不死と非生

藤村灯

第1話 不死と非生

 探しあてた女は、夕暮れる駅のロータリーで大道芸を披露していた。


 藁色の髪に黒のニット帽。薄いオレンジのサングラス。黒い半そでルーズシャツにアイボリーのキュロット。


 女は空気入れでふくらませた細長い風船を器用にねじり、四つ足の動物を作り上げる。

 長い胴と短い脚――ダックスフンドか。


 目を輝かせて女の手付きに見入っていた少女に、おどけた仕草で出来たばかりのバルーンアートを手渡す。


「お姉ちゃん、ありがとう!」


 少女の歓声に笑顔で応えると、女は次の細工に取り掛かる。


 年の頃は20代前半。

 セーラー服姿の私よりやや歳上の、どこにでもいる女子大生のように見える。


 だが私には、私にだけは分かる。

 こいつは人の群れに紛れ人を喰らう不死者ヴリコラカス。

 少し上どころか、私の10倍は長く生きているだろう。


 若者の多い街だからその姿を選んだのだろう。

 正確に平均値を計ったかのような顔は、整ってはいるが極めて印象が薄い作り物だ。

 クモやカマキリ。草花に擬態し獲物を捕食するそれらと同じで、女の姿はこの街に実によく馴染んでいる。


 この世界では毎日20万もの人が産まれ落ち、16万がその生涯を終える。

 その中の一人が少しばかりおかしな死に方をしても、それが不死者ヴリコラカスの仕業だと気付かれることはほとんどない。

 そんな人食いを探し出し監視し情報を秘匿する組織が存在し、人知れず始末する私のような狩人ハンターがいることもその理由の一つだが。


 女は集まっていた子供たちに一通りバルーンアートを配り終えるが、新たに足を止める者の姿はない。

 私が徐々に強めている殺気の影響だ。


 店仕舞いを決めた女は手早く荷物をまとめ、残った風船と空気入れを懐に仕舞うと、駅を離れ商店街の方へと歩き出した。


 閉店した店の並ぶシャッター街。夜というにはまだ早い時間だが、既に人通りはない。不意に女は細い路地へと曲がった。

 ポリバケツやビールケースが並ぶ狭い路地裏で、私は女と対面することになる。尾行に気付かれていたのは想定内だが、


「どうしたの、風船が欲しかった? なら、ちゃんとおねだりしないとね」


 女は手にしたバルーンアート――首が長い。キリンか?――を差し出し、私に笑い掛けやがった。距離はおよそ5m。


「舐めるな!」


 半歩踏み込んだ私の右手のひと振りで、キリンははじけ飛ぶ。

 余裕ぶっているようだが、そこはもう私の間合いだ。

 垂れ下がる風船の残骸を手に、女は少しだけ眉尻を下げ、悲しげな表情を浮かべた。


「ゾウさんのほうが良かったかな?」


 小首をかしげる不死者の戯言に、これ以上耳を貸す理由はない。

 さらに踏み込み一気に距離を詰めようとした私は、不意にバランスを崩しポリバケツに突っ込んだ。


