祝福と呪いは紙一重

 かつて高校生の終わり際まで生きて、そして死んで生まれ変わった。

 一度の死を経験し二度目の生を受けたとて、己の中の価値観に何かの変化が起きたわけでもない……身近な人が苦しんでいるのは嫌だし、笑ってくれていればそれだけで嬉しかった。


「手は……尽くしました」


 それは無慈悲な言葉だった。

 目の前の命を助けられないことに悔しさを滲ませる先生に、璃音の両親が涙を流しながらどうにか助けてくれと縋りつく。


「娘を……娘をどうか!」

「あの子は僕たちの希望なんだ……だからどうか!」

「……申し訳ありません」


 もう無理だと、首を振った先生を見た琢磨さんと胡桃さんは膝を突く。

 俺はただそれを黙って見ているだけだった……背後に居る父さんと母さんのすすり泣く声も聞こえるが、俺の頬を伝うものは何もない。

 涙が流れないんだ。


「璃音……」


 何寝てんだよ……こっちは大変だってのに、どうしてそんな安らかに眠っていられるんだよ。

 ベッドで横になり、目を閉じたままの璃音……流石に頭を叩いたりしたら怒られるよなぁ……でも目を覚ましたら何をするんですかってやり返してこないかな……はぁ、アホくせぇ。


「……ちょっと外行ってる。璃音が目を覚ましたら呼んで」

「渚……」

「……あまり遠くに行くんじゃないぞ」

「分かってるよ」


 別に病院の外に行ったりするわけじゃないから安心してくれ。

 一応そう最後に伝えて病室を出た俺だったが、本当にその言葉通り向かう先は廊下の少し離れた所に位置する椅子だ。


「……はぁ」


 深く座り込み、深く息を吐く。

 こうして一人になり周りの騒がしさから解き放たれると実感する……璃音との別れが近いのかなって。


「……始まりは唐突だったよなお互いに」


 小さい頃に出会った時、璃音に抱いた第一印象は何だこの可愛い女の子はというものだった。

 両親に連れられて現れた彼女はキョトンとした顔を俺に向けていたが、すぐに興味を失ったかのようにそっぽを向いたのも印象的だったか。


『璃音ちゃん……普通に璃音って呼んでいいか?』


 こんなやり取りもあったなと思い出す。

 以前にも言ったと思うが、俺は璃音のことを可愛い幼馴染と考えていたのは確かだが、それと同時に妹のような感覚も抱いていた。

 それはきっと俺が二度目の人生を経験しているからであり、明らかに今を生きる同世代の子よりも精神の成熟が進んでいたからだ……まあ璃音と口喧嘩になったら俺は間違いなく負ける情けなさだけど。


『どうして渚君は私に構うんです?』

『母さんと父さんに仲良くしろって言われたから』

『……………』

『そんな怖い顔……って定規を投げるな! それ地味に痛いぞ!?』


 初めて出来た幼馴染……可愛くて綺麗な幼馴染が傍に居ることに舞い上がっていたのは確かで、俺はずっと彼女と一緒に居ることが楽しかった。

 正直なことを言えば構い倒しすぎてウザがられると思っていただけに、彼女の口から出てくる言葉は相変わらずだったが懐かれたのは少しだけ意外だったんだ……今になってもそれは思う。


『ふぅ……ふぅ……』

『体が弱いんだから無茶すんなよ』

『ば、馬鹿にしてるんですか?』

『馬鹿にはしてねえっての。心配してるだけだ』

『そうですか……けほっ!』

『お、おい! 大丈夫か璃音!』


 昔から彼女は体が弱く、目を離すことが出来なかった。

 不思議だったのは一度だって面倒だとは思わなかった……憎まれ口を叩かれようが傍に居ることを嫌だと思わなかった……それはきっと、何度も言うが彼女が幼馴染であり妹のように思っていたからなんだろう。


「これで終わるのかよ……こんな簡単に終わるのかよ」


 分かってる……分かってるんだ。

 誰も悪くない……誰も責められない……ある意味で、これは運命というたった二文字で片付けられてしまうことだから。

 なあ……これは夢じゃないのか?

 全部質の悪い夢で目を覚ましたら璃音が笑顔で俺を見下ろしていて、いつまで寝てるんですかとデコピンをお見舞いしてくる……そうだよな?


