Duramente_A<荒々しく鮮明に>

 この関係に名前をつけるなら、それはきっと――。


 なんてロマンチックなセリフを言ってみたいものだったが、前世の記憶という誰にも話したことのない秘密を打ち明けてなお、俺とステラの関係性はそこまで変わることがなかった。

 明確な理由を、と言われれば困ってしまうが、懸念しているのは俺のモチベーションがなくなってしまうのではないか、ということだ。


 もし仮にステラと結ばれたとしよう。

 たぶん俺は幸せになるだろうし、ステラを幸せにしようとするだろう。


 だが、そこで満足してしまわないか? 元の世界に帰ることよりもステラを優先するようにならないか?


 その疑問を否定できる自信は俺にはなかった。

 だいたい、前世から我慢をすることでモチベーションの維持に繋げていたのだ。先輩や同期のジョッキーがキャバクラだったり大人のお店だったりに繰り出す中、俺はぐっと堪えて努力を重ねてきた。

 自分のイメージを保つ、という意味もあったが、一度そうした緊張を緩めてしまうと、再びストイックな生活に戻れる気がしなかったからだ。


 俺は周りのイメージほど意思の強い人間ではない。


 なので俺の一週間のルーチンというかモチベーションの維持の仕方を包み隠さずに語るなら、『今週末のレースで勝てたら夜のお店で童貞を卒業する――つもりで努力して、勝ったとしても実際には行かずにそういったお店をテーマにした映像作品を使った自慰行為で我慢して、次の一週間も夜のお店に行くつもりで頑張る』といった他人が聞いたらめちゃくちゃアホらしく思えることを繰り返しながら日々の仕事に打ち込んでいた。


 まあでもこれが意外と効果的だったし、一人でしていてもそれなりに満足はしていた。

 恐らく丸々一週間をそうした想像をしたまま我慢して致していたので、期待なりなんなりが高まっていたのだろう。

 俺はこれを一人ポリネシアンセックスと呼んでいた。マジでアホすぎる。


 そういったわけで自分の理性だとか自制心だとかをあまり信用していない俺は、ステラに手を出すこともなかったし手を出されないようにもしているのだった。

 ということを包み隠さずステラに話したところ、本当にバカね、と心底呆れた顔のオマケつきで一言を頂いた。


 その辺りに関しては申し訳なく思ったし、かと言ってすぐに改善することも難しかったので他のことで埋め合わせることにした。


 つまり、デートである。


 恋人同士と呼ぶには疑問が付きまとう俺とステラであるし、お互いに向けている感情が性欲由来のモノであるのかそうでもないのかはわからなかったが、それでも好意を向け合っている同士には間違いないので二人で出かけることをデートと表現しても差し支えないだろう。


 ――俺が、デートの予定を立てている。


 衝撃は一拍遅れて俺の心を揺さぶった。

 前世込みの年齢で30数年来の、生まれて初めての出来事であった。


 それを自覚した途端、思考がおぼつかなくなった。

 デートって何をすればいいんだ? からステラとの距離感まで何もかもがわからなくなって、


「ステラ、聞きたいことがあるんだが」


「……改まって、何?」


「デートって何をすればいいと思う?」


「…………はぁ!?」


 誰となのよ、と狼狽えるステラにお前とだよ、と返し、ナニをするつもりなのよ、と息を荒く放った言葉に対しては何もしねえよ、と言い返した。

 ステラがあまりに動揺するものだから逆に冷静になってきた――と言いたいところだったが、そんなことはなくて未だに情緒は不安定なままだった。というか、一言でいうと俺とステラの二人ともが浮ついていた。


 脳内で複数の人格による会議が行われる。


 ジョッキーとしての俺が意見を言う。

 曰く、普段通りに過ごすべきだ。恋愛なんぞにうつつを抜かしている場合じゃない。なんだったらトレーニングをして浮ついた感情を昇華させるべきだ。


 ステラの世話係としての俺が言った。

 曰く、メンタルケアも必要である。度を越した遊興は控えるべきではあるが、張り詰めた緊張の糸は適度に緩めた方が適切なときに適切なパフォーマンスを発揮できる。


 男としての俺が言った。

 曰く、イくところまでイっちゃえばよくね?


 次の瞬間には男としての俺が他の二人にボコボコにされている。踏んだり蹴ったりされて息も絶え絶えに命乞いをする最中、搾り出すようにアイデアを繰り出した。




 ――プールとかよくない?




