これでまだ付き合ってないんですって奥さん

「璃音」

「なんですか?」

「……あ~」


 不思議な夢……夢ってなんだ?

 自分でも何が何だか分からない感覚の中、まだ少し眠たいなと思いながら璃音の名を呼んだのだが、後に続く言葉を絞り出すことが出来ない。

 今日は……本当に朝から変だ。


「今日は朝から変ですね?」


 そしてそれは璃音もバッチリ気付いているらしい。

 俺だけの勝手な思い込みならそれはそれで良かったけれど、璃音にそう言われたのであれば確実に今日の俺はおかしい。


「起きた時からそうですよね? 今日は私の方が起きるのが遅かったですし、もしかして変な寝顔でもしていましたか?」

「……いや?」


 すっごく可愛い寝顔でしたけど?


「まあ、こういうことではなさそうですね。いつにも増して間抜けな顔とは言わないですが……いえ、そのボーッとする様子は少々間抜けかもしれません」

「ありがとう璃音。君のそういう言葉に平常が保てるよ」


 璃音に間抜けって言われると逆に気が引き締まる。

 何度も言っているが俺はドМとかではない……そうではないが、数日に一度のペースで璃音に悪口を言われた方が俺らしく在れるかもしれん。


「……あの、その顔やめませんか? 私の悪口を聞いて嬉しそうにするのは……その……本格的に気持ち悪いと言いますか」


 よし分かったやめるからもうそれ以上言わないでくれ!

 割とガチに引かれそうだったぞ……けど、気が引き締まるというのは本当だったからそれはしっかりと伝えておいた。

 そもそも璃音も表情はガチだったけど本気だったわけではないようで、これからも俺にはちゃんと強い言葉を放ってくれるらしい……ほっ。


(あれ……なんかおかしいな?)


 おやっと首を傾げながらも、難しいことは考えないようにした。

 今日は既に朝食を終え、昨日と同じで暇というか……のんびりとした時間が幕を開ける。

 俺も璃音も思い思いに過ごしているのだが、お互いにリビングから離れるようなことはなく、当然と言えるほどに同じ空気を吸える空間で俺たちは留まっている。


「なあ璃音」

「はい?」

「……出掛けるか」

「良いですよ」


 ということで、急遽ではあったが出掛けることにした。

 昨日は夕方の買い物以外は家だったので、せっかくの連休だし外で過ごすのも悪くないはずだ。

 昼食は外で済ませるつもりなので、財布を忘れていないことを確認してから外へ出た。


「良い天気だな」


 雲一つない晴天、これ以上ないほどのお出掛け日和だ。


「お待たせしました……ふふっ、良い天気ですね」


 少し遅れて出てきた璃音も、空を眺めて同じことを口にした。

 今日の璃音はカジュアルで季節にあった服装で、俺のプレゼントしたベレー帽を今日も大切そうに被ってくれている。


「それじゃあ行きましょうか」

「行くか~」


 何をするか、どこに向かうかの予定は全くないが俺たちは歩き出す。

 昨日は夕方だったのでそうでもなかったけれど、一応俺たちが住む街にも観光地というかそれに似た場所があったりするので、大型連休だからこそ人はかなり多いだろう。

 いつもなら待つことのない飲食店だったり、カラオケやその他の娯楽施設なんかも人で溢れていそうだ。


「……さて、街に出てきたわけだが」

「人、凄く多いですね」


 案の定、街中は人で溢れ返っていた。

 日本人だけでなく外国人もかなり居て、流石大型連休だなとしみじみ感じる。

 こんなにも人が多いからこそ、余所見なんかしてたら簡単にぶつかってしまう可能性もあるので、璃音を危ない目に遭わせないために……絶対に離れ離れにならないように手を握る。


「ふふっ、ありがとうナギ君」

「良いってことよ」

「これもこれで嬉しいのは当然ですけど、もっと良い方法があります」

「え?」


 もっと良い方法?

 なんだそれはと思っていると、璃音は繋いでいた手を離し……ギュッと俺の腕を胸に抱く。

 服越しに伝わるふんわりとした柔らかさを当ててくる璃音は、ニコッと微笑んだ。


「これなら簡単には離れませんよ。私の力はひ弱ですが、こうしていれば意地でもあなたから離れないって思えますし」

「っ……そうか」


 何でもないような様子でよくそんなことが言えるな璃音は……。

 まあ今に始まったことじゃないかと俺はため息を吐き、璃音に腕を抱かれる形で改めて歩みを進めた。

 やはり大型連休ということで普段見られない出店なんかもあり、小さな子供たちが遊ぶための簡単なアトラクションなんかも設置されている。


「人混みはいつも騒がしいですけど、今日は特別ですね」

「だなぁ……いつもと違う光景だから歩いているだけでも新鮮だ」

「そうですねぇ。あ、ナギ君アレを見てください」

「うん?」


 璃音が指を向けた先、そこには大きなパネルが設置されている。

 それは明日に控えた西条さんのイベントに関するもので、前日だというのに彼女のファンと思わしき人たちがこぞって写真を撮っている。


「すんげえ人気だな」

「テレビの取材や、番組出演も夏の時期にはいつもあるようですしね。本当に私たちの同じ年齢だというのに大した人ですよ」


 同じ学校で隣のクラスに所属する子が芸能人……最近はあまりにも普通に西条さんと仲良くしているせいか、彼女がとてつもない有名人であることを忘れてしまいそうになる。

 あんな有名人なのに中身は王子様を求めるちょっとした変人だけど、人生って何があるか分からないもんだよなぁ。


「でもな璃音」

「はい?」

「視線を集めてるのは璃音も例外じゃなさそうだぞ?」

「……みたいですね」


 ここに居る全ての人が、というわけではない。

 しかしそれでも璃音というあまりにも見た目が整った女の子に対し、向けられる視線はそれなりにある。

 男女問わずというのが流石璃音という感じだが、璃音を見た後に俺を見てなんでこんな奴が……みたいな目をされるのも特に気にはならない。


「普段はこの辺りに居ないはずの人からも目を向けられる……中々に良い気分ではないですね」

「あ、私の見た目は優れてるんだ! って璃音はならないもんな」

「なりませんよ。私はただ、身近な人に見た目でも何でも褒められればそれだけで満足するんですから」


 なるほど……ちなみに、こうして璃音と話をしている間に何人か声を掛けようとしてきたが全てブロックしておいた。

 その度に璃音に感謝されたけど、幼馴染として当然のこと……こうして彼女が俺の隣を歩いているのであれば、どんな状況であれ安心してもらってこその俺だからな。


「さあ、楽しみましょうナギ君」

「あいよ」


 その場を離れようとした時、目に入ったのは西条さんのパネルだ。

 パネルがデカいのはもちろんだが……彼女の持つ豊満さがこれでもかと再現されており、それをジッと見て璃音に小突かれたのは仕方のないことだった。

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