4-2

 俺は翌日の放課後、担任の稲葉秋のところを訪れていた。



 榊原のことを担任に聞いたら、それならちょうど頼むことがあると言って放課後に呼ばれたのだった。




 職員室はガラガラだった。机はあるがその殆どに物は置かれていない。ライトスタンドすらない。奥の方の一つだけ書類が大量に重なっていて、そこが担任の机であることがひと目でわかった。俺は一礼して職員室に入り、奥の席まで向かった。



「どうぞ、座って」



 俺は丸椅子を一つ差し出されて、それに従うように座った。



「それで、教えてくれるんですか」


「いえ。プライベートなことはちょっとね。そういうのは、教えるのは難しいかな」


「そうですか」


「その代わりに、これをお願い」


「……プリントですか?」


「そう。渡し忘れちゃって。でも先生忙しいから。渡せなくて」


「わかりました。では、渡してきます」


「お願いします」



 俺はプリントの入った封筒を手にして、職員室をあとにした。その廊下で、俺はこっそりプリントの中身を見た。そこにはなかなかなことが書いてあり、衝撃も少しあったが、理解もそこにはあった。



 俺は踵を返し、職員室に逆戻り。ノックして一礼して再び入る。




「先生、プリント間違えていましたよ」


「あら、ほんとう? いけない、うっかり、うっかり



 うっかりではあんな内容のものを渡したりしないと思うのだが。



「じゃあ、これが本当のプリント。今度は間違いなく連絡事項のやつよ」


「ああ、わかったよ、先生。渡してくるな」



 俺は遥楓経由で手に入れた榊原の連絡先に、メッセージを送った。プリントを届けると。



 俺は学校を出た。




 その日も暑かった。うだるような、うなだれるような暑さだった。空は今日も遠く、青が薄くなるほどに青くて広かった。夏の風が、小さく小さく、通り過ぎるように吹いた。風は空気を動かして、こんな暑さでもいくらかマシな気がするようなほどに、逆に言えばその程度に夏風は吹くのであった。そういうものなのだろうと、そう思って寮へと帰っていった。




 寮へ着くと、自分の部屋に自分の荷物を置いて、そして封筒とスマホを持って下の階に降りる。奥へ向いいくつか部屋がある。なにも知らないと迷いそうになるな。部屋を聞いておいて正解だった。



 彼女の部屋の前に立った。俺はノックをする。返事はない。ノックをする。返事はない。俺はメッセージアプリを起動して、メッセージを送り始めた。部屋の扉を背中にしながら、探るように、探すように。




〉プリントを持ってきた。開けてくれ


〉置いといて


〉担任から直接渡すように言われている。それを確認しないといけない


〉いいわよ。置いといて




 俺は仕方ないか、と思った。俺は紙と一緒に封筒の厚さを確かめて、扉の下の隙間に滑り込ませた。



〉どうも




 彼女からメッセージが来てしばし。少し待つことしばらく。



〉どういう意味、これ?




 食いついた。俺は嘘偽りないように、間違いないようにメッセージを書く。




〉榊原、病気なんだってな。それはなんというか、大変だな。俺で良ければ相談でもなんでも乗るよ。


〉うるさい。あんたに何がわかる


〉そうだな、榊原が病気だということ。躁鬱病、双極性障害というのか。そういう状態だということは、客観的に分かる


〉誰に聞いた。誰が喋った


〉自分で調べた。最近の趣味なんだ。他人の過去を調べる探偵みたいなやつ。俺の諜報力なめるなよ、何でも調べてみせるぞ


〉最低。余計なことするな


〉昼間は、授業を受けているときは、あんなに明るいのにな。でも、仕方ないよな。病気ということは、そこに自己意思はない。自分の意志じゃないんだろう。病気のせいなんだろう


〉それは、分からない……


〉分からない?


〉自分が自分で分からないの。だから嫌なのに


〉俺は転校生だ。まだ身内でもない、仲間でも友達でもない。他人だ。だからこそ、話してくれないか。ドアは開けてもらえないか


〉なんで、そこまで


〉仲良くなりたいから。せっかくクラスメイトになったからな。俺にとって最初で最後の普通だから


〉最後の普通?


