夏啼き

 停止していた世界は、二人の鼓動と共に動き出す。

 一つの祭りは超常を解決する事はなく、しかし安寧を齎す。

 神を鎮め、一年先十年先の崩壊を、千年万年に先延ばす。

 故に祭事とは、異常に対しての根治ではないが完治ではある。二百年後に発症する病なのならば、百年の人間には関係なく。ただ今と同じ鎮め方を後世に残す。死ぬ事もなく、救われる事もなく、ただ細々と生を享受していく。

 二人が行った事も、そんな系譜。連綿と受け継がれ、そして粛々と繋がっていく蜘蛛の糸の様な細き生命。累々と蓄積された、人の営みの一つであった。

「うく…うぇ、埃っぽい」

 沢隠しの祭りの後。奏は、お堂に漏れ入ってくるぼやけた日光と――で目を覚ました。

「体痛いな…ふぁ」

 埃塗れの床から体を起こす。堅い所で寝た為痛く、汗と誇りで皮膚がベタベタしていた。

 奏は腕に付いた埃を払いながら、昨日の事を思い出す。勢いでなんて事を言ったのかと、何時間も経ったであろう今でも顔が熱くなる。

「沢隠しを終わらせ、夏啼きを防いだ。そんな人知れぬ英雄も弱みがある、ってか?」

 もう仕方がないのでおどけて見た。しかしアホみたいな独り言を言っても反応がないし、寝息の気配もなかった。

「双樹は帰ったのかな?それとも外か…」

 奏は眠い目を擦って立ち上がり、出口へと向かった。

「うわ……結構な風だな」

 立て付けの悪い扉を開くと、かなりの風が吹いていた。奏は威力を持って顔に飛んでくる小砂に目を細めながら、境内に回った。空は灰色で、風に砂が舞っている。かなり視界が悪かった。口がベタベタする様な乾く様な、不思議な感覚だ。

 吹き荒らぶ風の中、奏は境内を進む。砂を含んだ風で悪い視界の先、境内を真っ直ぐ進んだ入り口付近に、微かに人影が見える気がした。

「あれ、双樹か?」

 奏は人影の下へ向かった。風は追い風となり、まるで背中をぐいぐいと押されているよう。健康な田舎っ子である奏の足腰でも、ともすれば倒れてしまいそうだ。

「よう。よくこんな所立ってるな。建物の中で過ごすか、先帰ってれば良かったのに」

 奏は眠気に目を擦りながら、人影に近付く。思った通り、人影は双樹だった。欠伸をしたいのだが、それをすると口がイガイガしそうなので、口を開けずに噛み殺す。。

「……双樹?」

 ポツンと立っていた人影は双樹だったのだが、声を掛けてもが反応を示さない。

 風は強いが、声が聞こえない程ではない筈だ。流石に不思議に思った。何より双樹の後姿は現実感がなく、揺らいでいる様に感じられた。それが奏を不安にさせる。

「なぁ!双樹って」

 奏は双樹の肩に手を置いた。

 けど、双樹は振り向かない。虚ろな目で鳥居の外を見るばかり。奏はオカシイと思った。けれども何かおかしいのか気が付く前に変調は押し寄せる。

「奏…くん…奏くん…」

「双樹?」

 突然双樹は呟き、震え出した。

 やっと振り向いた顔は蒼白で、目に涙を溜めている。とても尋常な状態ではなかった。

「どうしたんだ!双樹?落ち着け」

 驚いて双樹を落ち着かせに掛かる。けれども双樹はイヤイヤと首を振り、うわ言の様に何かを言うだけ。体を揺らし、足を折り、とうとう膝から崩折れてしまった。

「双樹!大丈夫だから!」

「奏くん……」

 奏もしゃがみ、双樹の顔を無理矢理自分に向けさせる。

 どうしたのか?双樹の体が冷たい。ずっと此処に居たのだろうか?このまま死んでしまうのではないのかとすら思えた。

「奏くん…私…」

 と、双樹は更に泣き出した。そして震える手で、奏の服を掴む。

「私…間違った…違った…こんな筈じゃなかったの…ごめんなさい……ごめんなさい…」

 ただただ懺悔を繰り返す。か細い声は、今にも消えてしまいそうだった。

「何を謝るんだよ!」

 意味が分からない。双樹は何を言い出すんだと必死に宥める。宥めて、座らせ……

(ん?……これは?)

