3-2
「どうぞ」
「おじゃまします……」
そこは杉谷朱音の部屋だった。寮の部屋だった。俺の部屋が階段上がってすぐの隅の部屋ならば、彼女は一番窓側の隅の部屋だった。二人きりで話せる状況でありたいとは思ったが、それがまさか個人の部屋とは。
部屋に入ってすぐ目についたのは楽器だった。ギターだ。エレキギターとアコースティックギターが一本ずつ。近くに手のひらサイズのミニアンプと、エフェクターケース。
「マーティンとフェンダーのストラトか」
「へえ、分かるのかい」
「知り合いにバンドやっているやつがいてな。それでいろいろと教えてもらったことがある。ライブもプロからアマチュアまで、色々と見に行ったことがある」
それから、俺はいくつか好きなプロのバンドの名前をあげた。
「あ、私も。いいよね、そのバンド」
「そうか、朱音も好きか」
そんなところで話が合うとは思わなかった。趣味が同じとは思わなかった。まあ、俺の場合はにわかもいいところなんだけどな。
「私、プロ目指してたんだ」
「プロ?」
「そう。音楽でデビューしたくて、本気で。高校のときは音楽の専門学校通っていた。オーディション受けたりもたくさんした。商店街のシャッターを背に歌ったり、動画作って公開したり。作曲もした。いろいろやって、やれるだけやって、プロになりたくて、頑張っていたんだ」
「そうだったのか」
「音楽が好きなことは皆に話しているが、プロになりたかったことは話してはいない。だから秘密ね。これは秘密」
彼女は椅子に座りながら、俺を見てそう言った。
俺は「わかった」と嘘を言った。
「どうして、この学校に来たんだ。プロは諦めたのか?」
「それは少しお休み。目指すのは、少し疲れちゃったから休もうかなと。今までずっと、それだけ考えて生きてきた。中学生も、専門学生の時も、大学生の時も。でも、うまく行かなかった。誰も認めてくれなかった。いや、知り合いとか、動画見てくれた人たかは、認めてくれたんだろうけど、そうじゃない。私はプロにはなれなかった。私は商業的には、向いてないと言われたようだった。そんなときだった」
青空高校から、連絡が来たのは。
「最初は動画見てくれた視聴者だと思った。あとから聞いたら、遥楓は動画を見てくれた視聴者だった。『普通の学校に通いませんか』って、そう言われたんだ。そう招待されたんだ。そう言われた時、私の今までは普通じゃなかったんだと、そう思ったんだ。普通ではない、でも、特別でもない。特別にはなれなかった。普通にもなれなかった。そしたら自分は何なんだろうって。分からなくなった。そしたら疲れちゃって、プロ目指すの、頑張るの疲れちゃって。だから受けることにしたの。高校の話。せめて普通になろうと。それからでもプロは目指せるはずだと思って。そう、信じて」
俺はその気持がよくわかった。俺も中学からいや、小学生からずっとプロを目指して、高校も勉強しないでずっと目指していた。一筋だった。それがなくなった時の喪失感は、酷いものだ。よく分かる。
「わかるよ、その気持ち。俺も似たような境遇だった」
「そっか。そしたら、転校生くんも、ええと、矢澤くんも普通になりたくてここに?」
「ああ、その通りだ。普通を求めて、普通の高校に」
彼女は少し笑った。そうか、そうかと。
俺も少し笑った。そうだ、と。
「なあ、とてもさしでがましいお願いなんだが、一曲お願いできないか」
「ええ? やっぱり?」
彼女は嫌そうではなかった。求められるのは、嫌いじゃないのかもしれない。この寮の女の子にも求められたことがあったのかも知れない。
アコースティックギターを手にして、彼女はチューニングを始めた。俺は適当なところに座る許可を得て、座ってそれを眺める。
やがて歌が始まる。軽いエイトビートのストロークに、ローコードのコード進行。歌詞は星の話だった。星を見る少年と少女の話。そういう言葉たち。そういう歌。
拍手喝采。まあ、拍手しているのは俺一人なのだが。
「良かったよ。少なくとも俺にはとてもうまく聞こえた。お世辞じゃなく」
「そっか。ありがとう」
「ねえ、なんで私のことなんか、私についてなんか聞いてきたの?」
「なんで、なんでってそれは」
森本天青からの依頼だとは言えない。依頼人の名前を出すほど、俺は愚かじゃない。
「ほら、互いなことを知るとお互いに仲良くなるだろう。俺は転校生だ。相手のことは何でも知りたがるものなのさ」
「ふぅーん。じゃあ、転校生くんのことも教えてくれるの?」
「それは、それはーー」
それはとてもつまらない話になるだろうと、そう思った。とてもとてもありきたりで、良くある話で、それでいてつまらない。人に話すような話じゃない。
「そのうち話すよ。たぶんきっと、みんなの前で話す。そういう機会が来ると思うからさ」
「ふぅーん」と、彼女は面白がるように、退屈ではないかのように俺に返事をした。
「じゃあ、楽しみにしているよ。その時を」
本当に、楽しい話にはならないだろうなと思いながら、俺はそろそろ、と言って部屋をあとにすることにした。
「今日はありがとう。明日からもよろしく」
手を振る彼女を残して、扉は閉められた。
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