転校

「よう。奏」

「ああ、おはよ」

 教室に到着して席に着くと、奏は隣から声を掛けられた。見なくても分かる声の主は、悪友の相場京成。男女が順繰りの席順なので男の京成が隣に座るのはおかしいのだが、教室に対して生徒の数が少なく席が空いているので、京成が勝手に移動しているのである。

「なんかさ!転校生が来るらしいぜ」

「この時期に転向ねぇ」

 京成はワクワクが隠せないという表情だが、奏は冷めた声で呟いた。

 この時期とは中三の夏。受験を前に双樹は、この田舎に何の用があると言うのか?

「ああ。夏休み前テストのこの時期に来る何て可哀想だよな…備える時間がない」

「……そうだな」

「可愛い子だといいな~。しかも都会から来たらしいんだ…絶対可愛いって!」

 それで京成だけでなく、教室全体が色めき立っているのかと理解した。都会から田舎に来た転校生が美少女。それは他愛なく、安直な妄想である。転校生を夢想する時に誰もが思い浮かべる理想だろう。そして、その理想は往々にして打ち破られるのだ。

 いや、勿論見目麗しい人が来ないという事ではない。ただ人々は転入と言う日常の波紋にドラマチックを求めているのであり、通常考えられるレベルの可愛い子が来ても、理想に届かない時点で地に堕ちてしまっているのである。

「う~ん。京成よ。不安と期待が入り混じっている所申し訳ないんだが……」

 勿論皆もそんな事は百も承知。それでも皆自ずと酔って、今を楽しんでみているのだ。

 だが京成の下世話な妄想は打ち破れないのが悔しく思える程に、奏はこの醒めてくれない現実が、目の覚める様な現実になるのを知っている。

「妄想それ、その通りだと思うよ。来るのは可愛い子だ。それもとびっきりな」

 けれども、こうも付け加えなければならない。

「でも性格は期待通りかなりドラマチックなままだったから、お前は止めた方が良い。正直こんな時期に転入して来るものそれが原因だろうし」

「知り合いなのか?と言うか、どういう評価なんだそれ……」

 丁度その時チャイムが鳴り、朝のまったりとした時間は終了。生徒たちは席に戻り、教室は静かに沈んでいく。やがて教室の前の扉が開き、担任が入って来た。

「よーし、皆席に着いてるな」

「先生~、転校生が来るって本当ですか?」

「情報が早いな。とにかく落ち着いて、静かにしてろ~」

 入ってきた先生は教室を沈めた。しかし人工的な静寂は直ぐに崩れ、堰を切った。

「来るのって女?男?」「何でこの時期に来るの?」「謎だな!親の転勤と見た」「それじゃ謎じゃねーよ」「その子私より背低い?一番前は嫌なんだけど」「アンタより背の低い子なんてそう居ないわよ」「どっから来たの?」「それより可愛いのかよ!!?」

「おいおい、静かにって言っただろ?」

 驚き飛び立つ鳥群の如きに質問が飛び交い、騒ぐ生徒達を先生は手で制した。

 ただ生徒の熱を窘める先生もどこか楽しそう。まるで自慢の宝石を見せびらかしたいような悪戯っぽい熱がある。

「転校生の名前は守上双樹さん。女の子だよ」

 紹介すると、教室からお~という野太い声が上がった。

「ほら、守上さん、入って来て」

 先生がドアに向かって呼び掛けた。途端、全員の視線が其処へ注がれる。これはさぞ入り辛かろうと思うが、だからと言って双樹が躊躇う事もないことを、奏は知っていた。

「……」

 扉が開き、双樹が無言で入ってきた。物怖じした様子はない。

「「お~~」」

「「すげ~」」

 その姿を見て、男女問わず歓声が上がる。それは感動とも驚嘆の感情とも取れた。

「マジかよ……」

 古来、人は美人を表現する時に『彫刻の様』と表わす事がある。人が理想として描く芸術作品に、人が追い付いてしまったという事を言いたいのだろう。そして双樹はまさにそれを地でいく。整った顔立ちに、多少低いが可愛さと綺麗さを損なわない背の高さ、美しく軽いウェーブ掛ったミディの髪、まだ女性を強調していないがスレンダーな体。それらは未熟だが、花咲く事を予感させる完璧。指の長さも、絹の様な肌も、瞳の大きさも嫌になる位完璧で、切れ長の目は猫目とアーモンドの中間ぐらいで涼しく温かい。

(しかし、まぁ……)

 感心に包まれる教室の中、彫刻の様に刻まれた、昔と変わらぬ双樹の表情を見る。

「初めまして、守上双樹です」

 双樹は教室の前に立ち、自己紹介を行う。何故だかは拍手が起きている。

(変わらないな……)