 けれどもしかし、奏はここに来てこの世界の違和感に気が付いた。

 マラソン大会でコースを間違えて一生懸命走っていた事に気が付いた時の様な薄ら寒さ。耳がおかし、感情が冷たくなる。手が…どうしようもなく震え出した。

「嘘だろ……?」

 奏も……聞いたのだ。双樹が聞いたであろうこれを。見たであろう絶望を。

 コオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ

 千沢町を覆い尽くす音の高鳴りを。唸りを上げる鶴の啼き声を。

「馬鹿な!?沢隠しはやっただろ!!なんでだよ!!」

 奏は慌てて立ち上がり、白む光景に泣きそうになった。

 叫ぶ。一際高い位置に在り、町を見渡せる鶴賀神社にて、目の前の光景に心臓を握り潰された様だった。想像だにしていなかった虚脱感に、骨という骨を食い潰される痛みを感じた。

「こんな…事って……」

 風は、奏の後ろから吹いている。

 砂塵を纏い、境内を通り、千沢町へと。盆地に吹きこまれた過剰な風は行き場を失い、向かいの山に当たって二つに分かれ、盆地の淵をなぞる様に回転する。風の出口は存在せず、超える飽和は中心へと向かい吹き上がる。

 結果、黄砂の如く黄ばんだ風は、鶴賀神社を起点として千沢町の中心に強大な二つの渦を作り出していた。ゆっくり回る砂塵の渦は、確実に加速しながら千沢を覆う。砂と少量の雨を含ん二つの相反する乱雑螺旋は、町を破壊し尽くさんと旋回する死神の様だった。

「こんな馬鹿な事って…俺たちは…間違えたのか?」

 奏の泣きそうな声も、掻き消し嘲笑う高音。盆地全てに被さってしまう巨大な暴力。ハッキリと目の前に現れた破壊の槌。それこそがまさに、『夏啼き』の始まりの姿であった。

「うう……」

 灰色に近い白の空は、重く静かに唸り、まるで上空に化け物が威嚇をしている様だ。

 これが暴れ鶴なのか?

 それとも鶴の住む世界が形作られただけなのだろうか?

「どっちでも、こうしてても仕方がない!」

 暫し呆然と立ち尽くしていた奏だが、事に押し潰されている場合ではないと思い直す。

 町が吹き飛ぶと直感する風だ。一刻の猶予もない。『青の時鶴が飛び立つ。光に眠り、夜を食う』という一節を思い出す。青の刻とは昼と夜との狭間。そこに鶴は住むというならば、これは本格的な夏啼きではなく、前段階の筈だ。

「行くぞ!双樹!!」

「え!ちょっと待って!?」

 奏は座り込んでしまった双樹の手を掴んで立たせ、引っ張った。風が強く吹き、ともすれば階段を転げ落ちそうになるが、どうにかバランスの保てる速度で急ぐ。

「奏くん!どうしたの!!」

「双樹…!?」

 奏は双樹の声にビックリした。

 双樹の声は普段と打って変わり、非常に頼りなく力ない。完全に心が折れている。きっとまだ夏啼きを防げる可能性すら見落としているのだろう。

 仕方のないかもしれない。『夏啼き』を止める方法を模索し、正しいと信じた対処をした。しかし見通しは甘く、改善した筈の病状は、何食わぬ顔で進行していた。挫けたくもなる。

「どうしたじゃない!気をしっかり持て!」

 けれど、だから奏は叱責する。双樹一人にこれほど責任を感じさせてしまっていた自分も含めて。

 自分達の間違いを正せるのは、きっと自分達だけなのだ。なら、正さねばならない。風に煽られ、こけそうになりながらも、奏は走る。双樹の手を引いて。

「双樹、聞け!俺達は失敗した。夏啼きは止められない。けど、まだ町は吹き飛んでない!言ったよな。トライアンドエラーだって。俺達は間違えた。だから間違いを正すんだ!クヨクヨしている時間なんて無い」

 ビュオオオオオオオオオオオオ

「うく……なんだこの風は」

 階段を下り、町に降りると、惨状は思った以上に酷かった。

 町には物凄い密度の空気が犇めき、息苦しい程の空気に圧倒される。店にはシャッターが下り、殆ど人が居ない。町から見知った生活が消えていた。

「……っく!」

 これは、きっと自分達のせいだ。けれど、今この時だけはその間違いに目を瞑り、後悔を噛み殺し、正解を探さなくてはならない。

「双樹!千鶴沢に行けば何か分かるかも知れない!きっとまだ間に合う!」

「そうね…そうよ。まだこれは夏啼きじゃない。風はどう見てもこれ以上に加速する。それは、防がないと。私達の責任だもの」

 奏が必死の必死さが幸いしたのか、双樹の顔から泣き顔が消えた。代わりに双樹は一度奏に握られた腕を腹にグッと握り返した。

「行こう、ソウくん」

「ああ、ソウちゃん」

 双樹は奏の手をそっと離し、在りし日の様に不敵に笑って見せた。

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