第37話 ただ明確なのは、殺意のみ

 ノイカの顔の横を何か棒状のものが勢いよく通り過ぎる。

 それが背後でつぶれたような音を鳴らしても、彼女は振り返らなかった。


 ……いや、振り返ることができなかった。


 眼前で無慈悲にも絞められた扉から、彼女は目を離せないのだ。


「カ……イト……?」


 彼女は脳の処理が追い付かず、ただ茫然と彼の名前を呼ぶ。


「……カイト……! ……カイトッ!」


 彼の名前を呼ぶ。

 答えてくれる声を期待して、何度も何度も。


『なに泣きそうになってんだよー、ノイカ!』


 からかう言葉を言っていても、彼女を心配してくれているのだと分かる声音はいつまで経っても聞こえて来ることはない。

 ノイカの前にはただ彼が呑み込まれた車が静かに佇むだけだった。


「嘘……うそよ、こんなの……うそ……うそだ……」


 生きていてほしい、生きていると信じてる、きっと生きているに違いない。


 そんなノイカの淡い希望を打ち砕くように、車のドアが悲鳴をあげて開く。


 車内からはいつの間にか針がなくなっており、完全に開ききったドアからカイトが倒れてきた。


 彼女は反射的にそれを支えるも、立ったまま抱えることが難しく、彼女は受け止めきれずその場に座り込んだ。

 予想以上に重たくて、そして甘ったるい匂いがする。


 手が何かに濡れたらしく、嫌に湿っていた。


「……カイト?」


 彼女が呼びかけても彼が返事をすることはない。

 ゆっくりと彼を抱き起すと彼女は目を見開き、唇を震わせた。


 彼の右腕は二の腕から下の部分が欠損しており、先ほど彼女の顔の横を通り過ぎた何かが彼のものだったのだと彼女は悟った。


 彼の整った顔は蜂の巣のように穴だらけで、一瞬彼だと識別できないぐらい悲惨な有様である。


 そして彼女を導いて来てくれたあの特徴的な金の瞳は、針に貫かれた衝撃で、彼の顔から無くなっていた。


「あ、ああ、あああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 泣き叫ぶ彼女の声がテントの中へ木霊する。


 ノイカはカイトを抱えたまま辺りを見渡すも、ステージ上に生者はいない。


 槍に突かれたまま手足をぶらぶらと揺らすアビーと、首だけになって尚も晒し物にされているリゼルがノイカの視界に入った。


 ――どうして、どうして、どうして、どうして、どうして!!!


 彼女の脳内は呪詛のようにその言葉を吐き続ける。


 報復のためでも生存戦略のためでもない。

 ただショーとして、見世物として彼らの死が必要だったから、そんな理由でどうして理不尽に殺されなくてはいけないのか。


 彼女の慟哭がテント中に反響する。

 悲鳴とも雄たけびともとれる心の底からの叫びであったが、機械相手に届くはずもなく、明らかに場違いな拍手がノイカの後ろから聞こえてきた。


「ブラボ~! ブラボ~!!」


 ラディが満面の笑みで手を叩き続けていた。

 それが正しい反応なのだとした観客たちもそれに倣い、テント内に拍手喝采が巻き起こる。


 本来であれば観劇の終わりに感じるのは満たされた多幸感のはずなのだが、ここにそんなものは何処にもなかった。


 鉄さびのようでいて甘ったるい匂いが充満した劇場内、純白のステージにぶちまけられた黒ずみ始める赤い色、響き渡る拍手――。

 

 ここに集まり合わさる全ての要素が嚙み合っていなかった。


「素晴らしい!! 実に素晴らしい!!!!」


 頭の可笑しいアンドロイドは尚も称賛し続ける。


 壊れてしまったのかと思うぐらい同じ言葉を並べて、狂ったように拍手をしている姿に彼女の涙が止まった。


 ――どうして。


 もう一度あの言葉が脳裏に響いた時、彼女はそこで初めて気が付いたのだ。


 カイトがどうしてラディとあの会話をしていたのか。

 腕を切断されて痛くても、体中に針が刺さり絶命した瞬間も、彼が声を出さなかったのかを。


 彼が命を懸けてぶち壊そうとしていたものを知った時には時すでに遅く、彼女はラディが一番欲しがっていたものを与えてしまっていた。


「貴女はショ~の何たるかをよくご存じの用ですね~! いやあ、本当に素晴らしい!」


 ――何がショーよ。あんなのはただの虐殺だわ。


 いつもの彼女だったらこう心の中で罵倒していただろう。

 嫌悪感を感じ反吐が出そうになっても、冷静に己のすべきことを判断できたのだろう。


 ……いつもであったら。


 今の彼女には冷静に判断する能力も余裕も何もかもがない。

 一心不乱に手を叩くラディの姿に通常ならば狂気を感じるはずだが、理性のタガが外れたノイカはそんなことさえ分からなくなっていた。


 ただ覚えたのは明確な殺意。

 機械相手にはできないと頭で解っていても、こいつの顔を絶望で歪ませてやると本能で思うほどの殺意だった。

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