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 翌朝。パンを頬張りながら、俺はスマホのネット記事を見ていた。時事に関しては、世界、日本を問わず知っておきたい事だらけだったので、こうして毎日欠かさずチェックしているのだった。言うても、俺が俗世間からしばらく離れて、特殊な環境に身を置いていたから知らないことばかりであったというのも、それもまた事実である。



 今日は昨日の今日で休日。土曜日である。昔は土曜日も半日授業があって、ハンドンなんて言われていたらしいが、今の時代では学生は完全週休二日制なのだ。まあ、部活ばかりの日々だった俺からすると、休みの日が休みだというのが、なにかおかしい気がしてならないわけだが。そわそわとしてしまうのだが。



 俺は朝食を済ませると着替えて準備をして走り始めた。走り込みは運動の基本だ。俺にはもう必要のないことかもしれないが、しかし、習慣となってしまっているのもまた変わらぬ事実だ。俺は近所周辺を知る意味でも、散策する意味でも、体力の意味でも、朝から走ることにした。



 学校まで走って来た。まだ体力も時間もたいして使っていない。スマホで調べた事前情報では、少し北の方に灯台があるらしかった。その当たりまで行ってみようと、そう思った。



 走る時、走っているときは、息が詰まるような、息があがってきて胸のあたりまで来るような、そんな感覚になる。誰でも走ればそうなるんじゃないかと思うが、極普通のことだと思うのだが、しかし誰かにそれを聞いて確かめたことはない。本当にそうであるか確証はない。俺だけなのかもしれないし、人類皆そうなのかもしれないし、特別な環境の、体格の人だけなのかもしれない。さて、本当のところはどうなんだろうな。




 灯台についた。灯台の周りの道には『はまなす』の花が咲いていた。赤い花だった。とてもとても赤い。五弁の花弁をつけており、低木に足元の膝くらいのところに咲いていた。調べたことがある。『はまなす』は晩夏の季語でもあると。俳句か。俺の趣味には全く持って折り合わない趣味だな。縁もゆかりもない。たまには詠んでみても良いのかもしれないが。



 俺はそのうち、灯台の下に座っている人がいるのを見つける。その人影は見知った人であったので、やや躊躇ったが、それでも挨拶をすることにした。無視をするのは良くない。俺はこの学校でうまくやっていきたいのだから。普通に暮らしていきたいのだから。



「上沢、こんなところでなにしてるんだ」


「! うわっ! ……びっくりした、なんだ、転校生か」


「すまない、上沢を驚かせるつもりはなかったんだが」


遥楓はるかでいいよ、転校生。一応私が二年生で上級生になるんだろうけど、歳は転校生が二つうえだし。良くわかんないから、呼び捨てでいいよ。私も転校生って呼ぶから」


「いや、俺の名前は矢澤久というのだが」


「それで、どうしたの転校生。こんな朝早くに」



 俺は名前では呼ばれないのだな。残念だ。呼ばれるように、努力しよう。



「ランニングだ。地域散策を兼ねて走ってきた。遥楓も散歩か」


「まあ、そんなところ。ここは海が見えるし、花も咲いているし。綺麗で心落ち着くんだ。だから良く来る。まあ、なんの花かは知らないけど」


「『はまなす』の花だ。夏に咲く赤い花の低木。俳句の夏の季語にもなっている」


「へえ、詳しいね。転校生」


「たまたまだ。『道』の花だから、『はまなす』は。逆にここまでこの場所に群生しているとは、それこそ知らなかった」



 風が吹く。海が見えて、波の音が聞こえて、潮風が体にあたる。ここは、ここだけは夏の暑さを忘れられる。そんな気がした。




「私、そろそろ帰るね。じゃあまた、転校生」


「じゃあな、遥楓」



 俺は遥楓がここでなにを考えていたのだろうかと、俺はそれを考え始めて、周囲を少し探索して痕跡を見つけた。








 ※ ※ ※









 しばらく周囲をランニングしてから、俺は帰った。寮の入り口に掛けられている札を「外出中」から「在宅中」に変えた。



「あら。おかえりなさい、久くん」


「ああ、ただいま、天」


「ランニング? へえ、いつもやってるの?」


「ああ、毎日走っている。休みの日も、学校のある日もだ」


「偉いねぇ。私も走るかなぁ、少しお肉気になるし」


「俺は本気で走るぞ。付いてくるなら覚悟するんだな」


「そ、そうかぁ。それは、大変だね」


「なあ、天」


「なに?」



 俺は水を一口飲んで聞いた。



「ランニングすると、走ると胸がつかえるような、息苦しくなるようなことはあるか。息が上がるというか」


「え、まあ、普通はそうなるんじゃない?」


「そうか、普通はそうなのか」


「なに? 久くんはそうならないの?」


「いや、なる。息が上がる。しかし、他人がどうなのかは知らなかったのでな。聞いてみた」


「……ふぅん。いや、なんかやっぱり」


「なんだ」


「少し変わってるよね、君」




 

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