第51話 小麦の海を映す青い空

 ノイカとアイは薄暗い地中通気ダクト内を黙々と歩いていた。


 セントラルへ向かっていた時と、セーフハウスへ戻った時に使ったものとは別の道だというのに、やはりどこの通路も似たり寄ったりな風景だ。


 そして目的地となっている食糧倉庫から最も近い位置の出口へとたどり着く。


 地上まではやはり梯子を登らなくてはいけないのだが……ここの壁に打ち付けられた梯子も心配になるぐらい細くて、ノイカはまたしり込みしてしまった。


「ノイカ、見ていても梯子は登れないよ」

「わ、分かってるわよ!」


 アイは後が詰まっているから早く登れと、ノイカに催促をする。


 そんな風に言われても、彼女にとって梯子に登る前の小休止は必要不可欠なのだ。

 これから上るぞと自分へ宣言をして、怖いという気持ちを落ち着かせた状態で登らないと、生きた心地がしない。


 カイト達は皆そのことを知っていて配慮してくれていたので、ノイカは急かされることに慣れていなかった。


 強気な彼女が梯子が怖いというのは、とても意外だ。


 そのことを一番最初に知った時、リゼルやカイトは新しいおもちゃを見つけたと言わんばかりに、ノイカのことをからかった。


『えー? ノイカ、梯子が怖いのかぁ?』

『意外と可愛いところあるなー、!』


 アビーが先に梯子を上っており、その後にノイカが続く。

 リゼルとカイトは梯子を登る前だったので、下からノイカのことをからかっていた。


『う、う、うるっさいわね!』


 梯子が苦手なことをからかわれたノイカは、羞恥を覚えた。

 このまま彼らに好き勝手言われるのは、当然癪に触る。


 ――こういう時はガツンと言わないと!


 気が動転していたのか、彼女はガツンと言おうとして、梯子を掴んでいた手を離してしまった。


 握りこぶしを作ってファイティングポーズをしようとしてしまったが故に起こったアクシデントである。


 元々、頼りない梯子だというのにそんなことをしてしまえば、あとは予想通りと言うべきか。


 ノイカはそのまま下へと落っこちた。


『わぁああ!!!!!』

『『わ゛あ゛あ゛あ゛!!!』』


 落下したのがそこまで高い位置からではなかったことと、リゼルとカイトが下敷きになったことが功を奏して、ノイカは怪我をすることはなく、大事に至らなかったのだ。


 それ以降、『梯子付近にいる時は、からかい禁止』という暗黙のルールができた。


 もちろん作ったのはアビーである。


『二人とも、梯子は危ないって前から言っていたよね?』


 にこやかに言うアビーだったが、この時の顔は過去一、二を争うぐらいに恐ろしかった。


 普段怒らない人間が怒ると、とても怖い。


 使い古されてきた言い回しは本当だったのだと、リゼルとカイトは震えながらアビーへ「イエス・マム!」と返事をしていた。



 だがアイはそんなことを知るわけもない。

 そしてノイカが梯子に苦手意識があると察するなどということを、できるはずがなかった。


 そのことをノイカも知っているので、文句を言いながらも彼女は気持ち早めに登る決意をする。


 ぶつぶつと独り言を言いながら梯子を上るノイカの下で、アイは自分が先に登ったほうが良かっただろうかと思案していた。



 ◇



 何とか蓋をずらして、彼女たちは地中通気ダクトから地上へとはい出てきた。


『地上』とは言っているが、AI統治国家が地中に造られていることに変わりはない。


 ただここで暮らす人間たちにしてみれば、自分たちの足の裏が付いている場所が『地上』になるため、そう呼称されているのだ。


 正確に言うならばここは『地表』と言ったほうが近いのかもしれないが、ともかく。



 アイはこの時初めて、セントラルエリア以外へと降り立った。


 製造されたのはサウスエリアなのだが、彼の体に備え付けられたAIの設定を行ったのはセントラルエリアだった。そのため彼という存在が誕生してからというもの、あの狭い壁に囲まれた場所から出たことがなかったのだ。


 ターコイズの瞳に映るのは一面の麦畑だ。


 向こうの区画では大豆も栽培している様子だったが、ここの区画は麦だけを栽培しているようである。

 人工的に作り出された風へ穂をなびかせて、麦の海に波が出来ていた。


 データでは見たことがあった景色だったのだが、実際に見たのは初めてであった。

 アイは自分の頭に手をやり、忘れないようにとこの光景を記した。


 肥料と水を撒くためだろう畑の上には等間隔でスプリンクラーが付けられており、ちょうど散布の時間だったのかそこから液体が噴き出してくる。

 小麦色の大地に微細な雫がつき、きらきらと光を受けて輝いていた。


 だが、このに存在するものは全て造られたものであり、いわば人工物だ。


 本物の麦畑にはスプリンクラーなどついておらず、どこまでも続く空が見渡せたのだろう。 

 ホログラムではない本物の空だったら、もっと澄んだ色の青い空で太陽が輝いていたのだろう。


 実物を見たら、きっとこことは比べものにならないぐらい綺麗なのだろう。


 所詮は自然を真似て作っただけの紛い物だと言われてしまえば、それは正しいことなのだけれど……。


 ――それでも。


 アイにとって目の前に広がる景色が美しいことに、変わりなかった。

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