千沢町の鶴賀神社から約束の木まで行き、そしてまた千沢町の鶴賀神社に戻った。
『一度通った道は通れる』。この要素から、奏は自分が子供の時に千沢町の鶴賀神社と約束の木までを往復した事があるのだと思い込んでいた。だが、それが違ったら?
「双樹!出来ない時はドンと構えろ。そして出来ない事をあっさりと捨てて出来る事を必死に探すんだ。寝ても起きても同じ一秒。必死に生きるならどんな苦境も跳ね返せるよ。どんな無様だって、失敗したっていい。泣いたって、泥啜ったって、地面這ったって、逃げ出したって良い!でも、結果だけは出さないといけないんだ。俺達はまだまだ生きて行くんだから。一緒に生きていくって決めたんだから!」
それはかなの言葉だったが、奏の見てきた事から出てきた言葉でも有る。双樹の知っている六年間でも、知らない十年間でもない、十六年生きてきた奏其の物。
「スタートが違ったんだ。俺は双樹と再会した日、『あの日』の幻影を見た。神社で泣いているお前を見た!それは狐か、若しくは狐に『言葉を借りた』雨娘が見せた物だろうよ」
奏は双樹の家を飛び出して神社を突っ切る。そのまま鳥居を潜って階段を下りれば千鶴沢の村に出るが、今行くべきは其方ではない。
「奏くん?何処に行くの?」
奏が有らぬ方向に向かっているのを感じて、双樹は不安な顔をした。
「間に合う『道』だよ。途中に忘れ物が落ちてるかも」
「道…忘れ物…」
昔の地図では千鶴沢のすぐ隣に樹茨が有り、その樹茨の隣に千沢町の土地があった。奏はそれが何かの間違いかと思ったが、実はそれが正しくて、しかも子供の頃の奏達もそれが間違いだなんて微塵も思わなかったとしたら?
答えは一つだ。奏と双樹はその『道』を使った。そして、そんな二人のスタートが千沢町の鶴賀神社無訳が無い。
「ここから行く!!」
「…どういう事?」
奏は、神社の裏の森に向かった。子供の頃『迷うから入っては駄目』と言われた森だ。奏は呆気に取られている双樹を振り返ると、自身満々に言った。
「ここから行く。この『迷い茨の森』から。いや、樹の茨の森…『樹茨の森』からな」
「根拠は?」
双樹は躊躇った。入ってはいけない。子供の時に刷り込まれた教えは言い様のない恐怖と成って彼女の足や肩に絡み付いた。
「ごめん。納得させられる時間は無い。走りながら説明する」
奏は言って、双樹の目を真剣に見詰めた。
「俺を信じて、着いて来てくれ」
「……うん。分かった!」
生の奏に触れて、双樹は涙を拭くしかなかった。
そうだ、この人と生きるって決めたんだ。辛くっても、苦しくっても、どんな運命でも立って居られる。立ち向かうんだって決めたんだ。
「行こう。奏くん」
「ああ。双ちゃん」
二人は頷き合い、人を迷わせる森に飛び込んだ。
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