第41話 切望

 ノイカの目の前には資料でしか見たことのない、『花』という物体が一面に広がっている。


 赤や白、紫や黄色と言った色とりどりな花たちが風に花弁を舞わせながら気持ちよさそうにたなびいており、その中でノイカは座っていた。


 何かを尻に敷いている感覚があるので、いくらか花を下敷きにしているようだ。


 ――こういうのを『花畑』と言うんだったかしら。


 非現実的な光景にノイカはこれが夢だと認知する。


 夢を見るほうではなかったというのに、ここ最近は見ることが多い。

 どうしてだろうかと冷静にそんなことを考えていると、彼女の近くから声がした。


「ノイカー。何ぼんやりしてんだー?」


 彼の声が聞こえた瞬間、あの『サーカス』で最後に見た凄惨な姿がフラッシュバックして、手に嫌な汗が滲んでくる。


 他の誰かの声かとも思ったが、ずっと会いたいと思っていた彼の声をノイカが聞き間違う訳がない。


 彼女は徐に横へ振り向くと、そこにはあの特徴的な黄金色の瞳を不思議そうに丸くしている彼が座っていた。


 血はどこからも出ていないし、腕も欠損していない。

 顔に無数に穴が開いていることもなく、いつもの整った顔立ちのままである。


 彼は心配そうにノイカの顔を覗き込みながら、彼女の顔の前で右手を振っていた。


 彼の隣にはアビーとリゼルもいて、また彼らも血など流しておらず、何処も怪我をしている様子はない。


「別に、ぼんやりなんてしてないわよ」

「ホントかー?」

「ホントよ。あんぽんたん」


 彼女の言葉を聞くと、彼女以外の三人が「出た、ノイカの似非お嬢様言葉」と言って笑う。


 以前であれば、その言葉を言われるとノイカは怒っていたのだが、今はそんな気も起きず、彼らと一緒になって笑っていた。


 楽しいはずなのに目に涙が滲んでしまうのは、きっと彼女がこの光景を夢だとしっかり分かっているからだろう。


「ノイカが怒らないって……天変地異でも起こるんじゃねぇかぁ?」

「こら、リゼル。またそう言うこと言って」


 見慣れていたはずの彼らのやりとりだったのに、ノイカには特別なもののように感じてしまう。


 軽口を叩き合って、笑って。

 当たり前にやっていたことを、もう二度とすることは叶わない。


 そう思考するや否や、ノイカの瞳から無意識のうちに雫がこぼれ落ちて来た。


「えっ、えっ!? ノイカが泣いてる……!?」

「リゼルが酷いこと言うから! ……ノイカ、大丈夫?」


 アビーがすぐそばに来てノイカの頭を撫でる。

 まさか泣き出すとは思っていなかったのだろう、リゼルもノイカのそばにくると、「ごめん……」とバツが悪そうに謝ってきた。


 ノイカは彼らに言われて初めて自分が泣いていることに気がつき、手の甲で涙を拭う。


 心配させたい訳じゃなかったのに二人にこんな顔をさせてしまうだなんて、とノイカは申し訳なくなってしまった。


「ごめんなさい。泣くつもりなんて、なかったのだけど……」


 たとえ夢だと分かっていても、生きている彼らと話せたことがノイカは嬉しかったのだ。


 ――もういっそ、目が覚めなくてもいい。


 そんなことを思ってしまうぐらい、彼女は疲弊していた。


 あんな辛いだけの現実なんて戻りたくない、彼らとずっと一緒にいたいと。


 ノイカの様子を見たアビーとリゼルは何を思ったのか急に立ち上がる。

 そしてリゼルが真面目な顔でカイトへと視線をやった。


「俺らはお邪魔虫になっちまうから」

「私もリゼルと向こうに行ってるね。流石に、馬に蹴られたくないもん」


 アビーはもう一度だけ優しくノイカの頭を撫でると、リゼルと共に別の場所へ離れていってしまった。


 リゼルは立ち上がったあと、カイトに向かってサムズアップする。

 そして得意げな顔でウィンクを決めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る