「そう怖い顔ばかりしてちゃダメよ。楽しむことを忘れたら、人生なんてあっという間なんだから」


 両側の建物の壁を蹴り屋上へと消える女。

 ゴミの中から振り向いた路上には、私の右足首が残されている。

 向こうもとっくに間合いの中だったってことか。舐めていたのは私のほうだ。


 ヴリコラカスが落とした風船の残骸を握りしめ、断ち切られた足首が繋がるまでの間。

 私はゴミと屈辱に塗れ、すえた匂いの漂う路地裏にただ蹲っていた。


        §


 組織に報告を上げると、その不死者はヴァルコラキと呼ばれる特別な存在だと知らされた。

 月や太陽を喰らう強大な吸血鬼。いにしえの錬金術師の成れの果て。

 10倍どころか、私の100倍以上生き続けている存在らしい。

 組織からは最優先で処分するよう指示を受けた。


 ヴァルコラキとはそれから何度も遭遇することになる。

 この街に居ついたのか。ならば、私の手で借りを返すチャンスがあるということだ。


 似顔絵描き。

 ジャグリング。

 ギターの弾き語り。

 会うたびにヴァルコラキは人を集め芸を披露していた。ふざけているのか。

 その度ごとに私は人払いをし、奴を始末するのに都合がいい場所まで誘導し尾行しなければならない。


        §


「今日も来てくれたの? ご苦労なことね」


 雑居ビルの屋上から、夕暮れる街を見下ろしていたヴァルコラキは、友人面で私に缶コーヒーを差し出した。

 先程の大道芸で、見物人から貰っていた差し入れの品だ。

 物も言わずに缶を払い落とした私の右手は、その瞬間手首から斬り落とされた。


「食べ物を粗末にしちゃダメだよ」

「人食いが! おためごかしで物を言うな!」


 何度くらってもヴァルコラキの攻撃は見切れない。

 分かるのは私の得物の一つである、組織特製単分子ワイヤーより早く鋭いということだけだ。

 ヴァルコラキは眉尻を下げ、落ちている私の右手首を一瞥すると、隣に転がるコーヒーの缶を拾いプルタブを開けた。


「なるほど。それなりの再生能力はあるみたいだね、ホムンクルス。いや、人造の吸血鬼ハンタークルースニクか」


 私の右手はすでに掌まで再生している。だが能力の差は歴然。何度やっても結果は同じだろう。

 ひと息でコーヒーを飲み干したヴァルコラキは、無言で睨み付ける私に、憐れむような視線を返す。


「2000年掛けて、ようやくわたしの研究成果の一つに追い付いたって感じだね。当ててみせようか? 君は再生能力が桁外れなだけで、寿命はむしろ人より短いんでしょ。寿命でしか死なないが不死じゃない。おまけに上の言いなりで、勝てもしない相手にまとわり付く。まったくやれやれね。わたしに言わせりゃ、キミなんかまだまともに生きてすらいないよ」

