Duramente_A2<荒々しく鮮明に>

「わらび餅のわらびって何?」


 ステラが何となしに呟いた疑問にルクスが、わらびの根のデンプンから作るからですよ、と答えた。


「あんな細い山菜の根っこから作るのって大変じゃない?」


「そうですね。だから今だとだいたいはじゃがいものデンプンから作ってるって聞きましたけど」


 ふぅん、偽物ってわけね。

 串で刺したわらび餅を眺めながら、ステラは言った。


「まあでも、そういう食べ物も多いって聞くけどな。個人的には美味かったらなんでもいいと思うが」


 別に本物由来じゃなくても中身が伴っていればいいだろう。大事なのは来歴じゃない。

 俺は前世のジョッキー時代に思いを馳せた。

 競馬界に何の縁もなく飛び込んだ俺は、初めの内はまあまあ肩身が狭い思いをしたものだ。

 一応のバックアップがあったと言っても、2世ジョッキーだったり親が競馬関係者だったりするジョッキーに比べると、どうしても信用されづらい面があったように思う。

 デビューして暫くはご祝儀代わりに馬質のいい馬が回ってくる慣習があり、そこで幸いにも結果を出せたのでなんとか軌道に乗せられた感じがある。そこでもし失敗していたら、少ない乗鞍に悩まされながら引退するかどうかを迷い続ける類の騎手になっていたかもしれない。


 つまるところ、運が良かったのだ。

 馬質がいいとは言ってもその日の馬場やコースに適正があるとも限らないし、展開次第ではどんなに強い馬だったとしても結果を出せないこともある。

 世間の評価ではとされていた俺だったが、だとすると偽物と本物の差など大したことはないのではないか。


 わらび餅をつまみながら似合わない大層なことを考えているな、と苦笑していると、それをステラに咎められた。


「食べてるときに変な顔するのやめなさいよ」


「ああ、いや悪い。そんなつもりじゃなかったんだが、つい」


 行儀にうるさいステラであった。イメージ通りといえばそうなのだが、親の躾と自意識の高さがいい風に作用しているのだろう。

 期待されている、といえば聞こえはいいが、ステラは自分の親のことを多少煩わしく思ってもいるようだった。

 事情もステラの思うところも聞き及んではいるが、まあ、親より早く死んだ親不孝者の俺が何かを言えるわけでもないので、人それぞれなのだと受け止めておく。


「集中して食べられないなら食べさせてあげましょうか?」


「子供じゃないんだからいいよ……」


 ルクスの提案は流しておく。

 耳ざといステラはわらび餅を咥えて口移しを敢行してくるが、いくら顔が整っているといってもさすがに間抜けすぎる表情なのでやめてほしかった。


 ステラの咥えたわらび餅を人差し指で突いて口に押し込む。

 唐突だったのでわらび餅が喉奥にまで入り込んだようで、のたうち回りながら激しく咽せている。

 それを見てルクスが指差して笑った。徐々に慣れてきたというのか、普通に性格の悪い面を見せ始めている。


 暫くして落ち着いたのか、


「……偽物だろうと本物だろうと、大した違いはないってことよ」


「喉に詰まると苦しいのは一緒ですもんね」


「そういうことじゃないわよ!?」


 醜態を晒した後だったのでイマイチ締まらないまとめ方だった。




 いい年頃なんだからケーキでも頼めよ、と思わなくもなかった喫茶店での一服が済んだので、次は遊戯施設で遊ぶ流れになった。

 二人とも節制というか、体重管理に余念がないので理屈の上では納得はしているが、意外にも俺は雰囲気を大事にするタイプだったらしい。

 いや、別にわらび餅がダメってことではないのだが、なんか違う、と思ってしまった俺を誰が責められるだろうか。


 それはそれとして。


 ショッピングモールに併設されているそれは人間向けの施設である。竜人にも娯楽を楽しむ感性がないわけではないのだが、それ以上に自制心や向上心が強いので基本的にこういった場所は人間の為に作られたものである。

 そうして考えてもみると、竜人と人間の関係を会社での上司と部下に例えるならば割りかし理想的な上司なのではないか。

 部下にも敬称をつけて敬語で話す某漫画の宇宙人を思わず想像しながら、施設に目をやった。


 エアホッケーやクレーンゲームなどはあるが、その他はダーツだったりバスケットのゴールだったり身体を動かすためのスペースといった感じで、前世でいうところのゲームセンターに似ている雰囲気もある。たぶん一番近いのはラウンドワンのスポッチャだった。行ったことはないけど。

 ゲームにも興味がないわけじゃなかったものの、どうにもやる時間が取れなかったり、やれたとしても通信機能がないハードだったりで、どうにも流行に乗れていない気になって、最終的には触らなくなってしまった。


 競輪選手なんかだと空き時間をゲームボーイアドバンスで凌いでるなんて話が有名だったりするが、俺はそれすらしてなかった。だいたいからして年齢層の幅が広い業界であったので、趣味を共有するというのが難しい話でもある。