〉メッセージじゃあれだな。ほら、やっぱり話せないか



 メッセージが途切れた。そして唐突に。



「うわっ」



 後ろの扉がなくなった。開いたのだ。俺は慌てて手を付きそして振り返った。そこには榊原涼が、たしかに居た。




 俺は慌てて「失礼します」と入った。



 彼女がベッドにダイブするので、俺は床に正座した。なんで? なんで、正座した?



「話の続きは」


「あ、ああ。ええと、どこまで話したっけ」



 俺はメッセージアプリを確認する。



「ああ、普通の話か。ええとほら、俺はさ、この学校には普通の生活を、普通の学生生活をしたくて、それで転入と言うか、編入か。それを希望したんだよ。それもこの三年間、残り二年半か。それが終われば俺の普通は終わってしまう。青空高校での三度目の夏が来た時、俺の普通は終わるんだ。長くて短い、だから、最初で最後の普通」


「ここなら、普通に過ごせるの?」


「少なくとも、俺と榊原が仲良くなれば、普通の友達としてやっていくことはできるだろうよ。普通の学生生活を、送ることはできるだろうよ」


「わたし、私はね」



 彼女は上体を起こして、俺の方を見て言った。



「朝起きるとなんでも無いんだ。何もない。だから、学校に行く。学校では授業受けるだけだから、それだけでいいから良いんだ。でも、午後になると、午前中いろんなことが起きたから、いろいろと起きるから、とても混乱する。そして昼休みが終わると死にたくなってるんだ。涙が、悲しくないのに涙が流れて、泣いていて、自分は一人だと思って、生きてる価値あるのかなってなって、無いかもしれないってなって、死にたくなるんだ。死んでしまいたくなる。そして夜眠れなくなる。全く寝れないの。そこで薬を飲んで、無理やり寝る。薬は飲むと寝れるから安心する。逆転して、薬が安心すると思っちゃう。なんでも無いのに飲んでしまう事があったりした。それは良くないことだって先生に、医者に言われたから今は我慢することが多い。寝るときだけ。あと夕食の後に精神安定剤、みたいなのを飲んでる。薬でなんとか普通の生活をしようと、なんとか生きようとして、でも同時に死にたい自分がいるからよくわかんなくなっちゃって。普通って、なんだろうって。何なんだろうって。そうやって寝て起きたら、また何でも無いんだ。その繰り返し。私に普通なんて無い。異常を繰り返して、無理やり普通に戻そうとしている。そしてそれは誰も理解してくれない。わかってくれる人は、本当にはいない」


「そうか。そうだったのか。話してくれてありがとう」



「……何で泣いてるの」



 彼女に言われて初めて気がついた。俺は泣いていた。なにしてんだろう、なぜ泣いているんだろう。



「俺、今の話で思ったよ。やっぱり普通に生きるって難しいなって。生きるって大変だなって。俺もさ、普通じゃないんだよ、やっぱり。普通だと思い込みたいだけなんだ。結局過去は引きずるし、尾を引いて付いてくる。どこまでいっても、それは普通の真似事で、模倣でしかなくて、普通の生活ではないのかもしれない。でも、取り戻したいんだ、俺も。俺も普通の生活を取り戻したい。そう、思うよ」


「普通じゃないんだ」


「ああ、普通じゃない」


「でも、普通に生きていきたい」


「ああ、普通に生きていきたい」



 彼女はそれ以上質問してこなかった。俺も質問しなかった。彼女は受け取ったプリントを眺めていた。そしてそれを俺に渡してきた。中身は心療内科で渡された診察内容、経過内容であった。担任向けに作られた紙で、本来は担任が持っているべきものなのだろう。それが彼女のところにある。彼女の意思かどうかは分からないが、毎回見せてもらっているのか分からないが、そういうものが今ここにある。それは事実だった。あの担任のことだからコピーを取って、コピーを渡したのだろう。よく見ると印字がかすれている。俺はそれを返すと、



「頑張れよ。あと楽しもうぜ、学校生活」



 「じゃあな」と、その部屋を後にした。ドアを閉めると、目の前には、俺のその向かいには天が居た。ドアを背にして廊下に、榊原の部屋の向いに立っている。そうか、ここは天の部屋だったか。



「やあ、天」


「やあ、転校生探偵。ちょっと外でも行く?」


「ああ」



 俺は彼女に連れられて寮の外へと向かっていくのだった。

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