第42話 さようならの花畑

 ノイカはわからずカイトを見るも、彼もまたリゼルがなんでそんなことしたのか分からないようで、首を傾げていた。


「あいつ、何がしたかったのかしら?」

「わっかんねー」


 ――カイトに意図が伝わっていないんじゃ、意味ない気がするけど。


 ノイカは得意げな顔でアビーの横を歩くリゼルに、呆れた顔で視線を送った。


「で、ノイカは落ち着いたか?」


 彼女の瞳から涙が引っ込んでいるのを見て、カイトが安堵の息を漏らす。


 ノイカのことを心配してくれていたことがまじまじと伝わってきて、彼女はなんだか気恥ずかしくなってしまった。


「ええ。ごめんなさい、急に泣き出して」

「ノイカでも泣くことってあんだなー」

「ちょっと! それ、どう言う意味よ……!」


 涙も見せない鉄面皮だとでも思われていたのか。

 アビーほど表情豊かではないとは自負していたけれど、そんなふうに言われるのは心外である。


 ノイカは不機嫌を露わにしてカイトを見ると、カイトは「悪口じゃねーって」と困ったふうに頭を掻いていた。


「ノイカは初めて会った時ですら、泣いてなかったからさ。意外だったんだよ」


 言われてみれば確かに、彼らと共に行動している時は泣いたことなんてなかった。

 それはカイトがそばにいてくれたからだ。

 だから怖いと思ったことも、不安に押しつぶされそうになったこともなかったのだ。


「ちょっと安心した」

「何がよ」

「ノイカもちゃんと泣くことができるんだって、さ」


 カイトはそう言うとノイカの頭を撫でた。

 彼女はカイトの手の感触を忘れないように、己の記憶に必死に焼きつける。


「そりゃあ、人間だもの。泣くことぐらいあるわよ」

「……そうだな。……そう、だよなー」


 真剣な顔つきだったカイトは深呼吸の後に、いつものおどけた表情へと戻っていた。


 ひとしきり頭を撫でて満足したのか、彼はノイカの頭から手を離すとゆっくりと立ち上がる。


「じゃあ、俺はそろそろ行かないと」

「……えっ? 行くって、どこによ?」

「えー。……ノイカには言えないところだなー!」


 どこかへと歩き出した彼の背中を追いかけるために、ノイカは勢いよく立ち上がる。

 少し先にいるカイトの元へ走るも、彼女は途中で見えない壁のようなものに行手を阻まれてしまった。


「何っ、これ! カイト! ねぇ、カイト!」

「ノイカっ!」


 彼女を呼ぶ彼の声に、ノイカはひゅっと息を呑む。


 カイトの近くにはいつのまにかアビーとリゼルもいて、彼らはノイカに向かって手を振っていた。


「……最後に話せてよかった!」


 ――ねえ、待って。どうして『最後』だなんて言うのよ。


 カイトは何かを言おうとしてやめる。

 目を伏せて思案した後に、彼は顔を上げて再度口を開いた。


 いつものおちゃらけた彼ではなく、なぜか悲しそうな顔で、真っ直ぐノイカの目を見ていた。


「俺の……俺のそばにいてくれて、ありがとう!」

「ねえカイト、待って! ……アビーとリゼルもなんか言ってよ!」


 ノイカは見えない壁を叩き続ける。

 どんなに彼女が拳をぶつけても、それはびくともしなかった。


「ノイカー! 元気でやれよぉ!」


 リゼルは両手を口の横に持っていき、大声で叫んでいる。

 涙声になっているのはきっとノイカの気のせいではない。


「ノイカ! 大好きだよ!」


 アビーもノイカに届くように目一杯の声量を出していて、彼女に至ってはもうすでに泣いていた。


 待って欲しいのに、三人の背中はどんどん遠くなっていく。


 ――待って!置いていかないで!


 ノイカは叫ぼうとしたのに声が出なくなってしまう。

 どうすれば良いのか分からなくなり、彼女は何度も壁を叩いた。


 一度枯れたはずの涙がノイカの瞳からこぼれ落ちてゆく。

 振り返ったカイトが苦しそうな表情でノイカを見つめた。


 涙を拭ってやれないことを、彼女を置いていかなくてはいけないことを悔いるような瞳だと言うのに、それでも彼女を壁の向こう側へ連れて行こうとはしない。


 カイトは大きく手を振りながら叫んでいるようだったが、もうノイカの耳には届かなかった。


 前へ進んでいく彼らの背中を見送ることしかできない彼女はその場にへたり込む。


「……置いて、いかないで……」


 咲き乱れる花々へ溢れ出した雫が吸い込まれていく。

 美しい花はノイカを慰めてくれることもなく、ただ何も言わずに咲いている。


 ノイカが再度顔を上げると彼らの姿はもうどこにもなく、永遠に続く花畑だけがそこにはあった。

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