 正しく天啓であった。

 遊びであるのにトレーニングも兼ねている。年頃の男女が露出の多い姿でプールに出かけて何も起こらないはずが――俺の理性が保つ限りという注釈がつくもののありそうだったが、悪くない意見ではあった。


 いや、言い直そう。

 少なくとも今の俺が思いつく範囲の中では素晴らしい意見であった。


「ステラ、プールだ。プールに遊びに行こう」

「プールぅ? そんなとこ……行ってもいいわよ」


 ステラの表情が困惑と否定と経て、最後にいやらしい顔になりその後に俺の提案を承諾した。

 その表情の変化を見て何を考えていたかが手に取るように察せられてしまう。


「手始めに今日は水着を買いに行こうと思うんだが、どうだ?」

「ふぅん? いいじゃないの。お互いがお互いの水着を選ぶのとかどう?」


 言われて、俺はステラの水着姿を想像した。

 まずはビキニタイプの水着。

 身長に不釣り合いなほどに成長した胸が水飛沫と共に跳ねている。

 トップとボトムとの間で惜しげもなく晒された白い素肌が眩しくて、思わず目を細めてしまうほどだった。


 次にワンピースタイプの水着。

 全身のシルエットそのものは凶悪だと言っていいが、それを覆い隠すとは言わずともかわいらしい雰囲気を添えてくれ、なんともいえないアンバランスさが魅力だった。例えるならセクシー女優のツインテールを見たときのような、とまで考えて比喩が最悪なことに気付いて現実に引き戻される。


「いいと思う。……と言いたいところだけど、あんまり水着選びのセンスには自信がないというか、迷ってしまって時間がかかりそうだけど」


「迷わずに決めてもらった水着と、迷った末に決めてもらった水着とどっちが嬉しいと思う?」


 俺はステラのそんな台詞に、まあ、それは……なんて曖昧にわかった風な言葉しか返せなかった。


「じゃあ行くわよ。早く準備しなさいよね。私の」


「はいはい」


 そういうわけで、ひとまず今日は買い物デートという運びになった。







「話は聞かせてもらいましたよ」


 ステラと部屋を連れ立って出ると、ルクスが待ち構えていた。

 あんまり女の子の服には詳しくないのだが、ふわふわしたかわいらしいワンピースを着ていて、ガーリーというか、どちらかというとフォーマル寄りなキッチリした服装を好むステラとは対照的な出立ちだ。

 しかしかわいらしい格好をしているのに、その表情は不敵そのものだった。


「――私も水着を買いに行きます。一緒に」


 どこからどうやって会話を聞いていたんだろう、と俺は思わず遠い目をした。

 安普請のアパートでもないので部屋越しに会話が聞こえることは恐らくないのだが……。


 そう思って素直に問いただしてみると、


「ステラさんがベランダで言ってましたよ。プール、水着、プール、水着ってうわ言みたいに」


 謎はあっさりと解決した。


「……いや、でもそれを聞いたからって一緒に行く、ってなるのは私のせいでもないし、そもそもなんでなのよ。仮にもデートなのに邪魔しないでほしいんだけど」


「私たち、友達じゃなかったんですか? お友達なら一緒に買い物に行くのは自然なことだと思います」


 その理屈はちょっと強引すぎるだろ、とは思ったがステラはぐぬぬ、と言葉を失くしている。

 最近わかってきたのだがステラは意外にも友達という言葉というか、そうした概念に弱かった。


「わかったわ。……今回だけ、今回だけだからね」


 字面だけ見ると押しに弱そうな女以外の何者でもなかった。


「ええ。重ねて言いますけど、お二人の仲を引き裂きたいとか、そういうわけじゃないですから」


 あくまで笑顔でそう言ったルクスと、それを聞いてもジト目のままのステラを見かねて軽くフォローすることにした。


「たまにはいいんじゃないか。俺とステラだとセンスや趣味趣向が似てるから、もう一人くらいいた方が買い物の幅に遊びが出るだろうし、より有意義な買い物になるかもしれない」


「そう言われるとたしかにそうなのよね。私もグレイも似たような服ばっかり着てるし。まあ、好みの服装ではあるんだけど」


 理屈が伴って、ようやくステラは普段通りの表情に戻った。




 いつまでも玄関前でたむろしていても仕方がないので、二人に移動を促すことにした。


 目的地はショッピングモールである。

 移動手段はバスと電車を使う。この世界でも車を運転できる年齢には制限があるので、公共の交通手段を利用するしかなかった。

 精神年齢でいえば30を越えている。

 なので内心では運転してもいいのでは、と考える自分とは裏腹に、それが許される立場ではないことに若干の違和感がある。


 例えるなら、30歳になっても未だに働いたことがない人種が感じている気恥ずかしさがたぶん一番近い。

 バスの運転手である人間の男性を見ながら、俺はそんなことを思うのだった。

 つい最近まで人間はディストピア的な社会で生活しているというか、悪い言い方をすれば奴隷のような暮らしをしていると思っていたが、そうした先入観を排除してよくよく観察してみればそんなこともないようで、普通の社会人が仕事をしているようにしか見えない。