 そんな俺が最終的に辿り着いたのがコーヒーだったりするのだが。


 ともあれ、何から遊んでみようか、と二人に話すと、一番近くにあった卓球台を試してみることになった。


 はっきり言って得意なスポーツだった。

 ジョッキーといえば競馬しかできないんじゃないのか、みたいなイメージがあるかもしれないが他のスポーツを趣味にしている人も多い。


 ゴルフだったり、バドミントンだったり、人それぞれやってるスポーツは違うが中にはプロ並みに上手い人もいる。

 野球選手なんかでも趣味はサッカーです! サッカーの方が好き、なんて人もいるくらいだし、趣味と仕事は違う、という話なのかもしれなかった。


 俺は素直に競馬が一番好きだが、そればっかりやってても煮詰まることもあるし、そういう意味では他のスポーツに手を出すことで何かしら気付きを得られることもあるだろう。

 トレーニングの一助にもなるしな。


 そういうわけで、二人をわからせる気満々で道具を選ぶ。

 残念ながら本格的なラケットは置いてある筈もないので、取り回ししやすいシェークハンドを手に取った。

 ペンホルダーを使った前陣速攻型でわからん殺しをするのが本来のスタイルなのだが、安物のラケットのずるずるに滑るラバーではプレイが安定しないと踏んでやめておく。


 二人も俺に倣ってシェークハンドを選んだ。

 確かめるようにラケットを触っている二人を見て、半ば勝利を確信するが、まだ笑うな……しかし……、みたいにニヤケそうになるのを堪える。

 客観的に見るとまあまあ大人気ない気がしないでもないが、そこで譲ろうとしないのが負けず嫌いである俺だった。


 まずはルクスと一ゲーム対戦してみる。

 ステラは俺に自信があると見て、ひとまず観察に徹することにしたようだ。こいつも中々の負けず嫌いである。


「ルクスからのサーブで始めていいぞ」


「むっ……いやに自信満々ですね」


 俺は答えずに、わずかに口角を上げるだけで返した。

 まあいいです、とルクスがちょこっと左手でトスを上げてから、ラケットでピンポン球を打つ。

 俺はそれをルクスの身体の中央辺りに深めにレシーブする。ちょうどフォアハンドかバックハンドで返すか迷うくらいの位置だ。

 経験者で攻めっ気の強い奴なら回り込んでフォアハンドでドライブを打ってくるだろうし、体勢が崩れるのを嫌ったり様子見ならとりあえずバックハンドで返球してくるのではないか。


 ルクスはバックハンドでの返球を選択した。辿々しい手つきだった。


 山なりで返ってくる球をネット側に落ちるように返し、ルクスは慌てて身を乗り出しながら拾い返してくる。

 それを見てから今度はまた深めに返球して、前後で揺さぶるようにする。

 未経験者や運動神経に劣る奴ならすぐにでもレシーブを失敗するところだが、ルクスは身体スペック上人間よりも優れる竜人ということで、反射神経と身体能力で凌いでいる。


 そこでちょっとカットスピンをかけた打球を深めの位置に打った。

 これを上手く返すにはドライブを打つか、それともラケットの角度を回転に対応させなければならない。

 ルクスはそれを知らなかったようで、普通に返球しようとして球をネットに引っ掛けてしまう。


「よし。まずは一ポイントだな」


 言うと、ルクスは憮然とした表情をしていた。

 言いたいことは色々とあるのだろうが、それらを呑み込んで、しかし自分が得点を取られたという事実は呑み込めていない――そんな顔だった。


「……まあ、いいです。それは覚えましたから」


 その台詞は負け惜しみでもなさそうで、実際次のサーブからは下回転のかかったサーブを打ってきた。

 俺はそれを回転はそのままに危なげなく返す。

 ルクスも同じように返してきた。

 そのままつっつき合うようなラリーが数度続き、少し慣れてきたかな――と思うようなタイミングで、テンポを早めるように手首だけを使って今度はドライブ回転のかかった球を送る。


 ルクスはそれに対応できずに、ラケットの角度をカットスピンに適したまま返球してきたので、大きく球が台の上で跳ねる。

 俺はその球を返しづらいバックハンド側に向かって思い切り――ではなかったが、それなりの勢いで打ち込んだ。

 スマッシュである。

 この形になったらよっぽど卓球が上手くない限りは返せない。


 案の定、球が俺の方に返ってくることはなく、続けて得点となった。


「………………」


 めちゃくちゃ憮然としてらっしゃる。

 第一印象だとほんわかというか、ふんわりというか、柔らかい雰囲気を持ったイメージしか抱けなかったが、そこは竜人ということなのだろう、ルクスも例に漏れず負けず嫌いなようだった。


 瞳がギョロつくように俺を見つめている。爬虫類然とした目をしながらずっと無言で俺を見てくるので、耐えかねてステラに交代を申し出る。


「い、一旦俺とステラが替わるか?」


「嫌よ。今だと慣れた分だけルクスにアドバンテージがあるでしょ」


 じゃあいつやるんだよ、と思いはしたが言い出したら聞かないステラのことであるので反論はしないでおいた。


 その後もゲームは続き、俺が得点するたびにルクスは無言で俺を見つめ、ゲームが終わりに近付く度に段々と俺の方に近付くようになってくる。

 マッチポイントになったときには、後ろ手にラケットを持ちながら俺の周囲をぐるぐる回り始めた。


 ……圧が強い!