「黙れ!」


 いつもは聞き流す不死者ヴァルコラキの戯言が、何故だか今日は酷く癇に障った。

 再生した右手指を含めた十指で操るワイヤーは、空になったコーヒー缶だけを細切れにした。

 だが、ヴァルコラキには傷一つ付けることすら叶わない。

 否、切り裂いた刹那にもう再生を済ませているのだ。


「やれやれ、キミはそればっかだな。他に楽しいことないの? たとえばさあ――」


 ため息まじりで懐に手をやったヴァルコラキが不意に動きを止めた。

 つかみ損ねた風船や空気入れがこぼれ落ちる。


「私の役目は足止めだ。……いや、足止めが発動するまでの時間稼ぎ。それだけだ」


 陽光。

 流れ水。

 聖別された法具。

 散らばる芥子ケシの種。

 不死者の弱点を魔術的に組み合わせた結界が、屋上の床一面に広がっている。

 不死者を見分け仕留める能力を持つのは、私のような吸血鬼ハンタークルースニクに限られるが、組織の力を使えば街中の何ヵ所にも罠を仕掛けることができる。


 大きく目を見開いたヴァルコラキは、無限に増え続ける芥子の種を数えるのに忙しい。

 一度認識した以上、望むと望まざるとに関わらず、そうせざるを得ない。不死者の習性ならいだ。


 同時に結界の効果は、不死者と同じ特性を持つ私に対しても容赦なく襲い掛かる。

 ヴァルコラキには足止め程度の効果でも、私にとっては命を削るほどの攻性だ。間違いなく、奴より先に私が滅ぶだろう。


「……何故芸人なんかの真似ごとをしていた? 私みたいな狩人ハンターに対する挑発か?」


 痛みと脱力感に襲われ座り込んだ私は、散らばる風船の中、俯き立ち尽くす不死者に問い掛けてみた。


「……人を楽しませるのがわたしの食事だからね。殺して喰うような非効率ではしたない真似をしたのは、人であることを捨ててから100年ほどの間だけよ……」


 脳の処理能力の大半を阻害されているヴァルコラキは、どこか間延びした調子で応えた。


 不死者ヴリコラカスが喰らうのは人の生命力。

 血を啜り肉を貪るのは下位の不死者だけで、高位の存在は生命力を直接奪うことができるとされているが。


「感情を……食っていたのか」

「……薄く、広くね。それなら誰も殺さずに済むでしょ。……研究を続けるために求めた不死の身体だけど、いざ手に入れるとその熱意は綺麗さっぱり無くなっちゃってた。以来、死ぬこともできず、ただ時を空費し存在し続けてる……」


 思い返せば出会ってから一度も、私はこいつが人を襲う姿を見ていない。

 特別な不死者の一体が居付いたというのに、この街での犠牲者の報告は皆無だった。

 完成した不死者であるこの女ヴァルコラキは、人という種が存続する限り、永遠に在り続けることすら可能だろう。


「……キミに話し掛けたのは、何も産み出せない惨めな似たもの同士、少しは話が合うかと思ってね」


 全くもって馬鹿らしい。

 それなら何故、組織はこいつを追わせた?

 何故、私はこの女に執着した?


 滅びに向かう私が胸に抱いたのは、ただ酷い虚しさだけだった。

 危険な討伐対象だったはずの存在が、全くの無害であったという皮肉からか。

 この女の過ごした2000年にも及ぶ時間が、あまりに空疎だと識ったからか。

 あるいは死に向かう身に当然の生理反応である痛みと虚脱感に、無理に意味を求めた結果なのかもしれない。


 使命を果たせぬまま私はここで死ぬ。

 結界の効果で足止めされたヴァルコラキが、このまま捕獲され処分されるか否かを見届けることさえなく。


 ふと、ヴァルコラキの足元に転がる空気入れが目に映った。


 キリンの風船。

 私が手にするはずだったそれは、私自身の手で壊し、路地裏に捨て置かれたまま。


『ゾウさんのほうが良かったかな?』


 馬鹿にするな! お前にできるなら、私にだって――



「生きてみたいと思ったのかい?」



 濃くくらい、くろに近しい紅の瞳。

 サングラスを外したヴァルコラキが、しゃがみ込み私に目線を合わせている。


 私が命を懸けても、こいつには足止めさえ叶わないというのか!?


 最後の力を振り絞り、ワイヤーを放つべく無理やり持ち上げた左手を、ヴァルコラキは右手の指を絡め封じる。

 折れるほど強く握られた掌に、鋭い痛みを感じ振り払う。

 掌の真ん中に、ヴァルコラキの瞳と同じ濃紅の石片が刺さっていた。


「……無様に生きて汚れてみなよ。そんな在り方も……そう、悪いもんじゃあ……ない……」

「おい! お前、いったい私に何をした?」


 倒れ伏した不死者ヴァルコラキが、灰の山に成り果てるまでの僅かの時間で、私はヴァルコラキの研究成果である賢者の石ごと、奴の記憶と経験、それに永遠の命を引き継がされたことを悟った。


「クソッ! ……クソがッ! 何考えてやがる! とんだ嫌がらせだッ! 頼んでないぞこんなこと!」


 押っ取り刀で駆け付けてくるはずの組織に、追われる立場になり果てたと理解した私は、掻き集めた風船と空気入れを握りしめ、薄明の街へ駆け出した。


 この先どうするかは、逃げながらでも考えなければならない。

 幸いなのか残念ながらなのかはまだ分からないが、私には時間だけは腐るほどあるのだから。


                                END.

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不死と非生 藤村灯 @fujimura

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