璃音の心
「璃音、今日も渚君は来ていたみたいね?」
「はい……別に来なくても良いんですけどね」
「そう言う割にはいつも渚君が来ると機嫌良いでしょうが。それに来なかったら見るからに元気なくなるじゃないの」
「……気のせいです」
私はスッとお母さんから視線を逸らした。
むぅ……これではまるで、私が図星を突かれてしまって照れているみたいじゃないですか!!
私の不満顔を見たお母さんは苦笑し、お花を替えてくると言って花瓶を手に部屋を出て行った。
「……機嫌、良くなるに決まってるじゃないですか」
今は誰も居ないから大丈夫……私は負け惜しみだと理解しながらも呟く。
「静か……ですね」
まだお母さんは帰らないはずなので、戻ってくれば賑やかにはなる……けれどもその後は外が暗くなるにつれてこの場所も静かになってしまう。
そうなると……慣れてしまいましたがやっぱり寂しいです。
「……ナギ君」
ナギ君……彼の名前をこうして意図せず自然と呟くことも珍しくない。
親同士の仲が良いこともあって私とナギ君の交流は始まり……正直なことを言えばこんなにも彼と仲良くなるなんて私は思っていなかったんです――だって私はこんなにも生意気で可愛げのない女だから。
『なあ璃音……ちゃん?』
『璃音ちゃん……普通に璃音って呼んでいいか?』
『おっす璃音! 遊びに来たぞ~』
彼は……ナギ君は不思議な人だ。
同年代の子に比べて生意気……なのは良いとして、普通の子に比べて頭が良いと自負する私よりも彼は大人っぽかった。
黒髪黒目、太りすぎでもなく瘦せすぎでもなく……とにかく彼からは平凡さしか感じないのにどうしてか目を離せなかった。
『どうして渚君は私に構うんです?』
『母さんと父さんに仲良くしろって言われたから』
……あまりに正直すぎるところは美点であり欠点にも思えますけどね。
でも彼のあのような裏表のない性格は付き合いをする上で楽だったのは確か、そしてよく分からない大人っぽさを放つ彼に変な気を遣わないで居られたのも私にとっては大きかった。
『ははっ、璃音は渚君を気に入ったようだな』
『えぇ。そうみたいで嬉しいわ凄く』
両親の生暖かい視線でさえ……悔しいけれど、私は恥ずかしくてそんなことはないと否定するしか出来なかった。
幼馴染とはいえ、それは単に昔から傍に居た間柄に過ぎない。
私にとってもナギ君にとっても、それはずっと変わらないと思っていた……でもそうじゃなかった――ナギ君は本当に私のことを気に掛けてくれた。
『体が弱いんだから無茶すんなよ』
『馬鹿にはしてねえっての。心配してるだけだ』
『お、おい! 大丈夫か璃音!』
私は生まれつき体が弱い……家族はもちろん友人たちも心から心配してくれるほどで、その中でもナギ君は片時も離れることなく私を見守ってくれていた。
体の悪い私を心配してくれるだけでなく、絡んでくる男性が居れば常に私を守るようにその大きな背中を見せてくれて……私はそのことに確かな心地良さを感じていたんです。
『璃音に手を出すんじゃねえぞてめえ』
私は自分の見た目が優れていることを分かっている。
それ故に同年代の子たちだけでなく、醜い欲望をその瞳に滾らせる大人と出会うことも少なくはなかった……でもその度にナギ君は私をその背に庇った。
私にとって怖いと思えるものはそんなにありません。
流石にいきなりナイフを手に脅されたりしてしまうと怖いですが……それ以外であれば自分で如何様にも対処できます――それこそ相手を追い詰め、絶望させ……。
「……はぁ」
小さくため息が零れる。
私は大よそ自分の心の内側に入り込んでいる相手を除き、性別や年齢を問わず心の中ではドライに対応している。
そんな私の心に一番踏み込める相手がナギ君……本当に自分でも不思議なほどに彼には心を許しているんですよ私は。
「どうしてナギ君はこんなにも私に……」
ナギ君は不思議な人……彼には色々と強い言葉を放つことはあります。
しかし彼は一度たりとも嫌な顔をせず対応してくれて……普通ならこういうことはないと思う……普通ならこんな面倒な人間を相手したいとは思わないだろうから。
そして何より……私には後がないから。
「っ……」
痛い……心が痛いよ。
元々体が弱くて常に主治医の先生にお世話になっていたし、何よりナギ君にこれ以上の心配を掛けたくなくて体のことには気を配っていた。
けれど運命はあまりにも残酷に私を絶望へと突き落とす――先生に明かされた治る見込みのない心臓の病は私をここから動けなくしてしまった……この病室という牢獄に私は囚われたのだ。
「……笑顔は浮かべられます。ナギ君と会話は出来ます……軽口だって叩き合えるのに……それなのに分かるんです――自分の体が終わりに近付いているのが」
それなのに彼は……ナギ君は酷い人なんですよ。
私に構ったってこれ以上はどうしようもないのに、私を放って友人との時間を大切にしてほしいと言っているのに……彼は私の元にずっと通ってくれている。
そうしてくれることがあまりに嬉しくて……同時に心が痛いんです。
「生きたい……ですね」
それはこの先の叶わない願い……けれども、人としてそう願うことは罪ではなく誰にも許されているもののはず。
「ただいま。少し知り合いが居て話が弾んでしまったわ」
「そうでしたか。随分と遅いなとは思っていました」
「ごめんなさいね。ほら、水が替わってお花も元気になったわよ」
お花の表情なんて分かりませんよ……なんて空気の読めないことは言わない。
まだまだ若々しく、時に一緒に出掛けたら私の姉じゃないかと見間違われるほどの美貌を持ったお母さん……無理に笑顔を浮かべようとしているのが分かり、それさえも私の心を軋ませる。
お母さんはそんな自分を誤魔化すようにコホンと咳払いをした後、外の景色を眺めながら言葉を続けた。
「さっき渚君の話をしたけれど、私も渚君に喝を入れられた部分があってね」
「?」
「母である私が笑顔を浮かべるだけで璃音は安心する……だから笑顔で居てあげてくださいって言われたのよ」
「……ナギ君が」
ナギ君……お母さんにまでそんなことを?
「あの子は不思議よね。あなたと同じ年齢の幼い男の子なのに、感心するくらいに周りを見ているわ。大人っぽい……というより、少なくとも璃音よりは年上のように見えることがあるわねぇ」
「……それは私も思いますよ」
「でしょう? だからかしら……あの子だから凄く安心するのよね。昔から璃音の傍に居てくれたことに」
うぅ……何でしょうか? 凄く頬が熱くなってしまいます。
顔を真っ赤にした私をお母さんは微笑ましそうに見つめ、お手洗いに行くからと再び部屋を出て行った。
一人残されたことで私はまた窓から空を見る。
私の淀んだ心とは裏腹に雲一つない空……とても綺麗な夕焼け空だ。
「もしも……もしも神様が居たのなら……私の願いを聞き届けてくれますか?」
私は神様を信じない……でも、無駄だと分かっていても生きたいと願う。
素直になれない私……きっとこれからもそれは変わらず、ナギ君の前に居ても私は今のままだと思っている。
それでも良い……それでもナギ君との未来を望めるなら――。
「……って、これでは私がナギ君のことをまるで……まるで……っ」
一人悶えた私だったが、戻ってきたお母さんが私の様子に慌てていた。
顔を赤くし悶える姿……お母さんからすれば発作が起きたように思えたのかもしれない。
どこも悪くないから大丈夫と言えたけど……どうかこれから先も、ずっとこんな風に言えますように。
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