 記憶の中の少女はどんな表情になっても、いつも変わらない『不機嫌』を張り付けていた。人が嫌いなあの泣き虫は、不機嫌の殻に閉じこもる術しか知らないのだ。

「では守上さん。席は祇蔵の隣だ。祇蔵!手を上げろ」

「はいはい」

「あのやる気なく手を挙げてるのが祇蔵だ。あいつの隣の席に座ってくれ」

「分かりました」

 先生は双樹の座るべき場所を示し、奏は手をひらひらさせて場所を示した。双樹は素直に返事をして、席に向かって歩き始める。

「……?」

 しかし直ぐに立ち止まり、怪訝な顔をした

 。見ると、何故か京成を凄く睨んでいた。

「京成お前の席はそこじゃないだろ。自分の席に戻れ」

「え~、連れないな~」

 双樹の言わんとする事が伝わったらしく、先生は京成を叱った。しかし京成は毒素振りを見せず、代わりに双樹に笑い掛けた。

「いいじゃん、どっちに座ろうと俺の隣なんだし!双樹ちゃん、よろしくね♪」

 京成は冗談めかして、隣の空いてる席を叩いた。そこが京成の本来の席である。

「京成……お前は恐れを知らないな」

「ん?奏、何か言ったか?」

「ああ、自分で渡り合え。俺は知らない」

「なんだよ?意味分からないぞ?」

 奏の半分笑っている様な、半分困っている様な態度を理解しかね、京成は首を傾げた。

「ねぇ」

「あ♪双樹ちゃん初めまして。俺は相場京成。よろしくね」

 双樹は表情を崩さぬまま京成に話し掛け、京成は何を勘違いしたのか、ニコニコ顔で双樹を見上げた。

「退いて。そういうの嫌い」

 対して双樹の声は非常に冷たい。

「……ちょっと酷くね?距離感違うかもしれないけど、和ませようとしてじゃん」

 いや、冷たいというか、痛い。バリバリと氷の破片が胸に刺さりそうだった。思わぬ扱いにショックを受けたらしい京成は、ムッとして突っ掛かった。

「ごめんなさい。そんな事より速く座りたかったから」

『なら京成の席に座っても良かったじゃないか』という言葉を、奏はこっそり呑み込んだ。

「この、調子に乗りやがって」

 双樹の態度に京成は勢い良く立ち上がり、双樹を睨み付けた。

 立ち上がった勢いで椅子が倒れて、威圧的な音に教室が静まり返る。

「何よ?」

 一方双樹も京成を真っ直ぐに見返し、一気に険悪なムードが流れる。

 いや、流れる物だと多くが思った。けれどもそれを凌駕し、台無しにする程に人間の欲望とは罪深いのだ。

「相場!何で女の子脅してるんだよ!」「そうだ!守上さんは転校初日だぞ」「お前馴れ馴れしくし過ぎ」「寧ろ焦って失敗したな。ザマァ見ろって」

「な!?」

 方々から理不尽な誹謗が沸き上がり、それらは全て京成に向かっていた。

「ちょ!俺悪くないだろ!」

「「お前が悪い」」

「なにを~~!」

 奏としてはそれが当然というか、デジャブを感じた。

「お、お前らどっちの味方だよ!」

「「守上さんの味方に決まってるだろ!」」

「即答かよ!?」

 双樹の味方をせんと立ち上がる男子諸君。勿論京成にそんな暴徒を押し込める力量なんてなく、ギャーギャーと見難い言い合いが始まった。

 一方双樹はというと、もう回りには興味がない様子。立ち上がった京成を押し退けて、机の中から京成の物を抜いていた。その表情は相変わらず不機嫌其の物。何故ならこの状況は、双樹にとっても理不尽なのだ。人一倍しっかりして正義感も強い双樹を苛んで来た現実との軋轢の形がこれ。

「はい。貴方の。椅子は直してね」

「え……あ……態々どうも」

 双樹は淡々と、取り出した教材と鞄を京成に渡す。あまりの双樹のふてぶてしさに、京成は無意識に荷物を受け取って礼を言った。

 そして倒れた椅子を直した所で、正気に戻ったらしい。

「く……絶対戻って来る!」

 京成の無性に悔しそうな捨て台詞に笑いが起こり、教室の変な空気は解決した。

 まぁ半分以上ワザとやっているプロレスだったが、京成の立場に立つと結構胃に来る物である。

「……悪い。上手く助けられなかった」

「お前、ぜってー助ける気なかっただろ!」

 だから奏は適当に謝り、京成はがーと怒った。

 ついでに双樹も全くよ、と呟いたが、奏は気付かなかったようだ。

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