6-3
「俺の話は終わりだ。以上だ」
拍手をもらった。全員手を叩いている。
「辞めてくれ、辞めてくれ。拍手なんて、そんな。さっきも言ったが、そんなに褒められた人生じゃなかったんだ」
「いや、久くんは頑張ったよ。頑張ったんだよ」
「天……」
「夢を叶えて、プロになったなんてすごいじゃないか、さすが転校生だね」
「遥楓……」
「私もすごいと思う。努力の賜物だよ。だって、ずっと努力したんでしょ。そしてプロになって、実績も残して。それは、結末が悪くても、褒められることだよ。けなされることじゃない」
「朱音……」
「まあ、頑張ったんじゃない。私野球とかわからないから知らないけど……」
「榊原……ありがとうな」
「久くんは、今どう思ってるの」
「今、か。そうだな、暴力は良くなかった。何があってもやっちゃいけなかった。俺はそう深く思うよ。あと、やっぱり野球をやれるならやりたい。あんな事して、なにを今更って思うけど、野球は嫌いになれないよ。好きでやってきたことだから。それと、今はここでの生活を楽しみたい。普通とか普通じゃないとか、そんなのは良くわからないけどさ、学生生活ってまともにやってなかったから。ちゃんとやってなかったから。せっかくの機会だから、きちんと学生やりたい」
「そっか。じゃあ、一緒にやろう!」
それからその場は解散になった。俺はカバンを持って外に出た。俺は校庭の見えるところで、正確には体育館の横の入口のところに腰掛けて空を見ていた。
それは夏だった。とても夏だった。
空には雲ができていた。その夏雲は大きくて、どんどんと増えて巨大化している。その中にまるで嵐でも抱えているかのような、そんな大きさだった。大きくて雄大で、とても見上げるような、もくもくとしたくもは、それは悠然と見下ろしていた。
途端、山なりに、なにか飛んできた。思わず手にする。それは馴染みのある、懐かしいものであった。
「やあやあ、久くん。キャッチボールしようぜ」
「天、お前どこから……うわっ」
グローブも投げてきた。俺は慌ててそれを掴む。俺はそれをよく見る。随分と古いグローブのようだ。一体どこからこんなものを。
「廃校になる前に使われていたやつみたい。少しボロいけど使えるしょ。さあ、やろうやろう」
「やろうってキャッチボールしたことあるのか……?」
「ない。ないけど、やろう」
大丈夫かな。
一定の距離を取り、離れていく天に対して俺はボールを握り、軽く投げた。
……ポトリ。ボールを一度はキャッチするもファンブル。落としてしまった。エラーである。
俺はグローブを振って、投げて返すように示す。天は振りかぶって、なんのマネか投げてきた。
ぽすり。
意外と良いボールが来た。なんだ、できるじゃないか。俺は同じく軽く投げ返した。今度は取れた。大喜びである。また振りかぶる。俺はそれを受ける。大したボールじゃない。しかし、きちんとコントロールして投げてはいる。俺は少し楽しくなって、きちんと投げ始めた。
天はボールを取れるようになってきた。取れずに落とすこともあるが、しかしきちんと投げ返してくる。それはコントロールが良い。キャッチボールだから球速はないが、しかしグローブめがけてきちんと投げてくる。それはとても気持ちの良いキャッチボールだった。
それにしても暑かった。
暑い中少しでも体を動かすと汗が出てくる。じわじわと暑く、午後の夕方だって言うのに、全然涼しくなかった。これはたぶん、俺がさっき野球をしたいと言ったから、始めたことなのだろう。遥楓にでも聞いて、野球道具を倉庫から引っ張ってきた。そんなところだろう。気を利かせやがって、あいつめ。
しばらく投げ合っていた。お互いに普通に投げて、普通に取った。ボールの取る音だけが響いた。バン、バン、という音が。乾いた音だけが心地よく響いた。
それから、俺がボールを取ったときだった。天がしゃがんでいる。それはまるでキャッチャーのように構えていた。それはキャッチャーミットじゃないぞと、大丈夫かと言いたかったが、少し遠かった。
「大丈夫かー。無理すんなよー」
「来ーーーい」
あいつ。俺が腐っても元プロだと、分かって言ってるのかな。最大はでずとも、一球でもそこそこは出せるぞ。やっぱ適当に軽く投げとくかな、あんまり無理に投げて顔にあたったりしたらやばいしな。マスクとかつけてないし。
「来ーーーーい」
どこから持ってきたか、キャッチャーマスクを持ってきてつけた。どうやら本気らしい。それなら、……やってやる。どうなっても知らないぞ。
俺はフォームを構える。心を落ち着ける。ぐっと、集中する。間違っても暴投したりしないように、ただど真ん中ストレート。それだけを、一球を投げるだけ。
振りかぶって、いつものフォームで、投げた。直球はど真ん中、構えたグローブの中に。
あれは痛いだろうなとおもいながら、俺は天の元へかけていった。
※ ※ ※
「痛かったよー」
「全く無茶をする。ミットで受けないからだ。探せばあったんじゃないか」
「わかんないよ、グローブとの違いなんて」
「形が違うだろ、こう少し大きい」
「まあ、でも行こうと思えばいけたね」
「ばかいえ、あれは百四十も出てないよ。本気出したら五十以上は出る。お前じゃ取れないよ」
「まだ速くなるの? さすが、ホンモノは違うね」
「仮にもプロやってたからな。腐ってもさ」
久々だった。野球をしたのは久々だった。仮にも、少しでも本気で投げたのはいつ以来だろうか。まだ、投げられるんだなと、そう思った。俺は自分を失ったものだとばかり思っていたから、自分にまだ残っているだなんて、思っていなかったから。
「天。ありがとうな、楽しかったよ」
「そ。なら、いいけど」
「今度さ、本当にバイク行こう。後ろに乗せてくれよ。すぐにはたぶん、買えないからさ」
「本当に?」
「ああ、お返しじゃないけど、ほら今度夏休みあるだろ。短い二週間ぐらいのやつ。それでどこか長い直線とかを走ろう。久しぶりにそういうのもいいかなって、思えた。本当に、天のおかげだよ」
「私は、大したことは。それこそ、みんなの過去のことを聞いてくれたのは久くんじゃない。理解者がいるって嬉しいものなんだよ。だから、私こそありがとう」
「それは、天に言われたから。頼まれたからみたいなところがある。俺は、何もしてないよ。俺こそ、何もしていない」
本当に、俺はなにもできていない。この学園に入ってからは何もしていないんだ。みんなの話を聞きはしたが、いろんなことを知ったが、しかし、本当のことはなにも知らない。心の奥の、本当の心は、わからない。知らない。しかしそれで良いんだ。本当のことは喋っちゃいけない。他人には誰にも自分の事は分かりはしないんだから。自分のことは、自分にしかわからないんだから。過去のいろんなことは知ったが、彼女達が現在なにを考えているのかなんて、それはわからないままなんだよ。だから俺はなにもできていないし、何もしちゃいない。
夏は暑いまま平行線に日を重ねていく。夏の影が長くなる時間。灯台の下にはきっと、今日も夏の花が咲いていて、そして彼女がいる。寮では夏の音を奏でている彼女もいるかも知れない。夏の風を待っている彼女も。隣には夏の空を見ている彼女がいる。夏の雲に思いを馳せる俺を含めて、この夏という季節は今日もまた過ぎゆくのだった。
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