第7話 天国から地獄
何故だ。何故、戻ってきたのだ? アメリカへ旅行に行ったのではないのか。
「しかも玄関、鍵かけてなかったし。泥棒に入られたらどうするの?」
と、やや怒った母親の声。
「そう怒るなって。誰にでもミスはあるさ」
と、全く悪びれた様子のない父親の声。
どうやら、出発時間を間違えたらしく、戻ってきたようだ。
ほとんど床に這うような体勢で手すりの隙間から1階を覗く。4人は荷物をリビングスペースの床に置くと、それぞれ違う方向へ歩き出した。
「私、自分の部屋で待ってる」
「僕もー」
2人の子供の大きな足音。その足音は階段の方へ移動する。
再びパニックに襲われる。俺は振り返り、主寝室のドアを開け素早く中へ入ると、静かにドアを閉めた。
呼吸が荒くなり、全身から脂汗が噴出する。天国から地獄へ突き落されたような気分だった。さっさとこの主寝室へ移動し、貴金属や宝石を見つけていれば、住人が帰ってくる前に外に出られていただろう。
どうすればいい。混乱で何をしたらいいかわからず、その場を行ったり来たりする。
ふと、東側に窓が見えた。
素早く移動し、窓を開け、下を覗いた。高さは4メートルほどあり、下はコンクリートになっていた。
ダメだ。この高さから飛び降りたら無事では済まない。下手すれば打ち所が悪くて死ぬかもしれない。しかも隣家があるので住人に見つかる可能性もある。俺は窓から脱出することを諦めた。
再びドアの方へ移動する。ふと、自分の足音が気になり動きを止める。素早く動くとどうしても足音が出てしまうのだ。
俺は靴を脱ぐと、それらをバックパックに詰めた。バックパックは、ぱんぱんでもう何も詰め込むことはできない。
俺はドアに耳をつけると、廊下側の様子を伺った。何も聞こえない気がするが、ドアの厚みで音が遮断されているだけかもしれない。じっとしていたい気持ちもあるが、このまま主寝室に居続けるのはあまりにも危険すぎる。リスクを犯してでも、1階へ降りなければならない。
俺はドアの取っ手に手をかけると、そっと引いた。顔を出し、廊下の様子を伺う。廊下には誰もおらず、L字に曲がった先にある子供部屋のドアは依然として開いたままで、中からかすかに軽快なBGMのような音が漏れていた。
俺は主寝室のドアを閉めると、身を屈めながら廊下を北へ移動した。ぱんぱんに詰まったバックパックがどうしても動きの邪魔をするが、貴重な戦利品も入っているし、これをここへ置いていくわけにもいかない。
ネコ科の動物のようにほとんど無音で子供部屋の前まで移動する。南側は吹き抜けになっているし、東側には階段やもう1つ子供部屋もある。緊張とストレスで嘔吐しそうだったが、静かに深呼吸をし、気持ちを落ち着かせた。
そっと子供部屋の中を伺う。ベッドの上に男の子がこちらに背を向けた形でうつ伏せになっていた。携帯ゲームに夢中になっており、こちらに注意を向ける様子は全くない。
俺は忍者のようにドアの前を横断すると、階段の前へ移動した。もう1つの子供部屋のドアは閉まっている。
階段を降りようとした時、1階から声がし、驚愕で飛び上がりそうになった。
「ミカ―? ミカったらー」
とんとんという階段を上がってくる足音。俺は再びパニックになりかけるも、素早く振り返り、廊下の東側へ移動すると、トイレのドアを開け、中へ滑り込んだ。
中はやや広めの洋式トイレで小窓もあるが、そこから出るのは不可能だった。ドアに耳をつけ廊下側の様子を伺う。
こちらへ近づいてくる足音。続いて向かい側のドアが開く音。
「ミカ。お母さんが旅行用に買ってあげた帽子、どうして被らないの?」
「やだー。あんなダサい帽子」
「ダサくないわよ。有名なデザイナーさんがデザインした……」
母親の声が小さくなり、がちゃりというドアが閉まる音がした。その後も母と娘の声が聞こえるが、先ほどのような明瞭さや音量はない。
間違いない。母親は娘の部屋に入った上、ドアを閉めた。
2階には今、自分をのぞいて母親、娘、息子の3人がいるということになる。すなわち、1階には父親1人しかいない。今がチャンスだ。
俺は意を決してトイレのドアを開けた。やはり正面のドアは閉まっていて、中から母親と娘の声が聞こえる。俺は素早くトイレから出ると階段へ移動した。
静かに階段を降り、1階の壁からわずかに顔を出す。
右手のリビングスペースから歌声が聞こえる。どうやら父親がテレビで歌番組を見ているようだ。ここから玄関へ直接移動すれば、確実に見つかってしまう。
何も玄関から出る必要はない。確か北側に勝手口があったはずだ。
俺はリビングスペースとは逆、北側へ移動した。廊下は3メートルほど先で丁字路になっており、さきほど北東の洋室から見た通路に出た。
あった。勝手口だ。
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