 竜人と人間との関係を具体的に表現するなら、恐らくオーナーと雇い主、みたいなものが感覚的には近いだろう。


 異世界ということで身構えていた、ということもあるのだろうが、それ以上にステラの思考誘導にも戦慄させられた。

 科学の発展具合でいえば前世とそう変わるところはないが、インターネットがこの世界にはないのだ。

 その理由が必要に駆られなかったからなのか、それとも技術上でのブレイクスルーが起きずに開発までに至っていないのかはわからない。


 偏った発展具合だな、と思いはするが元々人並みかそれ以下くらいにしか教養を備えていなかった俺だったし、そもそも週末には競馬があったので通信機器に触る機会があまりなかった。

 それなのでなかったらなくてもいいや、で済ませられている。


 そんな感じだったのでステラに実質囲われていたような今までの生活に思うところがない、とまでは言わないが、まあいいか、で結論してしまうタイプの人間が俺だった。別に俺個人に悪意があってそうしていたわけではないのだろうし、自分にとっては気にしないようにしてしまえば気にならない程度の出来事であった。


 鈍感なのだろう、と言われてしまえば否定はできない。自分に不都合がない限りはそうであることも悪くはないのだと考えている。

 バスの最後尾でなぜかステラとルクスに挟まれるように座っている俺は、そんな風に思いながら早く目的地に着かないかと窮屈に耐えているのだった。



 

 バスを降り、電車でも再び二人に挟まれて二駅ほどやり過ごし、ようやくショッピングモールに辿り着いた。

 正直に言うと疲労困憊だった。

 道中の会話といえば取り立てて変わったことはなく普通の雑談だったが、しかし両側から感じるプレッシャーだけが異質だった。


 困ったことにこの状況に至った原因がまるでわからない。

 ステラはまだわかるのだが、ルクスに関してはどういう経緯でこの距離感になったのだろうか。


 悩んでいる俺の両手を二人がそれぞれ引っ張っていく。

 ちょっとフードコート辺りで小休止でも、と提案はしてみたが空腹の状態で水着を試着したいらしく、そういうことであれば、と大人しく水着売り場に直行する他なかった。


 カラフルな水着が並ぶ売り場に入ってみて思ったのが、下着売り場よりはまだ居られるな、だった。

 それでも居た堪れない気持ちは多少あるので、一緒にはしゃいだりするのはまだ難しい。


 ステラは次々と水着を持ってきて、これはどうかな、と見せてくれるのだが、恥ずかしさからか気の利いた台詞をイマイチ返せないままだった。

 これはいかんな、と自覚してきっちり選ばないとな、と気を引き締めたところで後ろからルクスがこれはどうです? と尋ねてきたので振り返る。




 ――紐だった。


 勿論売り場内なので他にも人目があり、まともに試着しているわけではない。

 ワンピースの上から無理やり着用しているのだ。見た目はふんどしか、緊縛されている姿の中間といったところで、要するにただの悪ふざけだった。


 それなのに妙に真剣な顔をしているので、そのギャップに思わず笑ってしまう。


「バカじゃねーの」


 俺の反応を見て、ルクスは相好を崩した。


「似合ってます?」


「笑いが取れるくらいにはな」


 ルクスは意外にも身体を張って笑いを取るタイプだった。

 今までの緊張感はなんだったんだ、と思うくらいに和やかな雰囲気になる。




 物陰から血走った目でこちらを伺うステラを見つけるまでの話だったが。


 ――目と目が合う。


 こちらに静かに歩いて向かってくるだけなのに、どこか這い寄ってくる生き物を見ているかのような不気味さがあった。


「ひっ」


 ルクスが喉奥から掠れた声を出す。

 俺は庇うように彼女を――。


「なんか立場逆転してない?」


 ステラに言われて、それもそうだな、と俺とルクスは正気に戻る。

 気を取り直してお互いに水着を選び合った。


 時々ルクスが俺にブーメランパンツだったり、ステラにスク水だったりを勧めてきた以外は特筆することもなく買い物を終えた。


 俺は丈が長めで柄も控えめなパンツ、ステラはビキニだが健康的な印象なものを、ルクスは私服と同じくかわいらしいワンピースタイプの水着になった。

 結局落ち着くところに落ち着いた感じだ。


 出かける前に言っていた割には無難なチョイスになってしまったが、ステラは満更でもなさそうにしていた。

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