 だからと言って手加減をしたりはしなかった。それをすると逆にルクスがどういった反応をしてくるか読めなかったからだ。

 遊びなんだからそこまで思い詰めなくても、と思う反面、負けず嫌いであることはアスリートには必須の条件であるとも考えているので、結局最後まで俺がルクスを翻弄する形でゲームを終えた。


 こんな遊びでここまでになるのにレースのときのルクスはどんなことになるんだよ、と若干どころではない恐怖を植え付けられた気持ちだ。


「――次は私とやるわよ」


 ずい、とステラがラケットを片手に出てくる。

 イメージトレーニングは終わったようで、妙に自信ありげだった。


 俺がピンポン球を持っている流れで、俺からのサーブでゲームを始める。

 小手調べというわけじゃないが、まずは無回転のサーブを返しやすいフォアハンド側に送った。


 それに反応してステラは細かいフットワークでドライブを打つ体勢に入った。


 いきなり、とも思うが攻めっ気の強い奴ならままあることだった。

 膝を曲げて強い打球を放つ姿勢を作る。

 溜められた力が、脚から腰、全身を経由して腕にまで伝わる。


 風圧を伴い、視覚を置き去りにするほどに圧倒的なスイングスピードで振られたラケットは、確かに球を捉えた。

 じゅっ、という何かが凄まじいスピードで擦れ合う卓球という競技では聞き覚えのないあり得ない異音。

 俺は身構えて返球に備える。


「……?」


 しかし、ステラの迫力に反していつまでも球が飛んでくることはなかった。


 不思議に思って球の行方を探すと、それは何故かステラの手元にある。


 ――


 こいつ人間じゃねぇ、と思ってから、そういえばこいつ人間じゃなかったな、と一人で納得した。




 というわけで備品を壊してしまったことをスタッフに謝りに行き、そんな流れのまま帰宅することになった。

 今日の出来事から強く学んだことはと言えば、もう竜人とはスポーツで競い合ったりしない、だった。







 帰宅直前でのことだった。

 往路と同じように交通機関を利用し、マンションの自室の前でルクスと別れようとしたところで、俺はルクスに手を引かれて呼び止められた。


「……? まだ何かあったか?」


 思い当たる節がないので素直に尋ねる俺と、その横で怪訝そうにしているステラ。


「顔に何かついてるので取ってあげますね」


 とのことだったので、大人しく身を任せる。

 そのままルクスの顔が近づいてきて、――何かおかしいな、と思ったときには手遅れだった。




 ――掠めるような口付けだった。


 誰も、何も言葉を発することはなかった。


 ややあって、ルクスが意図を説明するつもりがあるのかないのか、


「小さい頃、扇風機に手を入れようとして怒られたことってありません? 危ないのは確かにわかるんですけど、大人になってからやってみると意外と痛くもなんともないんですよね」


 ――今、ちょうどそんな気分です。

 そんな風に言って、踵を返して自分の部屋に入っていく。


「では、また。今日は楽しかったです」


 返事を待たずにドアが閉じられる。


 俺は動けなかった。ステラも動かない。

 ――いや動かないのではなくて、と気付いたときにはステラに部屋に引き摺り込まれていた。


 勢いの割に俺の手を握る手は弱々しく、振り払う気にはなれない。

 ついていくと、ステラの自室にまで連れてこられた。ベッドに腰掛けるように指示されて、


「――ちょっとそこで待ってなさい」


 大人しく頷いて待つ。

 混乱した思考が整理される前に、すぐステラは戻ってきた。


 今日買ったばかりの水着姿だった。

 俺がリアクションする間もなく、有無を言わさず抱きついてくる。


 座っている俺の太ももの上に腰を落とし、身体が密着する態勢になった。


「マーキング。躾。ご褒美。……どういう言い訳でなら、大人しくこうしていてくれる?」


 ステラの表情は見えない。

 だけど、気持ちを推し量るまでもなく、自然と言うべきだと思った言葉が口をついて出た。


「ステラのしたいようにしていいよ」


 パートナーだから、だとか俺の雇用主だから、だとかいった細かな枕詞は省いた。

 余計な装飾は本質を濁らせるだけだと思ったからだ。


 俺は、ステラのしたいようにしてほしい。


 言わなかった気持ちが伝わったのかはわからなかったけれど、しばらくの間、ステラが俺から離れることはなかった。

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