『ナギ君、どうかあなたは元気で居てくださいね』


 どうか自分のようにはならないように……そう笑顔で伝えてくる璃音を想像してしまい頭を振る。

 そしてまた俺はこう考えたんだ――神様、璃音を助けてくれよって。

 だがそれが意味を持たない願いであることも理解している……あぁ、本当に神様って――。


「役立たず、と言いたいのでしょうか?」

「……え?」


 ……誰だ、今の声は。

 そう思って隣を見た時、俺は目を見開く――そこには確かに俺以外の何者かが居た……見た目は美しい女性だが、何とも言えない神秘的な雰囲気を纏う女性が。


「……誰だ?」

「うふふっ♪」


 俺は一瞬、璃音のことを忘れてしまった……それほどに、目の前の女性から異質な何かを感じたからだ。

 というよりもいつからそこに居た? 流石に考え事に没頭していたとはいえ、ここまで他人の接近を許すなんてことはあり得ない……それにおかしかったのはそれだけじゃない。


「何が……起きてるんだ?」


 周りから色が消えている。

 俺が灰色の世界に入り込んだのか、それとも俺の目がおかしくなってしまったのか……正にこれこそ夢なのではと、そう思いたいが俺は視線を女性に戻す――クスクスと笑い続ける女性に。

 女性は俺を見つめ返して口を開く。


「十五歳の男の子なのにそこまで慌てないのですね。流石は一度死を経験した人の子です――この世界はどうですか?」

「っ!?」


 女性の言葉にドクンと心臓が跳ね、体が一気に熱を持っていく。

 驚きを表すように立ち上がり女性を見下ろす形になったが、彼女は一切見下ろされることに不快感を覚えたりした様子もなく、更に言葉を続けていく。


「驚くのも無理はありません。あなたに分かりやすい言葉で伝えるならば私は人ではない……あなたが今、もっとも求めている存在でしょうか」

「……神?」

「それに近い者ですよ。六道渚……いいえ、○○○?」


 ノイズによって掻き消された声……しかし俺には彼女が何を口ずさんだのかが理解出来た――今のはきっと、俺の前世の名前だ。

 正直、分からないことは多い。

 けれど俺の体は反射的に彼女に首を垂れていた……一瞬、彼女が息を呑んだ仕草が伝わったがそんなものは気にしていられない。


「璃音を……璃音を助けてください」


 俺はそう口にしていた。

 突然に現れた彼女、この色が抜け落ち時の止まった世界、そして俺だけしか知り得ないことを知っている……これはもう確実だろう。


「一切疑う様子も見せずにそう願いを口にしますか……なるほど、やはりあなたはとても優しい心の持ち主のようです」

「……優しいとかそんなんじゃない。俺はただ、あの子に生きていてほしいだけだ」


 そもそも、幼馴染を助けられる可能性が少しでもあるならそれに無様でも縋るのは当たり前だろう。

 判断はあまりに早く、今だこの非科学的な状況の説明はされていない。

 けれども一度死に、そして転生という摩訶不思議を経験しているからこそ落ち着けているのかもあるかもしれない。


「正直、驚いていますよ。特異な存在であるとはいえ、たった一人の幼馴染のためにこの状況を信じられるあなたを」

「……………」

「ふむ……心の中も一切の曇りなく幼馴染の無事を祈っている。助かってほしいというただ一点の願いのみ……なるほど、だからですか」


 何を勝手に納得しているんだ……?

 目の前の女性はうんうんと一人頷き、その綺麗な目を輝かせるようにしながらこう言葉を続けるのだった。


「良いでしょう――あなたの幼馴染を助けてあげます」

「本当ですか!?」

「えぇ。その代わり、あなたの時間を捧げなさい」

「時間を……?」


 時間とはどういうことだ?

 女性は続ける。


「一つの命を助けることに代償がないとお思いで?」

「……いや、そんな虫の良い話があるわけがない。俺の時間ってのが何を指すのか知らん……くれてやるからとっととしてくれ」

「分かりました。命を取るわけではないのでそこまで表情を強張らせる必要はないですよ」

「それは――」


 俺が声を出せたのはそこまでだった。

 いつの間にか世界は色を取り戻し、周りの喧騒は元に戻る……そして目の前に居た女性は夢だったかのように消え失せていた。

 ……俺、疲れて幻でも見ていたんじゃないよな?

 そんな不安を抱く中、璃音の病室から大きな声が聞こえた。


「璃音!」

「璃音!?」


 琢磨さんと胡桃さんの声……まさか!?

 俺は駆け足で部屋に戻る――すると、そこに広がっていたのはあり得ない光景だったのだ。

 もう無理だと言われていた璃音が体を起こしていた。


「あ……ナギ君?」


 もう聞けないと思っていた彼女の声……それはしっかりと俺の鼓膜を震わせるのだった。



【あとがき】


拙者、お届けしたいのはこれから先で候

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