静かな朝
思わぬ帰郷を果たした次の日。涼し気な靄の中、奏はいつも通りの千沢町の朝に居た。
千沢町はまだ大きな建物は少なく、密集もしていないので、見渡せば町の全てが見えた。道路も広々と取ってあるのも特徴で、山沿いを除けば片側一車線の道など中々見付からない程。建物を立て易い様に道路整備にも力を入れたかららしい。建物もこれからもっと増える筈だし、もっと住み易く成る予定だ。人も増えたらいいなと思える、まだまだ成長途中の町である。
「この町が崩壊する…ねぇ。現実的とは思えないな」
遠くに見える山を眺める。盆地なので三百六十度、何処を見ても山。あの山が風を増幅し、加速させ、町を吹き飛ばすなんて事は考えた事もなかった。
「だけど……見えないからって、ない訳じゃない。ないと高を括って生死を手放すよりは、無い物を恐れて恥をかく方がいいか。虚構と踊るってのも悪くないな」
無いと決めつけるのではなく、無いと証明してやろうと心に決める。と言うのも、昨日双樹の家から持ち帰った本に、気になる事が書いてあったのだ。ボロボロになっていてあまり読めた物じゃなかったけど、拾い読みした感じ、文献はこの辺の古い地図とかそういう風だった。その方角とか距離が変だったのだ。奏が教えられた地理に依れば西に千沢町、その東北東の位置に樹茨町、その南東に千鶴沢が有るはずなのだが、文献では西に千沢があり、その東に樹茨、そしてその東に千鶴沢が描いてあったのだ。本来樹茨町があるであろう部分には、谷川とか金原とか皇后崎とか小さな村が沢山記して在った。それが少し気になった。とはいえ古い地図な上に、この辺は現在でも測量が進んでいない厳しい山間部だ。メモ書きみたいな地図には、ミスでも多大にあるだろう。
「ま、だからなんだって話だよな」
奏は大きな欠伸を一つ噛み殺す。あの古い地図を遅くまで読んでいたという事も有るが、もう直ぐ模試なので遅くまで勉強していた。今日の夕方に夏祭りがあり、明後日に模試が有る。夏祭りは勿論楽しむとして、しっかり勉強もしなければならない。
「なんせ、昨日は授業さぼっちゃったしな…」
奏は昨日の自分の無鉄砲さに少しの後悔を零した。模試はかなと結果を出すと約束したあの模試だ。冷静に考えれば、午後の授業が終わってから双樹を追ったって良かったのだ。
「な~に、朝からへこんでるの?」
軽い自己嫌悪をしていると、後ろから声を掛けられた。
「ああ。双樹か。おはよ」
「おはよ。何?今日のお祭りが楽しみだった?」
双樹は奏の隣に並び、冗談と言うよりは意地悪に言った。
「たりまえじゃねーか。ところであの鈴どうすんの?」
「お祭りに持って行って、折り見て境内のどっかにしまっておく。そういう準備とかも有るから、私は今日午前で帰るね」
「マジか…俺も早退しようかな…」
「駄目よ、勉強しなさい…って言いたいけど、私もサボりだから、強い事は言えないわ」
双樹は勢い込んで止めさせに掛ると思いきや、意外や意外。割とあっさり引き下がった。奏が感心してしまう程に機嫌が良いらしい。
「ま、帰るかどうかはその時考える。それより急ごうぜ、バスが来た」
「あ、待ってよ」
そんな事がむず痒く、誤魔化す様に早歩き。胸の片隅にある違和感がムクリと顔を上げたのだが、ちょっとそれは小さすぎて、爽やかな朝の風に吹き飛ばされてしまった。
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