04夏風 ー榊原涼ー
4-1
榊原涼。彼女は小さな女の子で、小さな動作をする、小さな女の子という印象である。二十歳。一年生であるらしく、俺より数ヶ月前に、つまり夏ではなく春に入学してきたらしい。
「私はあの子のことあまり詳しくないのよ。本当に知らないの。趣味とか、好きなこととか、好きなモノとか、何が嫌いで苦手かとか、そういうことがわからない。頭は悪くないと思うわ、質問にも的確に答えているし。少し反応が遅いところがあるかもしれないけど、それは性格みたいなものじゃないかしら」
天から聞いた情報はそんなところだった。この間の飲み会の時も、あまり飲んでいなかったし、あまり喋っていなかったように思う。おとなしい性格というか、そういうものなのだろうか。
俺は彼女が一人でいるところを見計らい、話しかけた。
「なあ、榊原ーー」
つーん。
席を立ち上がりどこかへ行ってしまった。お手洗いだろうか。それではむやみに追いかけられない。
またある時。
「なあ、榊原さんーー」
つーん。
またもやどこかへ行ってしまった。気分屋なのだろうか。それではむやみに追いかけられない。
「やあ、榊原ーー」
つーん。
またまた、またもやどこかへ行ってしまった。どこへいったんだ。少し探してみるか。すると、教室のドアのすぐ裏にいた。張り付くようにして。ヤモリのようである。
「なにしてんだ、そんなところで」
「うるさい。ほっといて」
「なあ、榊原。できればちょっと話をしたいんだが」
「話すことなんて無い。ほっといて」
「そ、そうか。じゃあ、また今度な」
俺は自分の席に戻る。天と視線があった、しょうがないね、という顔をしていた。遥楓と朱音がやってきた。
「転校生、今度は涼ちゃん口説き落としてるの?」
「いや、そうじゃないんだが。仲良くなれないかと思って」
「ふーん、転校生くんはああいう子が好みなんだ」
「いや、違う違う。そうじゃない。そうじゃなーい」
「ふーん、まあいいけど。涼ちゃんは大変だと思うよ。私達でさえ、二ヶ月ぐらいはまともに話せなかったからね」
「そうなのか? それは、相当な引っ込み思案だな……」
「じゃあね」
「またね、転校生」
いい加減その呼び方も辞めて欲しいんだが。転校してきて少し経つぞ。
授業が始まる。授業になると彼女も、榊原涼も普通に座って授業を受けている。質問されれば、受け答えもきちんとする。おどおどとした感じはない。まるで別人のようだ。別人。そう、俺はこの時のこの感覚を忘れるべきではなかった。実に正しかったのだ。あとになって振り返って見れば、そうだったのかと気がつく程度には正しかった。
俺は放課後、遥楓と朱音を寮の部屋に呼んだ。榊原について聞くためだった。ふたりは仲良しというか、仲がいいというか、だからなにか知っているようでもあるようだったからだ。
そこは暑い部屋だった。俺はクーラーをつける。クーラーがフル装備とは、新しい施設なだけある。なかなか快適だ。ありがたい。
俺はベッドに腰掛けて二人に言う。
「まあ、適当に座ってくれよ」
二人は、床に座った。女の子を地べたに座らせるというのは、しかしそれはどうなのだろうと俺は一瞬思った。それは良いのか、礼儀として良いのか。良くはないよな、良くない。どうする。しかし、椅子は机に備え付けられた回転椅子一つのみ。ベッドを譲るというのも、それはそれでどうなのだろう。ベッドに女の子を座らせる。それもそれで、良くないんじゃないだろうかと、そう思う。どうしたら良い、私は、俺は、いったいどうすれば。
「転校生くん、なんか余計なこと考えてない?」
朱音が言葉を発する。
「あたしたちは、ここで良いよ。床で構わないから、転校生」
全てをわかったかのように話す遥楓。俺は少し恥ずかしくなった。
「そうか、わかった」
そして聞いた。
「じゃあ、さっそくだが。榊原涼の過去を知っていたら、教えてくれ。もちろん、他人の秘密を容易く話してほしいとは思っていない。いないがしかし、ある程度俺を信用して、信頼してくれるのならば、できれば話してほしい」
「涼ちゃんの過去? あっ、私も聞かれたやつ。私も話したよね、転校生に私の過去」
「私も聞かれたー。話したな、少しだけど」
「ああ、ふたりとも聞いた。だから、ふたりのことを知ることができた。俺は少しは仲良くなれたと思う。俺は榊原とも、できれば仲良くしたい」
それを聞いて遥楓が話す。
「うーん、涼ちゃんの過去か。なんだろう、中学からずっと引き籠もっていたとか?」
「ちょっと、遥楓」
「あはは。でも、転校生が聞きたいことはそういうことなんじゃない?」
「ああ、それは知りたい」
ほらね、と、遥楓は朱音にウインクして見せる。
「涼ちゃんはね、中学の途中からずっと引きこもりだったらしいの。だから高校にも行っていないし、大学なんてそれこそもちろん行ってない。働いてもいないし、引き籠もりを十七、八年くらい。ずっと。何でこの学校に来たのかは分からない。理由も話してくれたことはない。でも、普通の学校生活をしてみたかったって、言ってくれたことはあるよ。ここにいる三人と同じ理由。普通を求めて。そんなところかな」
朱音も話し始める。
「涼ちゃんは学校に来ているときは活発なの。明るいと言うか、話もたくさんしてくれる。でも、寮に帰ると部屋から出てきたことは殆どない。買い物も通販が多くて、良く届いているよ。まるで人が変わったかのような感じかな」
人が変わる? あれ、どこかでそんな話を聞いたような。聞かなかったような。
「なるほどな、ふたりともありがとう。彼女、なかなか話してくれなくて、人見知りなのかな」
「あとは、担任の先生に聞くのもいいかも。なんか、お世話というか、面倒見ているような感じだったから」
担任? 教師か。稲葉秋、だったっけ。名前。
「ああ、わかったよ。聞いてみる」
その日はそのあたりで解散となった。
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