正体
「くっそう…時間がないのに」
樹茨町に到着した奏は、千鶴沢に行く為のバス停の前で呆然としていた。二人の読み通り、千沢町から樹茨町へのバスは出ていた。
千沢町ではあれほど強かった風も、一歩千沢町の盆地を出ると嘘の様に弱く、樹茨町も平和その物。台風が近づいている喧騒こそあるが、だからと言って町が崩壊しそうな雰囲気など微塵もない。
しかし問題が一つ。台風の影響でバスの本数が減らされ、連絡待ち状態なのだ。
「くそ…どうしたらいいんだ…」
奏は途方に暮れる。他方、隣に座る双樹は、バス停近くのビルの街灯テレビを見ていた。きっと双樹は貪欲に、街頭テレビに流れるニュース情報も活用しようと言うのだろう。
(やっぱ俺って駄目だな)
落ち着いて見れば双樹の方が正解だし、真剣に事案に取り組んでいるのも双樹だった。
「……仕方ないか」
奏は双樹と同じく街頭テレビに目を移した。テレビでは真剣な面持ちでニュースキャスターが台風情報を読んでいた。
何でも今夜、千沢町の辺りに最接近するらしい。今が正午。青の刻がタイムリミットとすると後八時間もない。千鶴沢に行こうと思ったら二時間、そこからもし千沢町に戻る必要が有れば、更に四時間が必要だ。時間はない。
かと言って千沢町に戻った所で、打つ手はない。手掛かりとなる『何か』が必要だ。
『大変ながらくお待たせしました。発車致します』
と、その時車内にアナウンスが流れ、エンジンの振動が車体の下から聞こえた。
「やっとか」
「やっとね」
双樹はニュースから目を離し、鞄の中からノートとペンを取り出した。
「さっき、樹茨町に来るまでのバスで計算してみたの」
「了解、この時間は有効に使おう」
動き出すバスの中で奏は座り直し、双樹のノートを覗き込んだ。
「そもそもおかしな事は、少し前からあったのよ。覚えてる?千沢町は朝霧が出てたわ」
「確かにな。朝霧は出てた。でもそれがおかしいのか?」
「盆地っていうのは霧が出ないのよ。それは水分を含んだ風が、山を越えるまでに水を全部吐き出すから。雨ならともかく、霧なんて山を越えてこない」
そういえば奏も聞いた事のある話だ。空っ風と同じ原理だろう。
「つまり、千沢町には風が吹き込んでいるのよ」
「吹き込んでいる場所は、鶴賀神社だな」
朝の鶴賀神社では、背中を風に押された。つまり鶴賀神社から町の方に噴き出している訳だ。しかも潮の匂いもした。
どういう原理かは分からないが、海の風が森を抜けて、千沢町に吹き込んでいるのだ。
「そう。でも朝の風は序の口よ。きっと、夜になったらもっと風が吹く」
「夜になったら風が吹く?…海風か」
確かに千沢町の山を越えた所には海がある。が、それはおかしい気がした。
「ん?でも夜になったら吹くのは陸風だろ?陸から海に風は流れる筈だ。なら夜になったら風はマシになるんじゃないのか?」
「それは地表付近の話よ。山の高さになると、陸風反流って言って、流れが逆になるの。ほら、対流の上の部分がこっちに来るのよ」
「ああ。成るほど」
簡単な対流の話。下で陸から海に風が流れれば、上では海から陸に流れるという道理。
「それで鶴賀神社から千沢町に噴出する風は、下手をすれば時速四十キロになる」
「時速四十キロ?そりゃぁ…」
双樹は割かし切羽詰まった感じで教えてくれた。しかし、奏は軽く拍子抜け。
「そりゃ結構な風だな」
「真面目に聞きなさい」
「真面目だよ」
奏の気の抜けた声に、双樹はやっぱりそうくるかと不機嫌になった。しかし奏は別にふざけている訳ではない。
時速四十キロといえば確かにとんでもない風だが、あり得ない数字ではない。体を傾けないと立ってられないレベル。とんでもないレベルなのは間違いないが、新しい建物が多い千沢町には、破壊的ではないと理解したのだ。
が、続く双樹の説明には戦慄するしかなかった。
「その時速四十キロの風は鶴賀神社から吹き出すんだから、『東から西へ吹く』のよ」
「ん?なんかそれは……」
つまり重要なのは、風の速さではなく着火剤であること。
「…台風って『西から東に吹く』んじゃなかったっけ?真逆の風がぶつかるって事か?」
額を冷たい汗が伝った。双樹は無情にも頷くしかない。
「そう。正確には時速四十キロ同士の風が、掠める様にすれ違うの」
「すれ違うと…どうなるのさ?」
「強い風がすれ違う時、生まれるのは強いダウンバーストよ。雑な言い方をすれば超ド級。体感風速八十キロの巨大な竜巻が発生するかもしれない。それが『夏啼き』なのよ」
「そ…そんな…事って有るのかよ」
千沢町に渦巻いていた二つの竜巻の種という爆弾。それが台風の風で大きな竜巻として爆発するという。
時速五十キロで木造建築が倒壊、時速六十キロで鉄塔がへし折れると聞いている。時速八十キロ?そんな物、駄目だ。きっと町全てが目茶目茶になる。
「計算違いなら、歓迎するわよ」
双樹は、つらそうに目を伏せた。そんな双樹の落胆を隣に感じ、奏はグッと歯を食い縛った。止めなくてはならない、そんな惨劇は。
「分かった。ありがとう、教えてくれて」
奏は全身を奮い立たせた。今は夏啼きの恐ろしさに打ち震えている時ではない。自分の出来る事をやらなければ、偉そうに双樹を奮い立たせた手前恥ずかしいじゃないか。
「全速全身、勇猛邁進。やるしかないんだな」
だから覚悟を決め、奏は見えない壁をキッと睨み付けた。
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